ハヤカワ・ノヴェルズの闇

 少し前から気になって、この三ヵ月ほどハヤカワ・ノヴェルズについて調べていた。とりあえず、調査が一段落したので(調べられることは調べたので)、近く、何らかの形でリストを発表するつもりだが、調査の過程で気づいたことを少し書いてみる。

ハヤカワ・ノヴェルズ (fc2.com)

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

 ハヤカワ・ノヴェルズは早川書房が出版していた46判の叢書で、1964年から刊行されている。しかし、通し番号や整理番号がなく、またハードカバーとソフトカバーがあり、それぞれに装幀が違う、特に後期は作品傾向にも装幀にも一貫性がない、など、全貌のつかみにくいレーベルだった。これを叢書といっていいのか迷うほどだ。

 とはいえ、最初は明確に叢書だとわかるスタイルではじまっている。四頭馬戦車(クアドリガ)の下に Hayakawa Novels と記されたマークが中扉と背表紙の上部に(ただし文字は〈ハヤカワ ノヴェルズ〉とカタカナで)あり、装幀にも統一性がある。*1

 



 しかし、最初の刊行からして疑問だらけだ。

 

 ハヤカワ・ノヴェルズの発足が発表されたのは、〈エラリィ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉の1964年9月号。最初の二冊はジョン・ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』とメアリイ・マッカーシイの『グループ』で、9月刊との予告がある。↓

 

 

10月号にも同じ予告があり、12月号の広告ページで好評発売中となる。↓

 

 

1965年1月号もこの二冊のみが広告され、2月号でようやくエリア・カザンの『アメリアメリ』、エメリック・プレスバーガーの『日曜日には鼠を殺せ』、モルデカイ・ロシュワルトの『世界の小さな終末』が加わる(『世界の~』は予価)。↓

 

 

 ところが、調べたかぎりでは、『寒い国から帰ってきたスパイ』『アメリアメリカ』『日曜日には鼠を殺せ』の発行日がすべて1964年10月31日なのである*2。もしかしたら、『寒い国から帰ってきたスパイ』はこれ以前の発行日のものがある可能性がある。*3

 1964年に5冊刊行したあと、半年間、新刊がないのは、新しいレーベルの評判や売れ行きをうかがっていたのだろう。幸い好評だったのか、以後は順調なペースで刊行されてゆく。

 さて、こうしてはじまったハヤカワ・ノヴェルズであるが、この最初の5冊でレーベルの方向性が決まったといえる。すなわち、

  1. 冒険色・活劇色の強い娯楽小説(『寒い国から帰ってきたスパイ』)
  2. 現代アメリカ文学(『グループ』『アメリアメリカ』)←修正/海外現代文学
  3. 映画の原作小説またはノベライゼーション (『日曜日には鼠を殺せ』)*4
  4. 社会的テーマの強いSF(『世界の小さな終末』)

の4本柱だ。

 このうち、1のカテゴリーは、ハヤカワ・ミステリに入れるにはミステリ色が薄い作品の受け皿となったと思われ、やがて冒険小説というジャンルの確立につながる。また、SF関連は、のちに海外SFノヴェルズが発刊されるとほとんどなくなってしまった。

 最初の数年はソフトカバー(並製本)が続き、1968年11月の『アメリカの幻想』ではじめてハードカバー(上製本)の登場となる。

 以後、現代文学の力作・話題作がハードカバーで発行されるが、1970年代中頃から次第に娯楽小説にもハードカバーが増えはじめ、1980年代になるとほとんどがハードカバーとなった。これは、この頃に(今では信じられないが)海外ミステリのブームがあり、各社が競って翻訳小説をハードカバー単行本で出したためであろう。

 最初はソフトカバーだった作家(アリステア・マクリーン、デズモンド・バグリイなど)や、ハヤカワ・ミステリや文庫で出ていた作家(ディック・フランシス、スー・グラフトンサラ・パレツキー、ロバート・B・パーカーなど)も、みなハードカバーとなった。そのため、当初は冒険色の強い作品が中心だったのに、早川書房が出す翻訳小説の46判単行本は、(SFを除いて)なんでもかんでもハヤカワ・ノヴェルズとなってしまった感がある。

 こうした収録作品の統一性のなさとは別に、ハヤカワ・ノヴェルズの全体像がつかみにくい原因がもうひとつある。〈ミステリ・マガジン〉の広告ページや単行本の巻末リストでハヤカワ・ノヴェルズとして上げられているにもかかわらず、Hayakawa Novels の表記のない本が複数あるためだ。

 まず、ノーマン・メイラー性の囚人』[1971/11/30]は、ハヤカワ・ノヴェルズとして上げられることもあるが、例のロゴマークがない。おそらく小説ではないため、ノヴェルズあつかいしなかったのだろう。田波靖男、井出俊郎『卒業旅行』[1972/11/30]は当時人気のマーク・レスターを日本に呼んで作った映画のノベライズだが、翻訳でないので、これもハヤカワ・ノヴェルズから外したようだ。しかし、二冊とも広告ではハヤカワ・ノヴェルズあつかいだし、中扉はハヤカワ・ノヴェルズと同じデザインである。

 アガサ・クリスティーベツレヘムの星』[1977/01/31]とハリイ・ケメルマン『ラビとの対話』[1982/12/31]、トルーマン・カポーティカメレオンのための音楽』[1983/11/30]も〈ミステリ・マガジン〉の広告ではハヤカワ・ノヴェルズとなっているが、やはりロゴ・マークがない。最初の二作はミステリ作家のミステリ外の作品だからか、とも推測できるが、カポーティになるとなぜなのか不明だ。

 グレアム・グリーンの『トリホス将軍の死』[1985/10/31]と『逃走の方法』[1985/12/31]、ロアルド・ダールの『少年』[1989/10/31]や『単独飛行』[1989/11/30]は回想録や自伝だからノヴェルズではないが、単行本巻末のハヤカワ・ノヴェルズのリストに入っている。

 さらに不可解なのが、シリーズ作品である。スー・グラフトンの『裁きのJ』『殺害者のK』、デイル・ブラウンの『レッドテイル・ホークを奪還せよ』『頭上の脅威』には、ハヤカワ・ノヴェルズの表記がない。同一作家の、装幀も統一性のあるシリーズなのに。スー・グラフトンの場合、『無法のL』以降、再びハヤカワ・ノヴェルズとなるから、どう考えてもロゴの付け忘れとしか思えない。

 このころになると中扉のデザインの統一性はなくなる。クアドリガのマークも縮小され、場合によっては Hayakawa Novels と小さく記されるだけとなった。

 同一作家の例でいえば、ずっとハヤカワ・ノヴェルズとは別あつかいで出していたダニエル・キイスは、『預言』[2010/05/15]のみハヤカワ・ノヴェルズとなっている。反対に、ハヤカワ・ノヴェルズ内シリーズとして刊行されていた〈彼女のためのノヴェルズ(Novels for Her)〉は、アン・ビーティの『愛している』[1991/08/31]だけロゴマークがない。

 これらの作品をハヤカワ・ノヴェルズあつかいするか否か、誰しも迷うだろう。ハヤカワ・ノヴェルズの闇は深い。

 
 ある時期、早川書房のほとんどの単行本がハヤカワ・ノヴェルズだったが、2000年頃から文芸作品は別枠で出版されるようになった。エンターテインメント系も次第にハヤカワ・ノヴェルズ表記が減り、ここ十数年は特定の作家のみのレーベルとなった感がある。

 こうした作家だったロバート・B・パーカー、ディック・フランシス、マイクル・クライトンスー・グラフトンジョン・ル・カレらが死んだ今、ハヤカワ・ノヴェルズはもう出ないのではないか。となると、昨年暮れに出版された『シルバービュー荘にて』[2021/12/25]が最後の作品になる可能性が高い。

 

 ル・カレにはじまり、ル・カレに終わる。ハヤカワ・ノヴェルズはこれでいいのかもしれない。

 

*1:このクアドリガのシンボルマークは、のちにハヤカワ文庫NVへと受け継がれた

*2:『グループ』の初版は確認できていない。また『世界の小さな終末』は1964年12月31日

*3:このころの早川書房は、初版表記がかなり杜撰だった

*4:『日曜日には鼠を殺せ』/映画の公開日1964年11月20日に合わせた刊行だろう