怪盗の宝(その2)/落ち着け、ホームズ!


 山中ホームズの原作にない特徴のひとつが大食いであるのは、すでに何度も述べた。今回も、「ホームズはいつものとおり、ぼくの三倍は食った。」(p155)と、相変わらずの健啖ぶりを見せている。もうひとつの特徴として、ことあるごとに、「プラス何点!」「マイナス何点!」というように、推理に点数をつけることが挙げられる。この点数制度は、しかし、第三作まで読んだかぎりでは出てこない。唯一、バーソロミウ・ショルトーの殺害現場に残された痕跡から犯人の行動をたどるシーンで、ワトソンの推測に、「よろしい、満点だ」(p96)を応じているくらいだろうか。もちろん、愛煙家であることを示す、会話中の「フーッ」「フッ、フーッ」は、頻出する。

 ところで、山中ワトソンは、ホームズを「変人であり一種の偉人」と、毎回、紹介する。これがホームズのトレードマークのようだ。名犬トビイと共に犯人の臭跡を追いかけながら、ワトソンとホームズが交わすこんな会話も、山中版を読む楽しみであろう。

「シャーマン老人か、あれも変人だなあ!」
「フーッ、あれもか。もというのは、ほかにも、変人がいるのかい?」
「ウウム、しまった!」
「ハハァ、ホームズもまた変人なり、と、君は思っているのだろう。ぼくも実は、いささか変人なり、と、自分で思っているがね」
「いや、ぼくも君といっしょに、こんな怪事件の探偵なんかやっていると、変人になって行く気がするぜ」(p139-140)

 トビイによる追跡が失敗に終わったところで、第一部は終わる。この臭跡による犯人探索を、山中峯太郎は、「探偵線」と表現する。

 ああ切れた!
 おもいがけなく、探偵線が、とちゅうで切れた。

 別の臭跡を追うも、またも失敗!

 ああまた切れた! われらの探偵線が、ふたたび切れたのだ!

 トビイにかわって犯人の痕跡を追うのは、ご存知、ベイカー・ストリート・イレギュラーズ、山中版では「少年秘密探偵群」の面々だ。ホームズに呼ばれてやって来た彼らは、原作では部屋の中までなだれ込んでくる。そのため、またしてもホームズから「ウィギンズだけがここへ報告にくるんだぜ。こんなに大勢ぞろぞろはいってこられちゃ困る」と、『緋色の研究』と同じお小言をもらうのだが、山中版ではイギンズ少年だけが部屋に来て、他の面々は外で待っている。そう、『深夜の謎』(『緋色の研究』)で言われた指示を、ちゃんとまもっているのである。えらいぞ、少年秘密探偵群!

 かくして、ホームズに「警視庁の特秘暗号」(原作では電報)で呼ばれたジョーンズ探偵部長と共に、クライマックスに向かう。ご存知、高速船同士によるテームズ川の大追跡だ。このシーンでのホームズは、原作では、コカインの影響でイカレたのかと思うほど、ハイになっている。

「オーロラ号が出てきた! 悪魔のように出てきた! 機関士君!」ホームズはすこしうわずった声で叫んだ。「全速(フルスピード)、前進(アヘッド)! あの黄いろいライトを出した汽艇(ランチ)を追っかけるんだ! 畜生! とっつかまえないでおくものか!」
(中略)
「つかまえるんです!」ホームズは歯をくいしばった。「石炭をうんと食わせろ、火夫たち! 罐いっぱいに蒸気をあげろ! 船が焼けてもいいからつかまえるんだ!」
(中略)
「石炭をぶちこめ、石炭を!」ホームズは機関室をのぞきこんでどなりつけた。彼の火のような鋭く緊張した顔に、下からはげしい現実の火気が噴きあげた。「罐が破裂するところまで圧力をあげろ!」(延原謙訳)

 ホ、ホームズさん、少し落ち着いて、と声を掛けたくなる興奮ぶりだ。「悪魔のように出てきた!」なんて、もうイッちゃっている。対して、山中ホームズは案外に冷静である。

「これでフルスピードかっ? 操縦手!」
「そうです!」
「エンジンが破裂するまでやれっ!」
 わめきつづけるジョーンズ探偵部長に、ホームズが、そばから、
「破裂しては、こまるのだ。追えなくなって」
「いや、警視庁第一の快速ランチが、敵に追いつけないなら、破裂した方がいいです!」

 わめいているのは、ジョーンズ探偵部長になっている。ホームズは、興奮するジョーンズをなだめつつ、パイプをとりだして一服する余裕を見せる。「破裂しては、こまるのだ。追えなくなって」という台詞なぞ、原作と対比しながら読んだ時は、思わず吹き出してしまった。

 大追跡の末、蛮人トンガはテムズ川に消え、義足の怪人ジョナサン・スモールを捕えることが出来た。山中版は、アグラの大財宝をモースタン嬢に見せる前に、スモールの回顧が始まる。ここから第3部となり、原作よりも詳しく、インドの物語が語られるのだ。例えば、原作で「ちょうど河のまん中へんまで行ったところで、おれは鰐におそわれて、まるで外科医が切りとったように、右の脚のちょうど膝の上から食いきられちまったんです。」と一行あるだけのエピソードが、3ページにわたって描かれる。

 アベル・ホワイトの農園に行ってからのスモールは、原作では「馬で栽培地をまわっちゃ、クーリーの働きぶりを見て、怠けているやつを報告すればいいんでね。」と、穏やかな日々の印象で、むしろ、インドの大暴動を「この世の地獄」として描いている。雇い主のホワイトも、「親切ないい人」であり、暴動が起こってからも、「ことが大げさに伝わっているんだと思い込んでいて、この騒ぎは燃えあがったときとおなじように、いまにぱったりと熄ってしまうだろうとたかをくくっていた」と、比較的好意的な書き方だ。英国人のドイルの描写と、アジア人の山中峯太郎の描写は、ここでも、やはり違う。

「おまえのやることは、農園をまわって、インド人を見はるんだ。なまけている奴は、ビシビシと、、むちでなぐりつけろ!」
 と、ホワイトから言われて、おれは、すっかり、よろこんだ。
 それから毎日、長い皮のむちをもって、インド人の奴らを、あたまからピシッピシッと、なぐりながら、広い農園を、おれは白馬で乗りまわしていたんだ。とくいだったね。
 インドは英国にとられている。英国人はインド人を奴れいにしている。そこでインド人でんたいが英国人をにくんでいる。このにくみと恨みが、とうとう火を上げた。町から村から、いっせいに暴動だ。(中略)
「ばかな奴らだ、自分の家でも焼いているんだろう」
 ホワイトは、あくまでインド人を軽べつしきて、火の海を窓から見ながら、ウイスキーを飲んでいた。(p222-224)

 原作のモースタン大尉、つまりメアリー・モースタン嬢の父親は、積極的にはスモールたちを裏切らなかったことになっているが、山中版では「そのうち、モースタンのすがたが、ふと見えなくなった。これまた、それきり、三月をすぎ四月をすぎても、帰ってこねえんだ!」(p267)とあるから、ショルトー少佐と同じく、宝を横取りする気でいたようである。

 また、原作では、ワトソンがモースタン嬢に「アグラの大財宝がこれです。これの半分はあなたのもので、あとの半分はサディアス・ショルトーさんのものです」と言い、ホームズも「半分は、当然彼女に権利があるのだからね」と、同じ考えを示しているが、どう考えたって、モースタンやショルトーの遺族に権利はない。これらはインドの王族のものなのだから。しかし、山中版のモースタン嬢は、違う。「父は、そういうものを、正当な方法で手に入れたのでしょうか?」(p278)と、自分にはそれを受取る権利がないことを言うのである。ショルトーから送られた6粒の真珠も、「どこかの慈善団体に寄付したいと思いますの」と、受け取りを拒否している。いささか偽善的ではあるものの、凡人には真似の出来ない立派な行為といえよう。

 しかし、そのアグラの大財宝の箱を火掻き棒でこじ開けるのは、ワトソンではなく、ジョーンズ探偵部長になっている。そして、観念したスモールが最後に頼むのは、原作ではその後の消息のよくわからない三人の仲間への伝言であった。

「インドの島の、アンダマン群島の中の、ブレアというはなれ小島に、今でも仲間の三人が、カーンとシンとアクバルが、出られずにいるんだ。この三人に、(中略)この事件のてんまつを、知らせてやってくれねえですか?」
「しょうちした。この事件は初めから、そこにいるワトソン博士が、記録しているのだ。ワトソン君、どうせまた本にしてだすのじゃないかね」
「出すつもりだ。「深夜の謎」と「恐怖の谷」と、こんどで三冊目だ。名まえを何とするか、考えているだが……」
「フーッ、その本を、ブレア島の三人におくればいいだろう。」(p285)

 ホームズの探偵自慢を送られた三人組は、はたして腹の虫がおさまるのだろうか。

 そして最後。原作のホームズはこの後、ワトソンの結婚を聞いて「おめでとうとはいわないよ」と冷淡に言って、再びコカインに手をのばすのだが、山中ホームズは、「ふたりは、よろしく結婚すべし!」と、仲を取り持つのだ。ともあれ、ワトソンはモースタン嬢と結ばれる。おめでとう、と言ってあげようではないか。