十月の散歩会も引き続き、駒込の地域文化創造館での開催となります。
日時:10月17日(第三土曜日)午後2時より
場所:豊島区駒込地域文化創造館第4会議室(東京都豊島区駒込2-2-2)
テキストは
『終止符には早すぎる』ジャドスン・フィリップス/新潮文庫
十月の散歩会も引き続き、駒込の地域文化創造館での開催となります。
日時:10月17日(第三土曜日)午後2時より
場所:豊島区駒込地域文化創造館第4会議室(東京都豊島区駒込2-2-2)
テキストは
『終止符には早すぎる』ジャドスン・フィリップス/新潮文庫
1960年代は激動の時代だった。アメリカとソビエト連邦の対立による冷戦が激化し、1961年にはベルリンの壁が作られる。1962年のキューバ危機ではあわや核戦争となりかけた。アメリカ国内では1963年にケネディ暗殺があり、またアフリカ系アメリカ人の権利をめぐる公民権運動や、泥沼化するベトナム戦争への反戦運動が広がった。既存の価値観に反旗を翻す若者のムーブメントは世界中で起こった。
こうした世情不安を背景に、イァン・フレミングが『カジノ・ロワイヤル』(1953) で登場させた英国情報部員007号ジェイムズ・ボンドの物語は、現代のフー・マンチューが登場する『ドクター・ノオ』(1958)が1962年に映画化されるや世界的なブームとなり、スパイものは小説だけでなく映画や「0011ナポレオン・ソロ」(1964~1968) などのテレビ番組でも人気をよぶ。ダイム・ノヴェルのヒーロー、ニック・カーターまでが『キルマスター2/走れスパイ』Run, Spy, Run (1964) でスパイとしてよみがえった。大衆はせめて物語の中だけでも、浮世離れしたスーパーヒーローの活躍を楽しみたかった。いままで探偵に夢中だった少年たちも、国際的陰謀と戦うかっこいいスパイに憧れるようになった。なにより子どもたちを夢中にさせたのは、これらに登場する数々の秘密兵器やスパイ小道具などのガジェットだった。
前回紹介した『名探偵カッレと黒スパイ団』(新訳『名探偵カッレ 危険な夏の島』)(1953) や『オルリー空港22時30分』(1957) にもスパイやテロリストが登場したが、まだこうしたガジェットは出てこない。「秘密兵器」や「世界征服を企む悪の組織」といった要素が子ども向け作品に登場するものに、本家イァン・フレミングの『チキ・チキ・バン・バン』Chitty-Chitty-Bang-Bang (1964) がある。発明家の父親が廃棄寸前の名車を引き取って愛情をこめて手直しするうち、車自身が意志を持ち、父親も知らない機能を身に着ける。空を飛び海上を走るこの車の能力を駆使して、一家で国際ギャング団と闘うという楽しいお話だ。もともとジェイムズ・ボンド・シリーズが、怪人と美女のでてくる古典的なスリラーを装いを変えて蘇らせたものだから、ファンタスティックな冒険物語とは親和性が高かったのだろう。
ジュヴィナイル小説の歴史から言うと、これは少年発明家ものの流れのひとつといえるのかもしれない。子どもが大人の鼻を明かすための手段として新しい乗り物や道具を作り出す物語は、ダイムノヴェル時代のエジソネード*1からはじまり、トム・スウィフト Tom Swift*2 、リック・ブラント Rick Brant*3、ケン・ホルト Ken Holt*4などがいる。主にジュヴィナイルSFの系譜で語られることが多いため、これまで取り上げなかったが、それが折からのスパイ・ブームと重なって、ミステリの一分野としても捉えることが可能になった。例えば、スパイの父親を持つ少年が国際的な陰謀に巻き込まれるロックハート・アマーマン*5の Guns in the Heather (1963) は、テレビ番組のディズニーワンダフルワールド内で連続ドラマ化された、
とはいえ、この時期に、少年少女スパイが縦横無尽な活躍するジュヴィナイル小説のヒット作は生れなかった。実を云えば、上記の少年発明家ものの多くは1960年代にシリーズの終了を迎えている。少年が秘密兵器を使って大人顔負けの活躍をする楽しさは、小説からマンガやコミックに移行していったのかもしれない。また、ナンシー・ドルーやハーディー・ボーイズも1950年代末から60年代にかけて、大幅なリニューアルを行ってシリーズを存続させた。そういう意味でも時代の変わり目であったといえる。
スパイものと密接な関係をもつジャンルに、ミッション遂行型の冒険小説がある。アリステア・マクリーンの『ナヴァロンの要塞』(1957) や『恐怖の関門』(1961) がその代表で、TVドラマでは実行不可能と思われた指令を型破りな方法で可能にする「スパイ大作戦」 Mission:Impossible (1966~1973) が人気を呼んだ。児童文学のこのタイプに、マージェリー・シャープ*6の〈ミス・ビアンカ〉シリーズがある。〈囚人友の会〉は囚人のよき友となることを目的とするネズミ世界の国際的な組織だが、いわれなき囚人を救出する任務も行っている。第一作の『くらやみ城の冒険』 The Rescuers (1959) で、鉄壁のくらやみ城から詩人を逃がすために選ばれたのが、大使の息子のペットとして飼われていた白ネズミのミス・ビアンカと大使館の料理部屋住まいのバーナードだった。以後、世間知らずだが正義感にあふれたお嬢様と実直な働き者のコンビが、毎回困難なミッションを遂行していく冒険シリーズで、1960年代を通じて書き継がれた。第七作の『ミス・ビアンカさいごの冒険』Miss Bianca and the bridesmaid (1972) では、結婚式の前夜に突然いなくなた花嫁の付き添いの少女をめぐる謎を解くという、ミステリ仕立てになっている。かけがいのないパートナーとして互いに認め合っている二匹だが、最後まで安易に結ばれることはなく、それぞれの生活スタイルをまもった大人の関係を続けるあたり、非常に現代的である。
スパイにはもうひとつ、「他人の秘密をさぐる卑劣な奴」という側面があった。イアン・フレミングではなくジョン・ル・カレの世界だ。ルイーズ・フィッツヒュー*7の『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』Harriet the Spy (1964) では、主人公のハリエットはスパイ七つ道具を身につけて観察したこと(盗み見たこと)をノートに細かく記録し、それが一種の中毒になってやめられなくなっている。そのノートを級友に見られ、親友と思っていたスポートを含めて、クラス中から孤立してしまう。ハリエットのメンターである元家庭教師からのメッセージは「嘘をつかなくては生きていけない」というものだった。ここでは子どもたちにもきびしい現実がつきつけられている。続編に The Long Secret (1965) と、友人のスポートが主役となる『あした、億万長者』Sport (1979) がある。
この作品にも見られるように、この時代に児童文学ではタブーとされていたことが次々と破られていく。親の離婚、いじめ、貧困、人種差別、非行などの社会問題が、子どもや青少年の視点からリアルに描かれるようになった。特に1960年代後半から1970年代にかけて顕著になったこの潮流はニューリアリズムと呼ばれた。
1960年代半ばから後半にかけて、ほとんどの少女向けミステリーは、既存の秩序を脅かすような存在ではなかった。多くの登場人物が個人的な成長を遂げたものの、彼らの世界の基本的な安全が脅かされることはほとんどなく、その正当性が問われることも稀だった。しかし、1960年代後半になると、児童文学全般において「ニューリアリズム」と呼ばれる現象が現れ始めた。これは、思春期の諸問題をより露骨に、より挑戦的に、そしてより不安を煽るような形で描くようになったことを意味する。違法薬物、性、仲間からの圧力、暴力といった問題が扱われるようになり、人種的・民族的マイノリティの役割もやや大きくなった。ミステリー小説では、危険はより深刻になり、倫理的な問題はより複雑になった。
1960年代以降、少女向けミステリー小説には、誘拐やストーカー被害といった、より深刻化する若者の危険が描かれるようになった。(Oxford M "Juvenile Mystery"の項)
ここでは少女向けミステリーに限定されているが、それは当時、少女の方がより現実的な被害を受けやすい状況があったためだろう。もちろん、少年だってお気楽なスパイごっこをしているだけではなかった。ジョン・ロウ・タウゼンドの『アーノルドのはげしい夏』The Intruders(1969)の主人公アーノルドが直面するのは、自分とは何者か、という謎である。
アーノルドはイギリスの寂れた海辺の村で、砂州案内の助手をしながら祖父らしき老人と細々と暮らしている十六歳の少年だ。その村にある日、同じアーノルドと名乗る見知らぬ男が現れたことで、平凡な日常に亀裂が入る。同じ時期に、村の近くの原子力発電所の技術者としてやってきた一家の子どもたちの助けを借りて、この怪しい男の素性や目的を探りはじめる。労働者階級の少年の苦悩に裕福な家の姉弟が寄り添うという点ではアーサー・ランサムの『六人の探偵たち』と同じ構造だが、主人公たちの年齢が高いこともあり、階級の違いによる溝は安易に埋まらない。姉弟の方ではその意識はなく(あっても勤めて公平であろうとし)、アーノルド側はそれを強く感じている。姉のジェインへの淡い恋心はアーノルドの心をかき乱すだけで、実ることなく終わる。原題の〈侵入者たち〉は怪しい男だけでなく、この姉弟でもあるのだ。
探求の方向は謎の人物よりもむしろ自己なのである。実際、謎の人物の行動の理由が結局解明されないにも拘らず、主人公はひとつの“解答”を手に入れる。すなわち、平坦な生活の中に“侵入者”を迎えることを契機として、自分が何であるのかという問題に直面し、ひと夏の“はげしい”経験を通してその答を掴みとる――という図式である。その答は、自分が現在の状況の中であるがままに生きてゆくしかないというもので、こらが不毛といわれる所以であろう。しかし、周囲の状況が閉塞されていることによってすべての希望が鎖されるのではなく――つまりペシミズムを基調とした現実認識ではなく――自己変革による自己そのものの発展という道が残されているのは救いと呼ぶべきではないだろうか。
『アーノルドのはげしい夏』を得たことで、ジュヴナイル・ミステリは、ある意味において、行きつくところ――“人生の謎”との直面――へ行きついたという気がする。(「悪漢と少年たちの楽園」)
この作品は1971年に、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)が前年の最優秀作品に授与する通称エドガー賞のジュヴナイル部門を受賞した*8。このことは、ジュヴナイル・ミステリというジャンルの可能性をさらに広げることができるという、示唆のひとつといえよう。
エドガー賞にジュヴナイル部門が創設されたのは1960年のことである。児童文学の賞としては、1920年代からあるアメリカのニューベリー賞や、1930年代にはじまるイギリスのカーネギー賞にはかなわないが、ガーディアン賞 (英1967~) やボストングローブ・ホーンブック賞 (米1967~) 、全米図書賞の児童書部門 (1969~) よりも早い。第五回で述べたように、1940年代後半から児童文学の中でミステリのさまざまな手法が違和感なく使われるようになった。それから十数年がたち、ミステリの面白さを子どもたちにも伝えようという作品、児童文学のテーマを展開する上でミステリの技法を用いる作品――どちらもが発展し、その優秀なものを顕彰できるようになったということなのであろう。
第一回の受賞作はフィリス・A・ホイットニー *9 の『のろわれた沼の秘密』Mystery of the Haunted Pool (1960)で、あかね書房の〈少年少女世界推理文学全集〉の一冊として翻訳された。〈少年少女世界推理文学全集〉は全20巻の叢書で、ほかはすべて古典作品のリライトなのだが、この作品だけがジュヴィナイル作品だった。本の後ろの広告ページにも「エドガー・アラン・ポオ賞受賞」と謳われているから、エドガー賞受賞が全集入りの要因だったことは間違いない。
この叢書は当時新進のデザイナーを起用したセンスのよい装丁を避けたのが功をそうしたのか、学校図書館にもよくそろえられていた。そのため、この本から海外ミステリに入った人も多く、1950年代後半から60年代生れのミステリ・ファンには懐かしく思い出されるだろう。*10
フィリス・A・ホイットニーは1940年代から児童向けや大人向けのミステリを発表し、MWAのジュヴナイル賞には、第一回の受賞以降も4回ノミネートされ、1964年に再び受賞しているから、この時期のジュヴナイル・ミステリの第一人者だったと考えていいだろう。1988年にMWAグランド・マスターになり、1990年にはアガサ賞の生涯功労賞を受賞した。
『のろわれた沼の秘密』は父親の療養のため都会から田舎にやってきた少女の視点で語られる。一足早く父親の生れ故郷の田舎にやってきた彼女は、やがて住むことになる屋敷にまつわる幽霊話や、ちかくの沼の底に見えた人の顔の幻などに遭遇する。とはいっても、「のろわれた沼」という題名から想像されるようなおどろおどろしさはなく、町の人々との交流が中心となって物語はすすむ。やがて、屋敷の持ち主だった先祖にまつわる宝さがしへと発展し、最後は登場人物がみんな幸せになって終わる。児童文学としての目新しいテーマはないが、きわめて後味のよい作品で、娯楽小説としてはこれで充分だろう。
ナンシー・ドルー・シリーズでは探偵活動こそがすべてであった。家族、友人、社会問題、そして個人の成長といった要素は、たとえ登場したとしても、謎解きの二次的なものだった。やがて、最も出来の悪いシリーズでは、筋書きが極端に簡略化され、謎、手がかり、そして追跡劇以外にはほとんど何も残らななかった。シリーズ化されていないミステリー作品は、より幅広いテーマ性を持つことが多かった。謎解きは、主人公や他の登場人物のアイデンティティや成熟を描いた並行する物語と組み合わされることがよくあった。エドガー賞を初めて受賞した児童向け小説、フィリス・ホイットニーの『のろわれた沼の秘密』(1960)では、主人公は家族関係や友人の身体的な障害と向き合いながら、長らく失われていた宝の秘密を解き明かしていく。(Oxford M "Juvenile Mystery"の項)
Twentieth-Century Children's Writers (3rd Edition) によれば、ホイットニーには人種統合が進む地域社会が抱える問題に真正面から向き合った Willow Hill (1947) など、児童向け小説ではタブー視されてきたテーマを早くから扱ってきたようだが、翻訳がないため詳細は不明である。
続く第二回は、エドワード・フェントンの『ゆうれいのでる農場』The Phantom of Walkaway Hill (1961) が受賞した。この作品は田中とき子の訳で、小学館版少年少女世界の名作の53巻、「世界の受賞作品集1」に収められている。児童文学賞をあつめた本に収録されているのだから、やはりエドガー賞受賞作ということが邦訳された理由であろう。
エドワード・フェントン *11の翻訳は、『ゆうれいのでる農場』のほか『きいろいおおきなふうせん』 (1967)[学研/ようじのぶんこ3/1994]がある。ギリシャ語に堪能だったらしく、ギリシャの児童文学作家アルキ・ゼイの翻訳を行い、アメリカ図書館協会児童図書翻訳賞バチェルダー賞を三度受賞している。邦訳もあるアルキ・ゼイの『ヤマネコは見ていた』[岩波書店/1975]は原題が Wildcat Under Glass となっているから、フェントンの英訳書からの翻訳なのかもしれない。また1970年代にはヘンリー・クレメント Henry Clement 名義で「刑事コロンボ/別れのワイン」「刑事コロンボ/祝砲の挽歌」など、テレビ・シリーズのノヴェライゼーションを手がけている。このうち、映画のノヴェライゼーションである『怪奇な恋の物語』 (1969)が早川書房から邦訳されている。
『ゆうれいのでる農場』の語り手は、ニューヨークに住む12歳のジェームズ・スミス・ジュニア。犯罪者の手配写真を集めるのが趣味という、探偵好きの少年だ。田舎に引っ越した従兄妹を訪ねて、休暇を過ごすことになる。従兄妹の父親の作家がローンで買った田舎の家が、題名にある「ゆうれいのでる農場」で、かつて彫刻家の老婦人の住まいだった。愛犬のマギーのほか身よりもなかった老婦人は、寂しく死んでいったのだが、彼女が持っていたとされる財産や多くの彫刻作品は、どこにも見つからなかった。田舎の家についたジェームズは、従兄妹とともに怪しい人影や謎の足跡などを見つけ、老婦人の残したコリー犬のマギーを飼うことになる。やがて、大雪の日、電気も電話も切れて孤立してしまった農場で、ジェームズたちの前に恐ろしい「ゆうれい」が現れる……。
前回の『のろわれた沼の秘密』に比べると、この作品の登場人物は総じてうすっぺらい。ちょっと面白いのは、子供たちの味方になる田舎の「何でも屋」チャーリーくらいか。これは、もしかすると翻訳のせいかもしれない。ページ数からみて、おそらく大幅な抄訳だろう。抄訳を一概に否定しないが、人物描写などはやはり落ちざるを得ない。
1963年から65年までの受賞作・候補作に邦訳はなく、第六回にあたる1966年度は、『恐怖の第22次航海』 The Mystery of 22 East (1965) が受賞している。作者のレオン・ウェア*12は、この作品以外は翻訳がなく、児童文学者の事典類にも記載がないため、詳細は不明だ。
『恐怖の第22次航海』は海洋ものである。主人公トム・キャメロンは15歳の少年。交換教授としてイギリスにわたった父親のもとに行くため、たった一人でドイツの商船ホーンビル号に乗る。ホーンビル号は貨物船だが、数人の旅客を乗せている。キャメロン少年と乗り合わせるほは、アメリカ青年ソーン、怪しいベルニーニ夫妻、騒々しいジャクソン夫妻、毅然としたカートライト夫人、物静かなコンラッド夫妻たちだ。船上での事件よりも、船旅そのものがテーマともいえる作品で、港での伯父さん伯母さんとの別れ、船酔い、メキシコ少年の密航、パナマ運河を通る過程、サーカス団をはこぶ船から逃げたサル騒動などが、リアリスティックな描写で語られるのだ。隠されたマイクロフィルムの謎は、船上の様々な事件の、ほんのひとつでしかない。
作品の中でしばしば語られる「人生訓」のようなものも嫌味ではなく、なるほど、と思わせるものが多い。クライマックスは、嵐のなか、遭難船の救助するシーンで、ぐうたら(と思われた)船長の活躍、おしゃべりなジャクソン夫人の意外な一面など、定番とはいえ心地よく読むことができる。それに対し、スパイ事件の謎はいささか肩すかしだった。MWA賞の受賞は、ミステリ的な部分よりも、ヤング・アダルト小説の面白さを重視したのだろう。
続く1968年は前回紹介したフランスのポール・ベルナがノミネートされ、1969年にはThe House of Dies Drear (1968) でヴァ−ジニア・ハミルトン*13が受賞する。ハミルトンは逃亡奴隷の祖父とネイティヴ・アメリカンの血を引く祖母を持つ作家で、この後、『ジュニア・ブラウンの惑星』(1972) と『偉大なるM・C』(1975)で二度のニューベリー賞、1992年には多文化共生を体現する創作者として国際アンデルセン賞に輝く。そんな彼女に与えられた、これが最初の賞だった。ここでもエドガー賞ジュヴナイル部門の先見性がうかがえる。
1970年の受賞作は、ウィニフレッド・フィンレイ*14の『危険なかくれが』Danger at Black Dyke (1968) である。舞台はローマ時代の城壁(ハドリアヌス長城)の近くにあるイギリスの村。主人公のジョーディを中心とした少年たちのグループが、ひょんなことから正体不明の青年を彼らの秘密基地にかくまうことになる。そこは古くからある小屋で、地下には盗賊の宝物が隠されているという言い伝えのある洞窟もあった。歴史的建造物の案内、青年を追いかけてきた怪しい男たち、盗賊の宝の謎、国際的陰謀など盛りだくさんで、最後に彼らを助けに来る〈アーサー王〉も痛快で、少年冒険ものとして非常によく出来ている。作者のフィンレイは他に邦訳がないようだが、もっと読んでみたい作家だった。
その翌年にはジョーン・エイケン*15の『暗闇にうかぶ顔』Night Fall (1969) が受賞した。主人公のメッグは九歳の時に女優の母親と継父を事故で亡くし、ほとんど記憶にない実父に引き取られる。愛情の薄い父親、冷たい家政婦、なじまない学校生活の中で、唯一の救いは隣に住む美少年の兄ジョージと人懐こいその妹との友情だった。やがてメッグは絵の才能を開花させ、肖像画家として活躍。またジョージと婚約する。しかし、メッグには幼い頃よりたびたび「暗闇に浮かぶ怖ろしい顔」の悪夢に悩まされていた。結婚前に悪夢の正体をつきとめようと、かつて自分が転落事故にあった海辺の田舎町を訪れる。そこでは同時期に未解決の殺人事件があったことがわかり……
ヒロインの恋愛、不幸な生い立ちから自立した女性への成長、過去のトラウマの謎、命を狙われる危機、とサスペンス・ミステリの定番がきちんと出てきて飽きさせない。ヒロインの心理描写はうまく、特に幼少時の不安と孤独感の描き方はさすがである。ただ、後半になっての登場人物が総じて平板で、殺人事件の真相もいささか拍子抜けだった。
エイケンは架空の19世紀イギリスを舞台にした『ウィロビー・チェースのおおかみ』 The Wolves of Willoughby Chase (1962) で始まる〈おおかみ年代記〉で知られる。児童文学には過去の時代を舞台にした作品はこれまでもあったが、1950年代から1960年代にかけて、ローズマリー・サトクリフの他にも、ヘンリー・トリース*16、ヘスター・バートン*17、バーバラ・ウィラード*18、エリザベス・ジョージ・スピア*19ら有力な歴史児童小説の書き手があらわれたことで大きく発展した。歴史のあつかい方もエイケンのようにひねりのある手法がとられるようになり、その中のひとつに歴史ミステリがあった。
歴史ミステリには大きく二つのパターンがあり、ひとつは現代の人間(=名探偵)が過去の歴史上の謎を解くもので、最も有名なのはジョセフィン・テイの『時の娘』(1951) であろう。日本では高木彬光の『成吉思汗の秘密』(1958) がそれにあたる。児童文学におけるこのタイプは、過去と現在を繋ぐアイテムとしての〈宝探し〉テーマとして現れる。第五回でも触れたウィリアム・メイン*20の『りんご園のある土地』A Parcel of Trees (1969) では、主人公の少女が屋根裏で見つけた古い地図から、線路の向こうにかつて自家のものだった土地があったことを発見し、村の弁護士の力を借りて鉄道会社から取り戻そうとする。それは少女が〈自分だけの場所〉を求める行為であると同時に、村人たちの歴史を知ることでもあった。法律を逆手にとった部分は充分にミステリ的な面白さがある。
フィリップ・ターナー*21の『シェパートン大佐の時計』Colonel Sheperton's Clock (1964) は架空の町ダーンリー・ミルズを舞台にしたシリーズの第一作で、足の悪い空想家のデイビド(建具屋・大工の息子)、活発なアーサー(農家の息子)、めがねで発明家のピーター(牧師の息子)の三人組が、デイビドの家に50年前からあるシェパートン大佐の時計にまつわる謎を解いていく物語だ。なぜ大佐はこわれてもいない時計を修理に出したのか。大佐がその日に火事で焼け死んだのは偶然なのか。三人は調べるうちに、第一次世界大戦にかかわる秘史にたどりつく。現代の方では、デイビドの足の手術への不安や泥棒騒動が描かれる。最後の泥棒退治の方法にはきちんと伏線が張られていて、ミステリとしてもすぐれた作品となっている。
第一作で10才だった三人は、第二作の『ハイ・フォースの地主屋敷』The Grange at High Force (1965) では中学一年生となり、16世紀の宗教改革の激動期に行方不明になった聖母像をめぐる謎に遭遇する。この作品でターナーはカーネギー賞を受賞した。第三作の『シー・ペリル号の冒険』Sea Peril (1966) にも古代ローマ軍の埋もれた遺跡の探索が描かれるが、謎解きの要素は少なく、三人の成長の過程が中心となる。シリーズは1977年の第九作まであり、この後もティーンエイジャーになった彼らの成長と冒険が物語られるようだ。
またアンジェラ・ブル*22の『ウェイランドの古城』Wayland's Keep (1966) では、夏休みにやむなき事情で古びた屋敷に泊ることになったいとこ同士の三人の少女が、一通の古い手紙や日記を見つけたことをきっかけに、100年前にその屋敷で起きた「ある少年と消えた大金」にまつわる悲劇的な事件の真相に迫っていく。やはり謎を解くことで、現在は過去の蓄積の上に成り立っていることに気づくという構成である。
歴史ミステリのもうひとつのパターンは、過去の時代を舞台にしたミステリである。過去の時代に生きる人々を活写しながら、その時代でしか起きえない事件や謎に、その時代ならではの解決を見出す作品で、ジョン・ディクスン・カーの『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』(1936) を嚆矢とする。これは実際に起こった歴史上の謎を歴史小説の手法で解こうとするもので、このスタイルにはリリアン・デ・ラ・トーレの『消えたエリザベス』(1945) などがある。また実在・架空の歴史的人物を探偵役にして架空の事件をあつかわせる作品は、デ・ラ・トーレのサム・ジョンスン博士シリーズ(1946年に第一短篇集)の先例作を経て、1950年代に大きく花開く。カーが『ニューゲイトの花嫁』(1950)から過去を舞台にしたミステリ作品を書き始め、オランダのファン・ヒューリックは古代中国を舞台に、実在のディー判事を主人公にして『中国迷路殺人事件』(1951)などを発表。日本でも紫式部と清少納言が推理比べをする岡田鯱彦の『薫大将と匂の宮』(1950)や、金瓶梅の世界を謎解き小説として再構成した山田風太郎の『妖異金瓶梅』(1954-59/雑誌発表)、江戸時代の長崎出島を舞台にした多岐川恭の『異郷の帆』(1961)などが書かれた。さらに、ピーター・ラヴゼイとエリス・ピーターズの登場により、1970年代以降イギリスで一大ブームとなった。現在では日本をはじめ多くの国で、こうした歴史ミステリが書かれている。
児童文学における過去を舞台にしたミステリでは、まずレオン・ガーフィールド*23の諸作を挙げなくてはならない。第一回のガーディアン賞を受賞した『霧の中の悪魔』Devil-in-the-Fog (1966) は18世紀のイギリスが舞台だ。旅芸人の一家の長男が、実は幼い時にさらわれた貴族の跡取りだと告げられ、貴族の屋敷に引き取られる。怪しい人物が次々と登場し、自分がさらわれた経緯にも疑問が生じだす。慣れない環境の中で、誰を信じていいのかわからなくなってゆく孤独感が、ゴシック的な雰囲気の中でよく描けていてる。主人公が少年ではあるが、いわゆるHIBK派*24を思わせるつくりだ。したがって真相も推理ではなく、関係者の証言で長々と語られる。とはいえ意外性は充分で、またそれぞれの人物像も重層的であり、サスペンス・ミステリとしても児童文学としても一級品に仕上がっている。
このほかにもスリの少年を主人公にしたピカレスク調の『ねらわれたスミス』Smith (1967) (18世紀後半が舞台)や、父親の罪を償おうとして逆に復讐されそうになる『ジョン・ダイアモンド』John Diamond (1980) (19世紀が舞台)などが邦訳されている。
「ガーフィールドに最も似ているアメリカの作家」*25と評されたのがシド・フライシュマン*26だ。児童書二作目となる『ぼくのすてきな冒険旅行』By the Great Horn Spoon! (1963) は模範的な執事(バトラー)プレイズワージと少年がカリフォルニアのゴールドラッシュに仲間入りして、あらゆる危急をのりこえてゆく。前半はカリフォルニアに着くまでの冒険。困難の末にようやく金を見つけて帰還しようとするが、思わぬ状況に遭遇して……楽しい冒険もので、少年の成長だけではなく、保護者であるプレイズワージもまた変わってゆくあたり、読みごたえがある。フライシュマンは作家歴が長く、『身がわり王子と大どろぼう』 The Whipping Boy (1986) でニューベリー賞を受賞、『ゆうれいは魔術師』The Midnight Horse (1990) でMWAジュヴィナイル賞にノミネート、『十三階の海賊たち』13th Floor a Ghost Story (1995) で同賞を受賞している。
アメリカではもう一人、イヴ・タイタス *27 を忘れてはならない。児童文学におけるネズミはある種、特権的な地位をもっていた。例えば『ドリトル先生の動物園』(1925) でも、多くの動物たちが暮らす〈動物園〉の中で、ネズミだけは特別な〈ネズミ・ランド〉を持ち、世界中のネズミたちがそれぞれのエピソードを語ってゆく。これは(ある時期まで)最も人間の生活に密着した動物と思われていたからで、先のミス・ビアンカの冒険でも囚人のよき友となっているのはそのためだ。ここにもう一匹、新しいネズミ・ヒーローが誕生した。『ベイジルとふたご誘拐事件』Basil of Baker Street (1958) で登場したベイジルはベーカー街221番地の地下に住み、シャーロック・ホームズの推理力を学んでさまざまな事件の解決に乗り出すのである。19世紀末のヴィクトリア朝を舞台にした歴史ミステリともいえるし、またホームズを利用した児童向け作品としては最初期のものになるだろう。全五作のうち四作が邦訳されている。
イギリスやアメリカだけでなく、ドイツにもこのジャンルの傑作がある、ヘンリー・ウィンターフェルト*28の『カイウスはばかだ』Caius ist ein Dummkopf (1953) は古代ローマを舞台にした作品で、発表年代からいえばこれが最初の歴史児童ミステリかもしれない。由緒ある神殿に「カイウスはばかだ」と落書きしたと濡れ衣で投獄された級友を助けようと五人の少年たちが調査をはじめる。手に入れた手掛かりを占い師に判断を仰ごうとしたりと、この時代ならではの展開がある。少年たちのキャラも、しっかりもの、理屈屋、臆病者、皮肉屋、ほらふき、と定番とはいえ楽しい。彼らの推理を聞いた教師のクサンチップス先生が「これは仮説であり、証明ではない」と苦言を呈するあたり、論理を重視するギリシャ以来の伝統を見せつける。解決の意外性もあって、ジュヴナイル・ミステリとしては出色の出来である。続編の『カイウスはひらめいた』Caius geht ein Licht auf (1969) ではクサンチップス先生の窮地を救うため少年たちが力をあわせ、最後には「論理学と数学的証明の法則にしたがえば、反論の余地のない最終的結論として、〇〇なのは明らかです」と先生が見事な謎解きを披露する。第三作の Caius in der Klemme (1976) が未訳なのがおしまれるシリーズだ。
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◆参考資料
「悪漢と少年たちの楽園~ジュヴナイル・ミステリ雑考」谷口俊彦[『帝王』9号/1978]→「悪漢と少年たちの楽園」と表記
『子どもの本の歴史 英語圏の児童文学』(1965/74) J・R・タウンゼント/高杉一郎訳[岩波書店 1982]→『子どもの本の歴史』と表記
The Oxford Companion to Children's Literature (1984) 『オックスフォード世界児童文学百科』ハンフリー・カーペンター、マリ・プリチャード編/神宮輝夫=監訳[原書房 1999]→『世界児童文学百科』と表記
The Oxford Companion to Children's Literature 2nd edition (2015) 『新版オックスフォード世界児童文学百科』ダニエル・ハーン編/白井澄子・西村醇子・水間千恵=監訳[原書房 2023]→『世界児童文学百科/新版』と表記
The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing (1999) by Rosemary Herbert ed. →Oxford M と表記
Twentieth-Century Children's Writers (3rd Edition)
『英米児童文学史』瀬田貞二・猪熊葉子・神宮輝夫[研究社 1971]
『はじめて学ぶ英米児童文学史』桂宥子・牟田おりえ編[ミネルヴァ書房 2004]
『たのしき読める英米児童文学』本多英明・桂宥子・小峰和子編[ミネルヴァ書房 2000]
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◆作品案内
『チキ・チキ・バン・バン』Chitty-Chitty-Bang-Bang (1964) イアン・フレミング/渡辺茂男訳[富山房 1980]
『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』Harriet the Spy (1964) ルイーズ・フィッツヒュー/鴻巣友季子訳[講談社 1995]
『あした、億万長者』Sport (1979) ルイーズ・フィッツヒュー/鴻巣友季子訳[講談社 1990]
『アーノルドのはげしい夏』The Intruders(1969)ジョン・ロウ・タウンゼント/神宮輝夫訳[岩波書店 1972]
『のろわれた沼の秘密』Mystery of the Haunted Pool (1960)フィリス・A・ホイットニー/白木茂訳[あかね書房/少年少女世界推理小説全集 1981]
『ゆうれいのでる農場』The Phantom of Walkaway Hill (1961) エドワード・フェントン/田中とき子訳[小学館/少年少女世界の名作53巻 1974]
『恐怖の第22次航海』 The Mystery of 22 East (1965) レオン・ウィア/高橋泰邦訳[学習研究社/少年少女サスペンス推理 1972]
『危険なかくれが』ウィニフレッド・フィンレイ/飯島和子訳[学習研究社/少年少女サスペンスシリーズ冒険 1973]
『暗闇にうかぶ顔』Night Fall (1969) ジョーン・エイケン/蕗沢忠枝訳[あかね書房 1981]
『りんご園のある土地』A Parcel of Trees (1969) ウィリアム・メイン/林克己訳[岩波書店 1969]
『ウェイランドの古城』Wayland's Keep (1966) アンジェラ・ブル/内田庶訳[岩﨑書店/ジュニア・ベスト・ノベルズ 1973]
■マージェリー・シャープ
『ミス・ビアンカ くらやみ城の冒険』The Rescuers (1959) 渡辺茂男訳[岩波少年文庫]←[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1988]←『小さい勇士のものがたり』[岩波書店 1967]
『ミス・ビアンカ ダイヤの館の冒険』Miss Bianca (1962) 渡辺茂男訳[岩波少年文庫]←[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1987]←『ミス・ビアンカのぼうけん』[岩波書店 1968]
『ミス・ビアンカ ひみつの塔の冒険』The Turret (1963) 渡辺茂男訳[岩波少年文庫]←[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1987]←『古塔のミス・ビアンカ』[岩波書店 1972]
『地下の湖の冒険』Miss Bianca in the Salt Mines (1966) 渡辺茂男訳[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1987]←『地底のミス・ビアンカ』[岩波書店 1973]
『オリエントの冒険』Miss Bianca in the Orient (1970) 渡辺茂男訳[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1987]
『南極の冒険』Miss Bianca in the Antarctic (1971) 渡辺茂男訳[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1988]
『さいごの冒険』Miss Bianca and the bridesmaid (1972) 渡辺茂男訳[岩波書店/ミス・ビアンカ・シリーズ 1988]
■フィリップ・ターナー
『シェパートン大佐の時計』Colonel Sheperton's Clock (1964) 神宮輝夫訳[岩波書店 1968]
『ハイ・フォースの地主屋敷』The Grange at High Force (1965) 神宮輝夫訳[岩波書店 1969]
『シー・ペリル号の冒険』Sea Peril (1966) 神宮輝夫訳[岩波書店 1976]
■レオン・ガーフィールド
『霧の中の悪魔』Devil-in-the-Fog (1966) 飯島淳秀訳[講談社 1971]
『ねらわれたスミス』Smith (1967) 亀山竜樹訳[岩﨑書店/ジュニア・ベスト・ノベルズ 1974]
『ジョン・ダイアモンド』John Diamond (1980) 沢登君恵訳[ぬぷん児童図書出版 1985]
■シド・フライシュマン
『ぼくのすてきな冒険旅行』By the Great Horn Spoon! (1963) 久保田輝男訳[学習研究社/少年少女学研文庫 1970]
『真昼のゆうれい』 (Ghost in the Noonday Sun (1965) 久保田輝男訳[学習研究社/少年少女サスペンス冒険 1970]
『ジンゴ・ジャンゴの冒険旅行』 (Jingo Django (1971)、渡邉了介訳[あかね書房 1995]
『身がわり王子と大どろぼう』 (The Whipping Boy (1986)、谷口由美子訳[偕成社 1989] ★ニューベリー賞受賞
『かかし』 (The Scarebird (1988)、小池昌代訳[ゴブリン書房 2007]
『ゆうれいは魔術師』 (The Midnight Horse (1990)、渡邉了介訳[あかね書房 1994] ★MWA賞/最優秀ジュヴナイル賞 候補
『十三階の海賊たち』 (13th Floor a Ghost Story (1995)、谷口由美子訳[偕成社 1997] ★WA賞/最優秀ジュヴナイル賞
■イヴ・タイタス
『ベイジルとふたご誘拐事件』Basil of Baker Street (1958) 各務三郎訳[あかね書房/ねずみの国のシャーロック・ホームズ 1978]
『ベイジルと失われた世界』Basil and the Lost Colony (1964) 各務三郎訳[あかね書房/ねずみの国のシャーロック・ホームズ 1978]
『ベイジルと犯罪王』Basil and the Pygmy Cats (1971) 各務三郎訳[あかね書房/ねずみの国のシャーロック・ホームズ 1979]
『ベイジルのメキシコ冒険旅行』Basil in Mexico (1976) 各務三郎訳[あかね書房/ねずみの国のシャーロック・ホームズ 1979]
Basil in the Wild West (1982)
■ヘンリー・ウィンターフェルト
『カイウスはばかだ』Caius ist ein Dummkopf (1953) 関楠生訳[学習研究社/少年少女学研文庫 1968]→[福武文庫 1990]
『カイウスはひらめいた』Caius geht ein Licht auf (1969) 関楠生訳[学習研究社/少年少女学研文庫 1970]
Caius in der Klemme (1976)
*1:Edisonade トーマス・エジソンにならって天才少年発明家が蒸気ロボットや飛行船を発明し、冒険をくりひろげる物語の総称。
*2:1910年代からはじまるストラテマイヤー・シンジケートの作品。少年発明家が飛行船や潜水艦、写真電話などさまざまな発明品を使って冒険したり、悪人をやっつけたりする。
*3:John Blaine (本名 Harold Leland Goodwin (1914-1990) ) 作。リックは、スピンドリフト島にある研究所で科学研究を行っていた科学者ハートソン・ブラントの息子で10代の少年。元海兵隊員のスコッティを相棒に、エジプト、ナイジェリア、中国から西太平洋まで、The Rocket's Shadow(1947)以降、20年にわたる22作で冒険を繰り広げる。
*4:Bruce Campbell (本名 Samuel Epstein) 作。「世界的に有名な特派員の息子、ケン・ホルトが謎と陰謀の世界に迷い込む」シリーズ。確かな科学的知識と緻密に練られたプロット(Oxford M "Juvenile Sleuths"の項) が特徴。The Secret of Skeleton Island (1949) から The Mystery of the Sultan's Scimitar (1963) まで18冊で活躍。
*5:Lockhart Amerman (1911-1969) 牧師でありながら、数作のヤングアダルト向けの作品を上梓した。
*6:Margery Sharp (1905-1991) イギリスの児童文学作家。
*7:Louise Fitzhugh (1928-1978) アメリカの児童文学者。
*8:米版の発行が1970年だった
*9:Phyllis Ayame Whitney (1903-2008) 横浜生れ。ミドル・ネームは日本語のアヤメからきている。
*10:のちに同じくあかね書房が企画した〈推理・探偵傑作シリーズ〉全25巻に、このシリーズの一部の訳文がが組み込まれているが、こちらはうってかわって、横山まさみちによる挿絵マンガが付いている。「やる気まんまん」の先生によるフェル博士像なんぞ、どう見てもスケベ親爺にしか見えず、楽しめはするものの、さすがにこれでは学校図書館には難しい。
*11:Edward Fenton (1917-1995)ニューヨーク市生れの児童文学作家。1947年から児童向け小説を発表し、1950年から55年まではメトロポリタン美術館印刷物部門の職員だった。
*12: Leon (Vernor) Ware (1909-1976)
*13:Virginia Hamilton (1936-2002) アメリカの児童文学者。
*14:Winifred Finlay (1910-1989) イギリスの児童文学者。
*15:Joan Aiken (1924-2004) イギリスの児童文学者。
*16:Henry Treece (1911-1966)イギリスの児童文学者。
*17:Hester Burton (1913-2000) イギリスの児童文学者。
*18:Barbara Willard (1909-1994) イギリスの児童文学者。
*19:Elizabeth George Speare (1908-1994) アメリカの児童文学者。17世紀の清教徒植民地時代の魔女裁判を描いた『からすが池の魔女』(1958) でカーネギー賞受賞。
*20:William Mayne (1928-2010) イギリスの児童文学作家。1953年の処女作以降、100冊以上の著書がある。A Grass Rope (1957) でカーネギー賞受賞。2004年、少女ファンに対するわいせつ容疑で有罪となった。
*21:Philip Turner (1925-2006) イギリス。スティーブン・チャンスというペンネームでは、元警官の牧師セプティマス・トレロアが登場するヤングアダルト向けミステリー・シリーズがある。
*22:Angela Bull (1936- )イギリスの児童文学者。
*23:Leon Garfield (1921-1996) リアン・ガーフィールドとも表記。イギリスの児童文学者。Jack Holborn (1965) でデビュー。また1980年にディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』の完結篇も発表している。
*24:HAD-I-BUT-KNOWN (もしあの時知ってさえいれば)の略。語り手(主に若く世間知らずの女性)がさまざまな危機に陥り、そこから抜け出そうと行動するが、大抵はその行動がよけいに事態を悪くしてしまい、「あの時(こうなることを/あの事実を)知ってさえいたら、こんな行動をとらなかったのに」と嘆いてサスペンスを盛り上げるタイプの作品の総称。語り手は通常、探偵役になることはなく、状況に流されているうちに事件は自然と解決することが多い。
*25:J・R・タウンゼント『子どもの本の世界』
*26:Sid Fleischman (1920-2010) 少年時代は奇術に傾倒し、高校卒業後には手品師として全米を巡業した。プロ向けの奇術指南書もある。
*27:Eve Titus (1922-2002)
*28:Henry Winterfeld (1901-1999)
九月の散歩会も引き続き、駒込の地域文化創造館での開催となります。
日時:9月26日(第四土曜日)午後2時より
場所:豊島区駒込地域文化創造館第4会議室(東京都豊島区駒込2-2-2)
テキストは東野圭吾追悼で
『聖女の救済』東野圭吾/文春文庫
八月の散歩会も駒込の地域文化創造館での開催となりました。
日時:8月22日(第四土曜日)午後2時より
場所:豊島区駒込地域文化創造館第4会議室(東京都豊島区駒込2-2-2)
テキストは
ハーラン・コーベン『エージェントは二度推理する』小学館文庫
第二次大戦後のフランスでは、1947年から〈楽しき時〉と名づけられた児童読物叢書が刊行をはじめた。最初のうちはアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』など良書の翻訳が中心であったが、やがて戦前から冒険小説作家として著名だったルネ・ギヨ*1の児童向け冒険物語、『野獣の王国(未訳)』Au pays des bêtes sauvages,(1948) や『幸福な仲間(未訳)』Les Compagnons de la Fortune (1948) などが名を連ねるようになる。「これが戦後における子ども向き冒険小説の復権ともいうべき現象であった。」*2
こうした海外作家の輸入からはじまり、のちに国内作家が加わってゆく状況は、フランスにおけるミステリの発展経過と似通っている。1945年に刊行が開始された〈セリ・ノワール〉(暗黒叢書)はチャンドラー、ジャイムズ・M・ケイン、ホレス・マッコイ、ピーター・チェイニイ、ジェイムズ・ハドリー・チェイスと、ハードボイルド派の作家を次々とフランスに紹介し、やがてボリス・ヴィアンがアメリカ作家ヴァーノン・サリヴァンとして『墓に唾をかけろ』(1947)などアメリカン・ノワールの贋作を書きはじめた。こうした流れが1950年代になってからフランス独自の「ハードボイルド」、いわゆる〈ロマン・ノワール〉を生むことになるのである。
ルネ・ギヨの児童文学は、青少年賞を受賞した『ぞうの王子サマ』Sama Prince des éléphants (1950) をはじめ、『チンパンジーのウオロ』Ouoro, le Chimpanzé (1951) 、『ミシェルのかわった冒険』 L'extraordinaire aventure de Michel Santanrea (1951)、〈小さないぬの〉シリーズなど動物物語・冒険物語を中心に、一時はよく翻訳紹介されていた。フランス国内外の賞をいくつも取り、1964年にはこれまでの業績により、フランス人ではじめて国際アンデルセン賞に輝いた。
ギヨは多彩・多産の熱血男児で、教師、ハンター、冒険家でありつづけながら、作家としては、動物物語、冒険小説、推理小説、SF小説などさまざまな分野で、百冊以上の作品を発表している。
ギヨの特徴は、こよなく愛し熟知しているアフリカを舞台とした作品をしきりに書いていたということと、筋書とサスペンスで読者をとらえる驚くべきストーリーテラーであるということであろう。国際アンデルセン賞の授賞式では「ギヨは構成と均衡と均整(シンメトリー)をきわめて重んじた」とたたえられたほど、そのロジカルな構成はしっかりしていて、その点ではきわめてフランス的な作家である。しかし、描写はつねに迫真力があるにしても、ストーリー性とサスペンスを追求するあまり設定が非現実的になっている作品があることも否定できない。(『フランスの子どもの本』p173)
ギヨはまた『ピーター・ヒルの乗組員たち(未訳)』Les Équipages de Peter Hill (1946) で戦後初の冒険小説大賞*3を受賞していることからもわかる通り、ミステリの創作にも長けていた。邦訳のある中では『ビュスカンビーユの冒険』L'Aventure de Buscambille (1952) がミステリ要素の強い児童文学である。動物園に寝泊まりしているバイオリン弾きの少年が、町の乞食の元締めらしき怪しい男と出会い、やがて有名な俳優に見出されて映画に出ることになる。そうした少年の出世物語の裏で重大な犯罪が進行しているという、なかなか意外性のある作品だ。ただ、先の評にもあった通り、浮浪者に近い少年がいきなり映画の主役に抜擢されるあたり、「設定の非現実性」の誹りをまぬがれまい。
『377号機関車の男』L'Homme de la 377 (1967) は作者晩年の作品で、ナチス・ドイツ占領中の時代が舞台である。ドイツ軍の軍事物資の輸送を阻止しようとする抵抗派の一員となった十五歳の少年の冒険が描かれる。爆破技術をもって潜入したイギリスの軍人、機関車をわが子のように大事にしている少年の伯父、同じ鉄道マンとして伯父と心を通わせるドイツ人らが絡んで、クライマックスの列車爆破へと向かう。迫力のあるシーンが続き、その意味ではよく出来ているが、やはり人物造形が物足りなく、プロットも納得しがたい部分が多い。
フランスにおけるジュヴィナイル・ミステリで、戦後最も重要な作家はポール・ベルナ *4であろう。初期は童話や名作の再話をしていたが、『宇宙への門』 Le continent du ciel (1954) などSFを書きはじめ、『首なし馬』Le Cheval sans tête (1955) が児童サロン大賞を受賞したことで、作家としての地位を築いた。この作品は『エーミールと探偵たち』の多くの模倣作の中で、ケストナーのものに匹敵する数少ない良作*5とされ、1963年にディズニーで映画化され、日本でも1965年に「首のない馬」の邦題で公開されている。これ以降、多くの作品がミステリー的な手法を用いて書かれているようで、『フランスの子どもの本』でもかなりのスペースを割いて言及されている。1968年には L'Epave de la Berenice(英題The Secret of the Missing Boat)で、フランス人ではじめてMWAのジュヴナイル賞の候補になった。
「首なし馬」とは、古くなって首のとれた木馬型自転車のことで、この自転車に乗って急坂を駆け下りる遊びにふける10人の貧しい子どもたちが、ひょんなことから列車強盗の隠した大金にかかわる物語である。舞台は、住人の多くが鉄道にかかわる仕事にたずさわっている町ルビニー。町の操車場の片隅には、錆びるにまかせて放置された客車が、黒い姿を夕日に浮かべている。10人の少年少女のボス、ガビーはもうすぐ12歳になるため、12歳以上の者は仲間にいれない、という自ら作った規則で、仲間たちと離れる時期が近づいている。
少年たちにとっては宝物だが、実際はクズ同然の首なし馬が、怪しい人物たちに狙われ、ついには強奪されてしまう。少年たちは警察に駆け込み、たまたま暇をもてあましていたシネ刑事が捜査に乗り出すことになる。一方、少年たちも独自の方法で馬の行方を追っていく。篇中、もっとも魅力的なのが、町中の犬を自在にあやつる少女マリオンだろう。集団の中にひとり異能の人物を配置し、それが少女である、という、現在のわれわれにも馴染み深い設定が、すでにここに見られる。「黄金の羅針盤」シリーズで活躍する少女ライラのイメージは、このマリオンらしい。作者のフィリップ・プルマンが幼少時に『首なしうま』を読んで、そこに登場した挿し絵の少女に惚れ、それがライラのイメージにつながったという。*6
なるほど、作家の出世作になっただけあって、よく出来た児童文学だ。ミステリとしては意外な展開があるわけではないが、少年たちが自分たちの宝を取り戻すために、手掛りをたどって犯人にたどりつく過程は、充分にスリリングである。「この作品は児童推理小説の誕生として大きな評価と成功を博した。ギヨやボンゾン(後述)が探偵小説シリーズを書き始めたのも、この本を読んだのがきっかけだという*7」が、先輩作家のギヨはその前からミステリを書いているし、wikipediaでは探偵小説のシリーズは確認できなかった。もう一人のボンゾン(ポール=ジャック・ボンゾン)は1960年代から〈クロワ・ルス探偵団〉シリーズ他、多くのジュヴナイル・ミステリを量産している作家で、次回に取り扱う予定である。
『首なし馬』は貧乏な子どもたちの物語だったが、『尾行された少年たち』Les Peleris de Chiberta (1958)に登場するのは、おじいさんの田舎の家に行こうとする裕福な兄弟である。14歳のダニエルとまだ幼い弟のマヌー、それにマニーのペットねずみのパタポンは、頼りにしていた伯父さんの自動車事故と鉄道ストが重なり、おまけに所持金をだまし取られたため、ふたりだけで家族の待ち合わせ場所であるシベルタに向かうことになる。ダニエルは弟の面倒を見ながら、はじめての子どもだけの旅への不安とかかえ、しかし責任感をもって行動する。そんな彼らを、なぜか尾行する怪しい人物がいた。
物語は推理(謎解き)ものというよりは、いわゆる道中もので、おんぼろ自転車を借りたり、免許取立て男の運転する暴走車に同乗したり、移動中の客車にもぐりこんだり、パリ祭に参加したりと、尾行者の謎よりもそうした旅のさなかのさまざまな出来事が楽しめる。ダニエルとマヌーは途中で自分たちに似た資産家の兄弟と出会うが、彼らもまた、幸せではない。人間の幸福は金で買えるものと密接に結びついているが、金があるだけでは幸福にはなれない。逆に金があるから不幸になるわけでもない。資産家のお礼はちゃんといただいて、お金で買える幸福が必要な人のもとに届くことになる。
もう一冊の『オルリー空港22時30分』 La Kangourou Volant(1957)の舞台は題名どおりオルリー国際空港で、そこには多くの人々が集まって、さまざまな事件が並行しておこっている。アナーキストの爆弾騒ぎ、空港警備に借り出された警官たち、なぜかものをなくしてばかりの陽気なイタリア人、誘拐された科学者、そしてひとりぼっちになった科学者の幼い娘。空港案内所の助手ラファエルを中心にして、アナーキストの空港爆破予告時間の22時30分までの数時間を、緊迫感とユーモアをもって描いていき、3作の中ではもっとも面白かった。また、『首なしうま』にも出てきたシネ警部が再び登場する。よれよれのグリーンのトレンチコートを来た馬づらの刑事で、ルウビィニイから来たことになっているから、間違いなく同一人物だろう。「警部」になっているのは、翻訳のためだけなのか、それとも『首なしうま』事件で手柄をたてたために昇進したのかは不明だが、この作品でも、ユーモラスな役割で座を盛り上げる。
幼い少女が父親から聞いた「世界中の事を知ることが出来る砂ばくのやさしい妖精グロックおじいさん」の存在を信じたラファエルは、港内放送でグロックおじいさんを呼び出す。この物語の白眉は、それに応じて本当に「グロックおじいさん」が現れるシーンで、この部分はミステリとしてもよく出来ている。ただ、爆弾騒ぎや空港警備は、テロリズムが冗談ではすまない現代の目からするとまだまだ牧歌的で、児童文学の世界でも、こうしたユーモアが通じたのは、1950年代から60年代あたりまでなのかもしれない。
この時代のジュヴナイル・ミステリで挙げなくてはいけないのが、スウェーデンの児童文学者アストリッド・リンドグレーン*8の〈名探偵カッレくん〉シリーズである。
北欧は豊かな自然と神話・伝承を持ち、また一般に読書人口が多いとされる。教育に力を入れていることでも知られ、スウェーデンのフェミニストで教育学者エレン・ケイ*9の『児童の世紀』(1900) ではすでに「あらゆる階層の子どもたちを自由に教育し、育てることについて説得力をもって語っている*10」。児童文学も英米仏とは異なる魅力を持っていて、デンマークのアンデルセン、フィンランドのトーベ・ヤンソン*11、スウェーデンのセルマ・ラーゲルレーフ*12など、世界的に著名な作家も多い。また、近年はミステリの分野でも多くの作家を輩出している。
『名探偵カッレくん』(新訳『名探偵カッレ 城跡の謎』)Kalle Blomkvist(1946) は『長くつ下のピッピ』の版元でもあるラベージ&シューグレーン社主催の青少年向け探偵小説のコンクール*13に応募し、受賞した作品である。リンドグレーンは1939年に著名な犯罪学者ハリー・ソーデルマンの秘書として雇われているが、この時の経験がカッレくんシリーズの参考になったと言われる*14。
カッレくんは食料雑貨店の息子で、名探偵に憧れる十三歳の少年だ。冒頭、空想の中でパイプをくゆらせながら、ロンドンの貧民窟かシカゴの暗黒街へと思いを馳せ、将来は名高き名探偵と自分の名前が並ぶことを夢見る。「シャーロック・ホームズ、アスビョルン・クラーグ、エルキュール・ポワロ、ピーター・ウィムジイ卿、そしてカッレ・ブロムヴィスト!」
19世紀末の『宝さがしの子どもたち』で、バスタブル家の子どもたちが探偵行為に乗り出す時のお手本は、ホームズとガボリオーのルコック探偵だった。黄金時代を経た1940年代のスウェーデンの少年が憧れる名探偵の中に、すでにルコックはなく、代わりにポワロとウィムジイ卿が加わっている。13歳の少年がドロシー・L・セイヤーズを愛読し、その主人公に憧れるというのは、なかなかのものである。見慣れぬアスビョルン・クラーグは、ノルウェーの作家ステイン・リヴァートン*15が生みだした探偵で、『怪盗』(荒井詩夢訳、新東京社)や短篇「グランド・ホテル怪事件」(『新青年』1936年夏季増刊号)が邦訳されている。北欧やドイツでは当時、シャーロック・ホームズと並ぶ人気があったらしい。*16
カッレは幼馴染のアンデッシュとエヴァロッタの三人で、別の三人グループと「バラ戦争」と名づけた宝の奪い合いごっこをしている。その合間に探偵として町のあやしい出来事を観察しているのだが、友人たちにはなかなか理解してもらえない。斎藤美奈子は『挑発する少女小説』[河出新書2021]の中で「『長くつ下のピッピ』ほど、主人公の孤独を感じさせる物語もない」と述べているが、谷口俊彦も「悪漢と少年たちの楽園」で「名探偵をもって自任するカッレが時として非常に孤独な存在に感じられる」としている。というのも、空想癖が強いわりには、カッレはどこか醒めているのである。アンディシュが悪人をおびき寄せて捕まえようと提案するのにも、首を振る。
ああ、これまでに名探偵ブロムクヴィストが一ダースもの大悪党をたったひとりでやっつけたことは何度もあった。だが、名探偵ブロムクヴィストと少年カッレは別人なのだ。そしてカッレはときに現実的で、ものごとの道理をよくわきまえている少年だった。
また宝石泥棒逮捕にいたる重要な手掛かりを警察に伝えて、警部に褒められた時も、
「まあ、探偵の基本的な仕事にすぎませんよ」名探偵ブロムクヴィストはこたえたが、すぐに、ただのカッレでいなくてはと気がつき、「たまたま思いついてんです」とあわててつけたした。
つまり、彼は「少年探偵」が現実には通用しないことを理解している少年探偵なのである。彼が名探偵でいられるのは、頭の中で架空の聞き手と会話している時だけなのだ。憧れと現実の狭間で、常に揺れている。無二の友人にも、それは理解してもらえない。
そんなカッレが殺人事件に遭遇するのが、第二作の『カッレくんの冒険』(新訳『名探偵カッレ 地主館の罠』)Mästerdetektiven Blomkvist lever farligt (1951) だ。ここでも、エヴァロッタが死体の発見者となったショックで寝込んだにもかかわらす、探偵として乗り出すのを尻込みする。
いま、カッレは現実に起きたことを、ようやくはっきりと理解した。名探偵でありたいという思いを吹きとばしてしまうほどのショックだった。あざやかな手腕でみごと解決し、それを架空の聞き手に自慢げに話すような、そんな架空の名探偵ではない。実におそろしい、気味の悪い、受け入れがたい現実の事件に、カッレは気分が悪くなりそうだった。そして自分自身を軽蔑した。白状すれば、今日、エヴァロッタのかわりにならなかったことをよろこんでいた。心の底からよろこんでいた。ああ、なんてかわいそうなエヴァロッタ!
かつて、こんな少年探偵がいただろうか。しかし、警察が事件解決に手こずっているとき、普段から観察に怠りなかった彼だけが、ある手掛かりに気づく。一度は挫折したカッレをもう一度、事件に向かわせるのも、やはり脳内の名探偵である
すると、探偵業解禁のその言葉を待ってましたとばかりに、このところ身をひそめていた架空の聞き手が、かけ足で寄ってきた。
「プロムクヴィスト先生、なにをしようとお考えなんですか?」(中略)
「いまいったように、ちょっとした基本的な調査だよ」
カッレは突然、名探偵にもどっていた。それは止めようがなかった。(中略)いまは自分の疑念にじゅうぶんな根拠があるのか、まったく自信がなかったので、探偵であるふりをしてたしかめるしかないと思った。
こうしてカッレは犯人を追いつめる決定的な証拠を手に入れる。それを持って警察署に向かう途中で、親友アンディッシュはこう言うのだ。
「ひとつだけ、はっきりしていることがある」警察署にむかう足を速めながら、アンディッシュはいった。
「なにが?」
「この事件は、カッレ、おまえが手がけろよ。そうでなくちゃ、ぜったいだめだ。おれは最初からそういってただろ」
感動的な少年名探偵の再生がここに描かれている。見事、事件解決したあと、カッレに脳内の聞き手が静かに近づいてくる。
「ブロムクヴィスト先生、今度はまた殺人犯を捕まえるのに、ご活躍なさったそうで」架空の聞き手は、おべっかを使うようにいった。
突然、カッレ・ブロムクヴィストの中に怒りが燃えあがった。(中略)
「ばかなことをいわないでくれたまえ。殺人犯を捕まえたのは、ぼくじゃない。警察が捕まえたんだ。(中略)ぼくは、自分の人生で殺人犯を捕まえようとは思わない。もう探偵ごっこはおしまいにする。いろいろと面倒なことにかかわるだけだからね」
そこにアンディッシュとエヴァロッタがあらわれ、三人は元気よくバラ戦争に向かう。この物語の最後は、こうしめられている
そのあいだに架空の聞き手は姿を消し、どこかへ行ってしまった。まるで夏の風にさらわれたかのように、だれも気づかぬうちに、そっと消えていった。
明らかにこれは、子ども時代の終わりを暗示している。それは少年探偵の消滅でもあった。このシリーズはここで終わりでもよかったが、もう一作、カッレたち三人の仲間が国際スパイ事件に巻き込まれる『名探偵カッレと黒スパイ団』(新訳『名探偵カッレ 危険な夏の島』)Kalle Blomkvist och Rasmus (1953) が書かれた。子ども時代を終えかけている彼らは、この作品で、もっと天真爛漫で無邪気な五歳のラスムスに出会う。彼を守るためエヴァロッタは母性を発揮し、カッレとアンディッシュは雄々しく悪に立ち向かう。リアリティラインが前二作とは違っているのは、作中のこんな会話にも表れている。
「まったくおかしいじゃないか。ぼくたちだけが、いつもいつも事件にぶつかるなんて……」
「たしかに」アンディッシュも同意した。「こういうのって、物語の世界の話だよな」
「そう、これも物語の世界の話さ」
「どういうこと?」
「ぼくたちは、だれかが思いついた物語の中にだけ存在するんだ」
自らを物語の登場人物と感じている少年探偵! しかし、これはディクスン・カーの『三つの棺』の例とは違って、処理しきれない災難に陥った子どもの実感でもあろう。手塚治虫が大阪大空襲のさなかに、「僕はマンガの登場人物だ」と思ったというエピソードを想起する。
この時期のスウェーデンのジュヴナイル・ミステリとしては他に、どちらもユーモラスなオーケ・ホルムベルイ*17の私立探偵スベントン・シリーズと、ニルス=オルフ・フランセン*18のアガトン・サックス・シリーズがある。
私立探偵スベントン・シリーズは第一作の『迷探偵スベントン登場』 Ture Sventon, privatdetektiv (1948) 以降、1973年のTure Sventon i Venedig まで9作あり、その他に絵本でも活躍している。そのうち五作が眉村卓によって邦訳されているが、あいにく読むことができなかった。ネットで知りえた限りでは、ストックホルムで開業している私立探偵で、シュークリーム好き(舌足らずたため、チュークリームとしか言えない)。空飛ぶ絨毯や「何でも入る魔法の冷蔵庫」を駆使するとのことだ。
一方、アガトン・サックスは1955年から1978年にかけての全11冊で活躍する。小さな地元紙を経営している小太りの男で、口ひげとプラム色の帽子がシンボル。すぐれた語学力を駆使して、さまざまな事件を解決する。三作が邦訳されているが、ユーモアの質がどうも肌にあわず、面白さが理解できなかった。
日本は第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたものの、戦後数年であらゆる分野で新たな出発をはじめる。探偵小説でみれば、敗戦の翌年には早くも〈宝石〉〈ロック〉などミステリの専門誌が創刊され、両誌には横溝正史の『本陣殺人事件』(1946連載)、『蝶々殺人事件』(1946-47連載)が連載された。戦前は伝奇時代小説の第一人者だった角田喜久雄も『高木家の惨劇』(1947)などの謎解き長篇を執筆し、一般文壇から坂口安吾が『不連続殺人事件』(1947)で参入。また〈宝石〉から登場した新人たち、特に「戦後派五人男」といわれた高木彬光、山田風太郎、島田一男、香山滋、大坪砂男が精力的な活躍をはじめた。
児童文学は戦前の大衆児童文学者を動員した世界名作の翻訳出版からはじまり、その中には海野十三によるホームズ譚、『まだらの紐』もあった。〈赤とんぼ〉をはじめとする「良心的」児童雑誌が多く創刊され、そこに「この時期もっとも注目すべき作品」*19とされる竹山道雄の『ビルマの竪琴』(1947-48連載)も載った。この作品はミステリ的な要素も多く持っている。*20戦後まもない時期の注目すべき作品に、木々高太郎の『少年珊瑚礁』(1948) がある。
これは科学冒険小説集と名づけられた短編推理小説集。(中略)少年を中心に、科学的なきっかけで何か事件が解決されるという短編をいくつか集めているこの本は、今でもそのまま読んでも面白いと思います。(中略)アイディアの独創と、精確な情景描写は。いつの時代の読者もうなずかせます。(「日本児童文学の流れ」(平成17年度国際子ども図書館児童文学連続講義議事録)内の神宮輝夫「子どもの文学の新周期―1945-1960」)
しかし、1949年から1951年にかけて「良心的」児童雑誌はすべて廃刊となり、かわって登場したのが大衆的娯楽児童雑誌である。1947年の〈痛快少年〉からはじまり、1951年までに20誌以上が創刊されている。そこでは探偵小説が大きな一画を占めていた。まず、1948年に横溝正史が『怪獣男爵』を書きおろし、続く1949年に江戸川乱歩の『青銅の魔人』で少年探偵団が活動を再開する。この流れが、やがて「怪魔もの」の流行につながる。「怪魔もの」とは、主にこれら大衆的娯楽児童雑誌に掲載され、のちに単行本化された小説の題名に「怪」や「魔」の字が多く用いられることからきた蔑称である。その内容は時代もの、秘境冒険もの、SFなどもあったが、多くは探偵小説(通俗スリラー)だった。こうした「怪魔もの」は1950年を境に勢いをまし、1955年ごろまで児童出版界を席巻した。
「怪魔もの」を多く単行本化したのはポプラ社の〈探偵・冒険〉シリーズと、偕成社の〈冒険・探偵〉シリーズである。やはり探偵と冒険は密接なつながりがあるのだ。両叢書で合計200冊近くあり、そこでは江戸川乱歩、大下宇陀児、横溝正史、角田喜久雄ら戦前から活躍する探偵作家だけでなく、橘外男、香山滋、高木彬光、島田一男の戦後派探偵作家たち、さらに柴田錬三郎や西城八十のように他分野の作家も動員された。また児童向け専門の作家では、久米元一、寒川光太郎、持丸良雄などがいる。江戸川乱歩は『探偵小説四十年』のなかで、「戦後の探偵作家は、大人ものを書き出したかと思ったらすぐに少年ものに手をつけ、収入の大半を少年ものから得ているというような人が多くなった。」と当時を回顧している。
大衆作家が児童向けの娯楽作品を執筆するということでは、戦前の〈少年倶楽部〉に例えられるだろう。しかし〈少年倶楽部〉の作品が佐藤忠男や二上洋一らによって再評価されたのと比べ、「怪魔もの」はそのほとんどが歴史の中に埋もれてしまった。著名作家の作品が再刊されることや、珍品として紹介されることはあっても、全体を通してのまとまった評価・考察は見かけない。谷口俊彦は「怪魔もの」が消えていった理由として、「支持層をマンガなどの視覚メディアに奪われたから*21」とし、二上洋一は(「怪魔もの」だけでなく大衆的児童文学=少年小説全般が)「衰退は当事者である作家の責任ではなかったのである。時代の趨勢は、変貌を遂げたまんがの時代に移りつつあったのである。*22」としている。たしかに創世期の児童マンガの魅力は多くの人々によって、さまざまな角度から愛情をこめて語られている。それに比して、この時期の娯楽小説はなかなか顧みられず、あまりにもさびしい現状である。
一方、「良心的」児童文学作家も模索を続けていた。そのひとりに国分一太郎*23がいる。彼の長篇『鉄の町の少年』(1954) は、「労働組合結成運動のなかで、少年工たちが、組合とは何か、労働者が人間らしく生きていくとはどういうことかを学んでいく*24」作品だが、最初に想定された題名は「ぼくらは探偵をしたかったのです」*25だった。凹版印刷機のインキ吸い取り用の皮が大量に盗まれ、山形から来た見習少年工五人が「少年探偵エーミール」を思い出しつつ、力をあわせて探偵をはじめるのだ。時代背景もあって子どもたちを善導しようという意識が高く、現在読むと少々苦しいのだが、途中で、父親が政治犯として捕らえられていた少女美恵子が仲間に加わるあたりは楽しい。国分自身、「長篇を書くためには謎解きプロットを用いるのが一番のコツだ」と述べていたという*26。戦後初期の児童文学においても、「少年探偵」は子どもたちに興味を持って読んでもらい、またテーマを浮かび上がらせる上で、有効なアイテムであった。しかし、刊行当初から評価がわかれた。
それぞれの少年主人公が十分に書ききれていないといった問題もあるのですが、それ以外に「長篇が出てきたのは喜ばしいが、探偵小説なぞというものの形式を真似ているのはどうもね」といった意見があるのです。要するに「探偵小説』という通俗的な、娯楽的な、読み物的なものなんぞの力を借りているのは、当時の児童文学界ではマイナス要因でした。(佐藤宗子「エンターテインメントの変遷」)
成人向けを含めて、当時の探偵小説の一般的なイメージは「俗悪なスリラー」であり、実際そういう作品もあふれていた。児童向けでは、すでに述べた「怪魔もの」がその典型である。そうした俗悪さこそが魅力でもあるのだが、それは現在だから言えること。当時の親たちに眉を顰められたのも、ある意味、仕方のない面もあった。そのため、当時刊行されていた娯楽要素の強い児童書には、教育者や著名な児童文学者たちによる「ためになる」要素を力説する推薦文が載っていた。SFは科学的な知識や思考を伸ばすため、探偵小説は理詰めで物事を考えることや、悪を憎む心をはぐくむため等々。そうでもしなければ、親の購買を促せなかったのだ。
その好例が早川書房が出した〈ジュニア・ミステリ〉叢書(1957-12~1958-09)で、前回紹介したエラリー・クイーン名義のジュニア向け作品を8冊、訳者に西脇順三郎、福田恒存(中村保男)、石井桃子、村岡花子など、名だたる文学者・児童文学者を集め、上品な装幀で出版した。各巻には訳者の前書きがあり、解説は都筑道夫が担当して、それぞれが知的な読物であるミステリの魅力を語る構成になっている。
戦後の探偵小説の創作は1950年代になると低迷し、かわりに欧米ミステリの翻訳が活況を呈していた。新樹社、雄鶏社、日本出版共同、東京創元社などがきそって海外ミステリの叢書を刊行し、なかでも早川書房は1953年からはじまるハヤカワ・ポケット・ミステリ、通称ポケミスと、1956年の〈EQMM〉日本語版の創刊で、その中心的存在となった。翻訳出版を通して、探偵小説を俗悪なイメージのものから、ミステリという知的でセンスのいい読物へと変えていったのだ。その手法を児童書にも適用したのである。
ここで戦後、1950年代までの児童向け探偵小説の叢書を概観しておこう。1947年にはじまる光文社の〈少年探偵江戸川乱歩全集〉はご存じ明智小五郎対怪人二十面相のシリーズを戦前作品を含めて刊行していったもので、1960年まで23巻を刊行。のちに大人向けの乱歩作品をリライトしたポプラ社の〈名探偵明智小五郎文庫〉(1957~1963)と合わせて、ポプラ社版〈少年探偵江戸川乱歩全集〉全46巻(1964~1973)となる。これが長年、学校図書館や児童図書館で見られた乱歩作品である。同様に児童図書館で人気のあったのがポプラ社の〈名探偵ホームズ全集〉全20巻(1956~1957)と〈怪盗ルパン全集〉全30巻(1958~1980)。前者は山中峯太郎、後者は南洋一郎のリライトで親しまれた。特に〈怪盗ルパン全集〉はルブランの原作がなくなったあとも、ボアロー=ナルスジャックの贋作まで収録した、息の長いシリーズとなった。後年、原稿が発見された『ルパン最後の恋』まで那須正幹によるリライトを同様の装幀で出している。ルパンものでは、戦前から翻訳に携わった保篠竜緒による〈探偵名作少年ルパン全集〉全12巻(1955~1956) が講談社から出ている。
海外作品のリライトものでは、ポプラ社の〈世界名作探偵文庫〉(1954~1957) が戦後最初の叢書である。全30巻で企画されたが、山中峯太郎訳のホームズものの人気が高かったのか、前出の〈名探偵ホームズ全集〉へと独立させ、抜けた巻を別の作品で埋めていったため、同じ巻番号で二種類の作品があるというおかしなことになっている。ホームズ、ルパンのほか、サックス・ローマー、ボアゴベイ、マッカレー、フレッチャー、サッパー、ブースビーなど、戦前人気のあったスリラー系の作品が中心だった。一方、講談社の〈少年少女世界探偵小説全集〉全23巻(1957~1959) は装幀こそ垢ぬけないが、ディクスン・カー、エラリー・クイーン、クリスティ、ヴァン・ダイン、クロフツ、アイリッシュ、ミルン、E・S・ガードナーなど、謎解きミステリや新しいタイプのサスペンスものを多く取り入れた構成である。なかでもクイーンは、早川書房に先駆けてリライトではないオリジナル・ジュヴナイルのジュナ・シリーズを三冊出しているのが特筆に値する。わずか数年の違いであるが、両叢書には編集方針に大きな違いがあった。1955年あたりを境にして「怪魔もの」が廃れていったように、海外作品の紹介も変わっていったのだ。
オリジナル・ジュヴナイルとしては、保育社の〈少年少女探偵冒険全集〉全25巻(1957~1958) がストラテマイヤー・シンジケート作品を中心に編まれたものだ。ハーディー・ボーイズが15冊、ナンシー・ドルーが4冊の他、マーガレット・サットン、フランシス・ジュッド(ジャッド)などアメリカ産のジュニア・ミステリが入っているなかで、一冊だけ、イギリス作家R・J・マックレゴア(マグレガー)の『マッキー探偵団』があるのが目を引く。このあたりは第三回・第四回ですでに紹介した。一部にミステリを含めたリライト系の叢書では、偕成社の〈名作冒険全集〉全45巻(1957~1962) がある。動物物語、秘境冒険、歴史ロマンス、SFと幅広いジャンルで構成され、探偵小説はホームズとルパンがそれぞれ4冊(ホームズものは『地球さいごの日』にも二篇併録)あてられた。
日本作家のものでは、前出のポプラ社〈探偵・冒険〉シリーズと偕成社〈冒険・探偵〉シリーズの他に、少し遅れてポプラ社の〈日本名探偵文庫〉全25巻(1955~1957) が刊行された。江戸川乱歩、大下宇陀児、海野十三、角田喜久雄、甲賀三郎、水谷隼、久米元一、島田一男らの名探偵ものを集めたもので、大人向けの作品のリライトを多く含んでいる。これ以降、日本作家による探偵叢書は、ポプラ社が〈少年探偵小説全集〉(1960~1961) を全20巻で企画したものの10巻に変更されたように振るわなくなり、以前の叢書の再刊をのぞいては刊行されなくなった。怪奇スリラーはすでに古臭いものになっていたのかもしれない。
成人向けミステリの分野では、『黒いトランク』(1956) の鮎川哲也、『猫は知っていた』(1957) の仁木悦子、『点と線』(1958) の松本清張、『天狗の面』(1958) の土屋隆夫、『ひげのある男たち』(1959) の結城昌治、『一本の鉛』(1959) の佐野洋たちが登場し、60年代にかけて活躍する。その多くは怪奇テイストを廃した現代的な作風であった。そうした流れの中で、戦前から戦後初期にデビューした作家たちも作風を変えざるを得なくなっていく。こうしてミステリが変化していったように、児童文学にも大きな転換期が訪れようとしていた。
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◆参考資料
「悪漢と少年たちの楽園~ジュヴナイル・ミステリ雑考」谷口俊彦[『帝王』9号/1978]→「悪漢と少年たちの楽園」と表記
The Oxford Companion to Children's Literature (1984) 『オックスフォード世界児童文学百科』ハンフリー・カーペンター、マリ・プリチャード編/神宮輝夫=監訳[原書房 1999]→『世界児童文学百科』と表記
The Oxford Companion to Children's Literature 2nd edition (2015) 『新版オックスフォード世界児童文学百科』ダニエル・ハーン編/白井澄子・西村醇子・水間千恵=監訳[原書房 2023]→『世界児童文学百科/新版』と表記
『はじめて学ぶ日本児童文学史』鳥越信編編[ミネルヴァ書房 2001]
『フランスの子どもの本』私市保彦(さきいち やすひこ)[白水社 2001]
『挑発する少女小説』斎藤美奈子[河出新書 2021]
『少年小説の系譜』二上洋一[幻影城 1978]
「推理小説叢書目録/3.児童書篇」芝隆之編[『帝王』9号/1978]
「第6回 北欧その3 ノルウェー編(執筆者・松川良宏)」翻訳ミステリーシンジケート https://honyakumystery.jp/1377132012
「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(2)北欧編」アジアミステリリーグ https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/206.html
「日本児童文学の流れ」平成17年度国際子ども図書館児童文学連続講義議事録 https://www.kodomo.go.jp/about/publications/trans/2005
「日本の子どもの本100選」大阪国際児童文学振興財団 http://www.iiclo.or.jp/100books.htm
Wikipedia (日本語版/English版/フランス版/スウェーデン版)
◆作品案内
『一角獣の秘密』La Légende des licornes (1953) ルネ・ギヨ/塚原亮一訳[学習研究社/少年少女・新しい世界の文学]
『ビュスカンビーユの冒険』ルネ・ギヨ/安東次男訳[河出書房新社/少年少女世界の文学]
『377号機関車の男』L'Homme de la 377 (1967) ルネ・ギヨ/安東次男訳[学習研究社/少年少女サスペンス冒険篇]
『ミシェルのかわった冒険』 L'extraordinaire aventure de Michel Santanrea (1951) ルネ・ギヨ/波多野完治訳[あかね書房/国際児童文学賞全集 1965]→[福武文庫 1990]
『首なし馬』Le Cheval sans tête (1955) ポール・ベルナ/那須辰造訳[講談社/少年少女世界文学全集 1961]→[講談社 1965]/花輪莞爾訳[偕成社文庫 1977]
『オルリー空港22時30分』 La Kangourou Volant(1957)上野瞭訳[学習研究社/少年少女・新しい世界の文学]
『尾行された少年たち』Les Peleris de Chiberta (1958)ポール・ベルナ/榊原晃三訳[学習研究社/少年少女サスペンスシリーズ推理編]
『児童の世紀』エレン・ケイ/小野寺信・小野寺百合子訳[冨山房百科文庫 1979]
『名探偵カッレくん』Kalle Blomkvist(1946) リンドグレーン/尾崎義訳[岩波少年文庫]/『名探偵カッレ 城跡の謎』菱木晃子訳[岩波書店]
『カッレくんの冒険』Mästerdetektiven Blomkvist lever farligt (1951) リンドグレーン/尾崎義訳[岩波少年文庫]/『名探偵カッレ 地主館の罠』菱木晃子訳[岩波書店]
『名探偵カッレと黒スパイ団』Kalle Blomkvist och Rasmus (1953) リンドグレーン/尾崎義訳[岩波少年文庫]/『名探偵カッレ 危険な夏の島』菱木晃子訳[岩波書店]
『少年珊瑚礁』(1948) 木々高太郎[湘南書房]
『鉄の町の少年』(1954) 国分太一郎[新潮社]/[講談社 1962]/[ポプラ社/新日本少年少女文学全集36 1966]/[小峰書店 1967]/[小峰書店/国分太一郎児童文学集 1968]/[講談社/少年少女日本文学全集18 1977]
■スベントン・シリーズ オーケ・ホルムベルイ作
『迷探偵スベントン登場』 Ture Sventon, privatdetektiv (1948) 眉村卓訳[講談社/世界の児童文学名作シリーズ]
『私立探偵スベントン1 ストックホルムのひまなし探偵』 Ture Sventon, privatdetektiv (1948) 眉村卓・ビアネール多美子訳[講談社 1973]
『私立探偵スベントン2 北極怪盗とさばくの怪職人』 Ture Sventon i öknen (1949) 眉村卓・ビアネール多美子訳[講談社 1973]
『私立探偵スベントン3 ねことり怪人と地下室ギャング』 Ture Sventon i London (1950) 眉村卓・ビアネール多美子訳[講談社 1973]
『私立探偵スベントン4 デパート怪人はにおいなし』 Ture Sventon i varuhuset (1968) 眉村卓・ビアネール多美子訳[講談社 1973]
『私立探偵スベントン5 おばけ屋敷と四つの怪事件』 Ture Sventon i Spökhuset (1965) 眉村卓・ビアネール多美子訳[講談社 1973]
■アガトン・サックス・シリーズ ニルス=オルフ・フランセン作
『アガトン=サックスの大冒険』Agaton Sax klipper till (1955)/Agaton Sax och den ljudlösa sprängämnesligan (1956) 鈴木武樹訳[学習研究社/少年少女学研文庫 1968]
『アガトン・サックスとダイヤモンド泥棒たち 名探偵アガトン・サックス1』Agaton Sax och de slipade diamanttjuvarna (1959) 山岡武訳[評論社/児童図書館・文学の部屋]
*1:René Guillot (1900-1969) 高校で数学を教えながら、狩りに夢中になり、またアフリカの民俗に興味を持つ。1929年からからアフリカを舞台にした小説を多数執筆。戦後は児童向けの作品を多く書くようになった。
*2:『フランスの子どもの本』/なお、同署『幸福な仲間』では1948年作となっているが、Netで確認したところ、ほとんどが1950年初刊となっている。
*3:名前の印象とは違ってミステリの賞。ステーマンの『六死人』、ボアローの『三つの消失』、シャルル・エクスブライヤの『パコを憶えているか』、夏樹静子の『第三の女』、ポール・アルテの『赤い霧』などが受賞している。
*4:Paul Berna 本名Jean Sabran (1908-1994) 南仏イエール生まれ。18歳の時に母親の再婚でパリに住むようになり、職を転々としながら作家をめざす。
*5:『世界児童文学百科』/「エーミールと探偵たち」の項
*6:『「ライラ」からの手紙~フィリップ・プルマン』マーガレット・S・ユアン/中村佐千江訳[ぶんげい 2007]
*7:『フランスの子どもの本』
*8:Astrid Lindgren (1907-2002) 高校を卒業後、新聞社の校正係やいくつかの企業・団体の秘書を経て、創作活動に入る。第二作の『長くつ下のピッピ』(1945) で世界的に有名に。
*9:Ellen Key (1849-1926)
*10:『世界児童文学百科』「スウェーデン」の項
*11:Tove Jansson (1914-2001) ムーミン・シリーズが有名。
*12:Selma Lagerlöf (1858-1940) 女性初のノーベル文学賞受賞者。『ニルスのふしぎな旅』(1906-07) で知られる。
*13:『ピッピ』も同社のコンクールの受賞作。また探偵小説のコンクールはこれ一回だったようだ。
*14:wikipedia
*15:本名 Sven Elvestad (1884-1934)日本ではこちらの名前で邦訳されている。
*16:翻訳ミステリーシンジケート「第6回 北欧その3 ノルウェー編(執筆者・松川良宏)」 https://honyakumystery.jp/1377132012 //「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち(2)北欧編」 https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/206.html
*17:Åke Holmberg (1907-1991) ストックホルム生まれ。ストックホルム大学で文学士号を取得し、博物館で数年働いたのち、1946年より専業作家となる。
*18:Nils-Olof Franzén (1916-97)
*19:『はじめて学ぶ日本児童文学史』p298
*20:「戦後ジュヴナイル・ミステリの系譜(3)」https://mystery-ym.hatenablog.com/entry/20090725/1248509448#fn-33fc75c8
*21:「悪漢と少年たちの楽園」
*22:『少年小説の系譜』
*23:(1911~1985) 山形県生まれ。尋常小学校で綴り方教育に打ちこむが、自由主義的思想を問題視されて教職を追われ、治安維持法により検挙される。戦後は教育雑誌の編集をしつつ、生活綴方の発展に尽力。『鉄の町の少年』で第5回児童文学者協会児童文学賞を受賞した。
*24:『はじめて学ぶ日本児童文学史』
*25:(大阪国際児童文学振興財団「日本の子どもの本100選」 http://www.iiclo.or.jp/100books/1946/htm/frame011.htm/解題・書誌作成担当 大藤幹夫。なお、「ぼくらは探偵をしなければならない」とした資料もある。
*26:「日本児童文学の流れ」(前出)内の佐藤宗子「エンターテインメントの変遷」
1939年のドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦がはじまった。アメリカはしばらく孤立主義を保っていたが、1941年12月の日本による真珠湾攻撃でついに参戦。男性が戦場に向かったため、軍事工場や基幹産業で女性が働くことが必要不可欠となる。これがアメリカの女性が本格的に社会進出をするきっかけとなった。1940年代になって、アメリカの少女向きの娯楽小説に、職業を持つ若い女性探偵(キャリアガール探偵 career girl detective )が登場してくるのは、こうした世情と無関係ではあるまい。
それを最も端的に証明しているのが、ヘレン・ウェルズ*1が送り出した看護師探偵チェリー・エイムズ Cherry Ames である。『看護学生チェリー・エイムズ(未訳)』Cherry Ames, Student Nurse (1943) で登場した彼女は、第三作の Cherry Ames, Army Nurse (1944) で陸軍付きの看護師となり、戦場に向かう。少女たちは、お姉さんの活躍を憧れをもって読むとともに、女性の社会的な義務を学ぶことになる。
チェリー・エイムズ・シリーズは、第二次世界大戦中に連載が始まって以来、累計500万部以上を売り上げている。一時期は、著者に年間2万ドルの収入をもたらしていた。最初の数冊はミステリーではなく、看護職を愛国的に称賛する内容で、少女たちに自分たちの存在が社会で必要とされていることを学ばせるためのものだった。戦争がそれを可能にしたのだ。(The Girl Sleuth by Bobbie Ann Mason p.108)
戦争が終わり世の中が落ち着くと、チェリーは探偵をはじめる。シリーズは1968年まで27作あるが、当時の少女向けシリーズに登場する看護師ヒロインたちは医者との結婚というゴールが待っていたのに比べ、チェリーは最後まで若い独身女性のままだったようだ。彼女は家庭に落ち着くよりも、探偵として活躍を続ける道を選んだ。シリーズが継続する限り年を取らず、ひとつの事件が終われば次の事件が待っている――それはシリーズ探偵の宿命なのだが、少女探偵の場合、いつまでも成長しない(できない)キャラクターがより鮮明になる。
チェリー・エイムズが探偵として活躍するのは、偶然の産物だ。彼女は看護師であり、非常に有能で、鋭い観察眼と冷静な判断力を持ち合わせているため、病院のようにベッドをきれいに整えるのと同じくらい巧みに、厄介な状況を解決してしまう。チェリーの事件は、ナンシー・ドルーのような勇気と行動力を必要とすることはほとんどない。むしろ、彼女の魅力は、独立心旺盛で勤勉、自由奔放で気ままなキャリアガールにまつわる華やかさとロマンスにある。彼女は聡明でシックだが、外見にはあまり注目が集まらない。患者や上司から賞賛される数少ない場面を除けば、チェリーはほとんど色気を感じさせない。(The Girl Sleuth by Bobbie Ann Mason p.109)
ヘレン・ウェルズが創り出したもうひとりの探偵ヒロインにビッキー・バー Vicki Barr がいる。飛行機の客室乗務員(当時の呼び名でスチュワーデス)で、『銀翼の少女』Silver Wings for Vicki (1947) に初登場し、1964年までの16作で活躍する*2。
ビッキー・バーは、チアリーダーのような親しみやすさを持ち合わせた、粘り強く独立心旺盛な若い女性だが、彼女の最大の関心事は謎解きであり、それは彼女のフライト中に頻繁に起こるようだ。彼女は冒険を渇望し、手腕に優れた探偵でもある。賞賛の言葉は嬉しいが、無力な女性についての男性の陰口は許さない。(中略)
ヴィッキーは抜け目がなく、ロマンチックで、繊細でありながらも芯が強い。香水とハイヒール、そしてゆったりとしたドレスを好んで着る。青い制服を誇りに思っている。彼女の描写は、キャリアガール探偵の作品に潜む深いパラドックスを明らかにしている。つまり、「外観」を保ち、実際とは違うように見せることは、深く「女性的」とされているのだ。同時に、見た目とは違う自分、つまり美貌だけでなく知性、脆さだけでなく強さ、人間らしさと女性らしさ、そして妖精のような繊細さだけでなく確かな筋肉を持つこともまた、驚きでなのである。少女たちは、小さく、華奢で、女性らしく、劣っているという感覚に共感する一方で、男性たちと肩を並べ、強く、近寄りがたく、世慣れていて、自由であることもできるのだ。(The Girl Sleuth by Bobbie Ann Mason p.111-112)
邦訳のあるキャリア・ガール探偵にコニー・ブレーヤー Connie Blair がいる。『鏡の中の顔』 The Clue in Blue (1948) で登場し、1958年までの12冊で活躍した。作者のベッシー・アレン Betsy Allen は本名のベティ・カヴァナ*3の他、Elizabeth Headley 名義などを用いて長期にわたり多くの児童読物を書き、1970年と1972年にはエドガー賞の最優秀ジュヴィナイル部門にもノミネートされた実力派作家である。
コニーは第一作ではファッション・デザイナーをしている叔母のつてで、学生モデルをしつつ事件にかかわるが、その後、広告代理店の受付係を経て、コピーライターへとキャリアを積むようだ。双子の妹がいる設定は、第一作では活かされていない。「このシリーズは、外見、人気、そして女性らしさを、ビジネス界への参入における身分証明書として強調している。コニーは承認を得るため、情報を得るため、昇進するため、意識的に自分の性別を利用する」と、The Girl Sleuth の著者ボビー・アン・メイソンが全く評価しないのは、次のような描写が頻発するためらしい。
彼女は彼の腕に手を置き、どんなに強い男でも心を溶かすような視線で彼を見つめた。(The Yellow Warning /1951)
こういう描写は、この時代の女性探偵の一般的な手段とはいえ、少女が読む作品で使われると、さすがに今となってはきびしいだろう。(邦訳では、まだ若い頃だからか、それとも翻訳のためか、そういったシーンはなかった)
看護婦やスチュワーデスや広告業界は、当時の少女にとって憧れの職業だった。そこで働くヒロインを通じて、仕事の具体的な内容や重要性を示し、苦労や困難を乗り越える主人公の達成感や人間的な成長を描くだけでもよかったはずである。1930年代に生れた職業小説*4という児童文学のジャンルも存在した。なぜそこに探偵行為が必要だったのだろうか。
少女探偵は、児童文学において女性に与えられる最高の役割であり、特定の職業よりも自由度が高い役割である。少女は仕事よりも探偵活動を通して承認を得て成功を収める。探偵活動は彼女に頭脳を働かせる機会を与える。チェリーとビッキーは探偵活動を心から愛しているが、彼女たちはより重要な任務を担う男性のアシスタントに過ぎない。献身的な奉仕の副次的な恩恵は、異国情緒あふれる場所、魅力的な人々、謎、足跡、そして手がかりである。このように、これらの本は男性的な世界観に基づいている。職業小説は、少女を正式に社会に送り込み、結局のところ美化されたメイドサービスに過ぎない仕事に対して報酬を与えることで、女性らしさの標準的な繊細さ、従順さ、そして退屈さを美化している。少女は自分の才能を活かすためには、謎を詮索するしかないのだ。(The Girl Sleuth by Bobbie Ann Mason p.123)
少年向けのジュヴナイル・ミステリには、このようなリアルな職業につく探偵ものがあまりなく*5、少女向けの作品にのみ多数あるのか。その答にもなっているだろう。
読者が興味のある職業の業務内容を紹介するとともに、その職場で働く人が探偵となって事件を解決するミステリは、現在の日本にも多数ある。本屋、古本屋、図書館、珈琲店、スープ屋、出版社などなど、探偵のいる職場は枚挙にいとまがないほどだ。1940年代から1950年代のアメリカでは、それが少女小説の一分野として提供されていたのである。
もちろん、キャリア・ガールだけではない。ナンシー・ドルーやハーディー・ボーイズは第二次大戦中も戦後も変わらぬ活躍をしているし、ジュディ・ボルトン・シリーズは戦中の数年の空白の後、1946年から再開している。そこに強力な新メンバーが加わった。少年探偵ジュナのシリーズだ。
邦訳ではすべて作者はエラリー・クイーンとなっていて、本についた解説でもアメリカの著名な二人組探偵作家が書いたとあるが、本国ではエラリー・クイーン・ジュニア名義で発表され、実際の執筆はサミュエル・ダフ・マッコイ Samuel Duff McCoy 他、複数のゴーストライターによるものだった。第一作『黒い犬の秘密』 The Black Dog Mystery (1941) 以下、1954年までに8作が上梓され、さらに1966年にもう一作追加された。
ジュナはもともと国名シリーズでクイーン家の召使として登場していた少年の名だが、ここで探偵として活躍するのは同じ名前の別の少年である。おばのアニー・エラリーと暮らし、愛犬のチャンプを連れて銀行強盗やにせ札犯、隠された宝物などの事件で活躍する。戦中の数年に発表のブランクはあるが、戦後の作品を読んでも戦争の影はない。本人が書いたのではなくとも、(欧米ではめすらしい)著名作家の名義で発表されたためか、ジュナの推理も一般的なジュニア・ミステリよりは多少味がある。日本で1957年から講談社と早川書房で翻訳されたのも、新しい海外ミステリ紹介の意味があったのだろう。
以上、アメリカのジュニア・ミステリに対し、この時代のイギリスで数多くの児童ミステリを書いた作家にイーニッド(エニード/エニド/イーニド)・ブライトン*6がいる。1920年代から執筆をはじめ、生涯に700冊を超える作品を発表した。作品の傾向は多岐にわたり、詩や戯曲、ファンタジー童話、学園物語も多い。1938年の The Secret Island あたりから冒険小説を書きはじめ、以後、多作なベストセラー作家になった。邦訳もされたミステリ系の作品として、フェイマス・ファイブ・シリーズ(The Famous Five 1942年から1963年まで21冊)や〈五人と一匹〉シリーズ(The Five Find-Outers 1943年から1961年まで15冊)、シークレット・セブン・シリーズ(The Secret Seven 1949年から1963年まで15冊、短篇7作)、〈冒険〉シリーズ(1944年から1955年まで8冊)などがある。各シリーズはめちゃくちゃ多いわけでもないが、この他にも多数のシリーズがあり、一人の作家が書いた記録としてはトップクラスだろう。
フェイマス・ファイブ・シリーズはランサムの影響が濃い休暇物語で、海辺の町に休暇でやってきた三人兄妹と、そのいとこの少女、それに少女の愛犬を入れた五人組の冒険が描かれる。このいとこの少女ジョージーナが、男名前のジョージと呼ばれないと答えない、若草物語以来の伝統的な〈おてんば娘〉で、冒険を主導する。これに毎回、誘拐事件や密輸業者、宝石泥棒などがからむ。休暇のたびにあちこちに出かけるが、登場人物たちはいつまでも歳をとらない。抄訳ではあるが、実業之日本社で第六作まで翻訳されている。
対して〈五人と一匹〉シリーズは主に町でおこる事件を描き、冒険よりも探偵活動が中心となる。二組の兄妹に、町に引っ越してきた少年、それに少年の愛犬が仲間となって、さまざまな事件を解決する。かつて実業之日本社から第八作まで翻訳され、近年、早川書房で第一作の完訳が出たものの、後が続かなかったのは残念である。全員が比較的裕福な家庭の子どもたちで、町に引っ越してきた少年が問題児(のちにグループを先導して探偵役となる)というものフェイマス・ファイブ・シリーズと似ていなくもない。シークレット・セブン・シリーズにも七人グループに愛犬がいるし、〈冒険〉シリーズも二組の兄妹にオウムのチームだから、ブライトンの得意とするところなのだろう。
邦訳されたシリーズをいくつか読んでみると、たしかに読後感はみな似たようなものだが、事件や冒険のエピソードはそれぞれ工夫がこらされ、全体に軽い味付けなこともあって、案外読み飽きない。このあたりが、長年シリーズを続けられた要因なのに違いない。娯楽読み物は傑作が一作よりも(それも重要だが)、似たような作品が無数に必要なのである。
邦訳はないものの、この時期のブライトンと似たような作品に、マルコム・サヴィル*7の〈ローン・パイン〉シリーズがある。1943年から1978年までの35年間にわたって書かれ、大人の監視なしに子どもたちが冒険をしたり、奇妙な場所を探検したり、悪者と遭遇したりする〈フェイマス・ファイブ〉に似た冒険物語らしい。
こうした娯楽作品とは別に、戦後のイギリスの児童文学には新しいタイプの作家が次々と登場する。『人形の家』(1947) のルーマー・ゴッデン、〈ナルニア国物語〉(1950~ ) のC・S・ルイス、『床下の小人たち』(1952) のメアリー・ノートン、歴史に翻弄される人々を描いた『第九軍団のワシ』(1954) のローズマリー・サトクリフ、『ハヤ号セイ川をいく』(1955) や『トムは真夜中の庭で』(1958) のフィリッパ・ピアスなど、現在もファンの多い作家たちがこの時期に名作を残し、20世紀児童文学の第二の黄金時代と呼ばれている。戦前までの明るく楽しいだけの作品と違い、そこには戦争が暗い影を落としている。『人形の家』では子どもの本にはじめて殺意が持ち込まれ、『床下の小人たち』の小人は、魔法は使えても人間に依存しなくては生きていけないのだ。*8また、そこでは児童文学のテーマを引き立てるために、ミステリのさまざまな手法が違和感なく使われるようになった。例えば『ハヤ号セイ川をいく』は詩の謎を解いて宝を発見する物語だし、『トムは真夜中の庭で』はタイム・ファンタジーだが、ラストの意外性によってテーマを明確にしている。ウィリアム・メインもまた、『五月のミツバチ(未訳)』A Swarm in May (1955) やカーネギー賞を受賞した『草の綱(未訳)』A Grass Rope (1957) などで、宝探しをモチーフに現在と過去とを密接に結びつけようとした。*9
黄金時代を経て、1930年代の後半から1940年代にかけてのイギリスでは、ミステリに新しい流れが生じていた。『野獣死すべし』(1938) のニコラス・ブレイク、『ハムレット復讐せよ』(1937) や『ある詩人への挽歌』(1938) のマイクル・イネス、『判事への花束』(1936) のマージェリー・アリンガム、『死の序曲』(1939) のナイオ・マーシュらが登場し、彼らの作品では登場人物の性格描写はより深みを増し、人形のような人物が作者に与えられた役割を果すだけの作品は少なくなる。しかし、黄金時代から続くプロット重視の作風が廃れたわけではない。謎解きの面白さに加えて、小説として厚みのある作品が増えていった。大衆から知識人までミステリをよく愛し、他分野で名を成した人々も興味を示し、執筆もしたイギリスならではの現象である。これにより、ミステリそのものの世界が広がると同時に、ミステリという形式がさまざまに利用できる可能性がひろがった。こうした流れと、児童文学にミステリの手法が持ち込まれるようになったこととは、決して無関係ではあるまい。
そのいい例が、セシル・デイ=ルイス*10 の『オタバリの少年探偵たち』The Otterbury Incident (1948) だろう。なにせ作者は、ニコラス・ブレイクの名で名作ミステリを多数執筆した人物なのだから。
第二次世界大戦の戦禍が残るイギリスの街オタバリで、二組の少年たちが戦争ごっこに明け暮れている。その中のひとりがガラスを割るが、家が貧乏で弁償ができない。そこで少年たちは一旦休戦し、全員でさまざまなアイディアを出してお金を稼ぐことにする。ところが、そうやってせっかく集めたお金が、リーダーの少年が盗んだとしか思えない状況でなくなってしまうのだ。疑心暗鬼におちいり、仲間割れとなる少年たち。語り手の少年は消えたお金の謎を解き、ふたたび力を合わせて悪党たちから取り返すことになる。
『エーミールと探偵たち』を始祖とする、少年探偵たちの絆を描いた作品である。フランス映画を原作にしたもので、どこまで原作に忠実なのかは不明だが、少年たちの日常や一致協力する過程が活き活きと描かれ、さすがに読みごたえがある。『エーミールと探偵たち』には謎解き要素はほとんどなかったが、こちらは盗難事件の謎に不可能味があって面白い。児童文学として優れ、なおかつジュヴィナイル・ミステリとしても一級品といえよう。
ジョフリー・トリーズ*11はロビンフッドを主人公にした左翼的な作品『豪族たちに向けられた弓(未訳)』 Bows Against the Barons (1934) でデビューし、主に歴史物語で名を成した児童文学者である。その頃からミステリ的な手法に関心があったようで、歴史冒険ものの『反逆の合図(未訳)』Cue for Treason (1940) は、二人の若い家出少年が旅芸人の役者になり、後にロンドンに移り住んでウィリアム・シェイクスピアと親しくなる。やがてエリザベス女王の命を狙う陰謀に気づき、それを阻止しようする物語らしい。
戦後は寄宿舎ではなく「大多数の子どもたちのように通学校(day-school)に通っているほんとうの少年少女を描いた、現実に即した物語」*12として『この湖にボート禁止』No Boats on Bannermere (1949) 以下のバナーメア・シリーズ4作を執筆した。これは「戦後の社会の急速な変化を子どもの眼を通して描いた」*13作品であると共に、新しいタイプのジュヴィナイル・ミステリでもあった。
バナーメア(旗の湖)のシリーズは、別荘を貰い受けて南部から移ってきた一家の子どもたちを主人公にするもので、そのうちのひとり、作家志望の少年ビル・ベルバリーの手記という体裁をとっている。ランサム作品群との決定的な差異は、ありふれたものに冒険心をそそるような生命を吹き込む約束事を排し、インナー・アドヴェンチャアの世界を脱していることで、したがって主人公の少年たちは、現実との接触の中に現実的な冒険を見出さねばならない。そのとき、冒険と一緒に社会的テーマをも背負わされるのは必然であろう。たとえば『この湖にボート禁止』(1949) では、題名の如く湖でのボート遊びを禁じる領主の秘密を探るうちに考古学的発見がもたらされ、そのとき学問的価値のある文物を私利のために秘かに売却する犯罪行為に逢着する。また『黒旗山のなぞ』(1950) ではより一層ストレートに、軍用接収されたままになっている土地の返還をめぐる問題が扱われている。このように生の現実にふれればそれだけ社会問題がクローズ・アップされてくる。不思議な謎に出くわし、好奇心に駆られてその開明に尽力し、答を得ればそれですべて終りというわけにはゆかない。この結果、物語があらぬ方向へ独走し、抱かれたロマンスが無惨にも砕けるのをどうすることもできない。これは戦争の後遺症であろうか。(谷口俊彦「悪漢と少年たちの楽園」)
この時期には、リチャード・チャーチ*14も『地下洞穴の探検』The Cave (1950) で、少年たちのグループが偶然発見した洞穴を探検するリアルな冒険物語を書いた。続編の『ふたたび洞穴へ』Down River (1957) では密輸団とかかわることになる。ここでも、犯罪との遭遇はサスペンスをもりあげるだけでなく、少年たちの団結を明確にする役割を果たしている。
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◆参考資料
「悪漢と少年たちの楽園~ジュヴナイル・ミステリ雑考」谷口俊彦[『帝王』9号/1978]→「悪漢と少年たちの楽園」と表記
『子どもの本の歴史 英語圏の児童文学』(1965/74) J・R・タウンゼント/高杉一郎訳[岩波書店 1982]→『子どもの本の歴史』と表記
The Oxford Companion to Children's Literature (1984) 『オックスフォード世界児童文学百科』ハンフリー・カーペンター、マリ・プリチャード編/神宮輝夫=監訳[原書房 1999]→『世界児童文学百科』と表記
The Oxford Companion to Children's Literature 2nd edition (2015) 『新版オックスフォード世界児童文学百科』ダニエル・ハーン編/白井澄子・西村醇子・水間千恵=監訳[原書房 2023]→『世界児童文学百科/新版』と表記
The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing (1999) by Rosemary Herbert ed. →Oxford M と表記
『英米児童文学史』瀬田貞二・猪熊葉子・神宮輝夫[研究社 1971]
『はじめて学ぶ英米児童文学史』桂宥子・牟田おりえ編[ミネルヴァ書房 2004]
The Girl Sleuth -On the trail of Nancy Drew, Juddy Bolton, and Cherry Ames by Bobbie Ann Mason (1975/1995) →The Girl Sleuth と表記
ミステリー・推理小説データ・ベース Aga-Search https://www.aga-search.com/
Wikipedia (日本語版/English版)
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◆作品案内(邦訳のみ)
〈少女・世界推理名作選集〉金の星社 1962-1966 全30巻 ★装幀を変えて何度か再刊。一部は語句を修正してフォア文庫に入っている。少女探偵ものに加え、クリスティ、ラインハート、ヒルトン、ウールリッチ(アイリッシュ)の作品のリライトも。
『銀翼の少女』 Silver Wings for Vicki (1947) ウェルズ/白木茂訳[講談社/世界少女小説全集 1957]
『空駆ける少女探偵』The Mystery of the Vanishing Lady (1954) ヘレン・ウエルズ/岡上鈴江訳[ポプラ社/ジュニア世界ミステリー 1968]
『人形の家』(1947) ルーマー・ゴッテン/瀬田貞二訳[岩波少年文庫]
『ハヤ号セイ川をいく』(1955) フィリッパ・ピアス/ 原田勝訳[岩波少年文庫]/ 足沢良子訳[講談社青い鳥文庫]
『トムは真夜中の庭で』(1958) フィリッパ・ピアス/高杉一郎訳[岩波少年文庫]
『オタバリの少年探偵たち』The Otterbury Incident (1948) セシル・デイ=ルイス/瀬田貞二訳[岩波少年文庫]/脇明子訳[岩波少年文庫/新訳]
『この湖にボート禁止』No Boats on Bannermere (1949) ジョフリー・トリーズ/多賀京子訳[福音館書店→福武文庫]
『黒旗山のなぞ』(1950) ジョフリー・トリーズ/田中明子訳[少年少女学研文庫 1971]
『地下洞穴の探検』The Cave (1950) リチャード・チャーチ/大塚勇三訳[岩波少年少女文学全集 1962]
『ふたたび洞穴へ』Down River (1957) リチャード・チャーチ/大塚勇三訳[岩波少年少女文学全集 1962]
■ジュナ・シリーズ/エラリー・クイーン・ジュニア ★邦訳はすべてエラリー・クイーン名義
The Black Dog Mystery (1941)『黒い犬の秘密』西脇順三郎訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]/『黒い犬と逃げた銀行強盗』中村佐千江訳[角川つばさ文庫]
The Golden Eagle Mystery (1942)『金色の鷲の秘密』内村直也訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]/『金色のわしの秘密』亀山龍樹訳[講談社/少年少女世界探偵小説全集]
The Green Turtle Mystery (1943) 『緑色の亀の秘密』中村保訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]/『ゆうれい屋敷の秘密』白木茂訳[講談社/少年少女世界探偵小説全集]/『幽霊屋敷と消えたオウム』中村佐千江訳[角川つばさ文庫]
The Red Chipmunk Mystery (1946) 『赤いリスの秘密』中村能三訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]/『赤いりすの秘密』亀山龍樹訳[講談社/少年少女世界探偵小説全集]
The Brown Fox Mystery (1948) 『茶色い狐の秘密』福原麟太郎訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]
The White Elephant Mystery (1950)『白い象の秘密』石井桃子訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]
The Yellow Cat Mystery (1952) 『黄色い猫の秘密』 村岡花子訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]
The Blue Herring Mystery (1954) 『青いにしんの秘密』大久保康雄訳[早川書房/ジュニア・ミステリ→ハヤカワ文庫Jr]
The Purple Bird Mystery (1966) 『紫の鳥の秘密』駒月雅子訳[HMM2008/02-04] ★ジェイムズ・ホールディングが執筆
■エニード・ブライトン/フェイマス・ファイブ The Famous Five
Five on a Treasure Island (1942) 『宝島への大冒険』眞方陽子訳[実業之日本社 2003]/『それ行け!宝島へ こちらおなじみ探険隊』佐伯紀美子訳[ポプラ社文庫 1986]
Five Go Adventuring Again (1943) 『キリン農場の秘密』眞方陽子訳 ★『宝島への大冒険』と合本/『秘密の迷路をさがせ! こちらおなじみ探険隊』佐伯紀美子訳[ポプラ社文庫 1987]
Five Run Away Together (1944) 『島にいるのはだけだ!』眞方忠道訳[実業之日本社 2004]/『謎のシグナルをさぐれ! こちらおなじみ探険隊』佐伯紀美子訳[ポプラ社文庫 1988]
Five Go to Smuggler's Top (1945) 『謎の屋敷と密輸商人』眞方陽子訳 ★『島にいるのはだけだ!』と合本
Five Go Off in a Caravan (1946) 『サーカス団の秘密』眞方忠道訳[実業之日本社 2004]
Five on Kirrin Island Again (1947) 『海底トンネルの冒険』眞方陽子訳 ★『サーカス団の秘密』と合本
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■エニード・ブライトン/五人と一匹 The Five Find-Outers ★実業之日本社版はのち三編(最後だけ二編)づつの合本で再版/その際、一部題名と文章を変更
The Mystery of the Burnt Cottage (1943)『火をふく小屋』三津村卓訳 [実業之日本社 1964/2002]/『見つけ隊と燃える小屋のなぞ』河合洋一郎訳[ハヤカワ・ジュニア・ミステリ]
The Mystery of the Disappearing Cat (1944)『きえたシャムネコ』→『消えたシャムネコ』内田庶訳[実業之日本社 1964/2002]
The Mystery of the Secret Room (1945)『ひみつのへや』→『ミルトン屋敷の謎』勝又紀子・松本理子訳[実業之日本社 1964/2002]
The Mystery of the Spiteful Letters (1946) 『いじわるな手紙』三津村卓訳[実業之日本社 1964/2002]
The Mystery of the Missing Necklace (1947) 『くびかざりのゆくえ』→『首飾りのゆくえ』松本理子・勝又紀子訳[実業之日本社 1964/2002]
The Mystery of the Hidden House (1948) 『あやしい家』福島正実訳[実業之日本社 1964/2002]
The Mystery of the Pantomime Cat (1949) 『ぬいぐるみのネコ』→『着ぐるみのネコ』前田三恵子訳[実業之日本社 1965/2003]
The Mystery of the Invisible Thief (1950) 『見えないどろぼう』→『見えない犯人』勝又紀子・松本理子訳[実業之日本社 1965/2003]
■エニド・ブライトン/シークレット・セブン The Secret Seven
The Secret Seven (1949)『変装雪だるま怪事件 シークレット・セブン探偵ノート』佐伯紀美子訳[ポプラ社文庫 1988]/『ひみつクラブとなかまたち』立石ゆかり訳[オークラ出版 2007]
Secret Seven Adventure (1950)『夢のサーカス潜入事件 シークレット・セブン探偵ノート』佐伯紀美子訳[ポプラ社文庫 1988]/『ひみつクラブの大冒険!』大塚淳子訳[オークラ出版 2007]
Well Done, Secret Seven (1951) 『ひみつクラブとツリーハウス』草鹿佐恵子訳[オークラ出版 2007]
Secret Seven on the Trail (1952)『ひみつクラブと五人のライバル』加藤久哉訳[オークラ出版 2007]
■イーニッド・ブライトン/冒険シリーズ
The Island of Adventure (1944) 『冒険の島』村野杏訳[新学社文庫 1984]
The Castle of Adventure (1946) 『冒険の城』村野杏訳[新学社文庫]
The Valley of Adventure (1947) 『冒険の谷』村野杏訳[新学社文庫]
The Sea of Adventure (1948) 『冒険の海』村野杏訳[新学社文庫]
The Ship of Adventure (1950) 『冒険の船』村野杏訳[新学社文庫]
The Circus of Adventure (1952) 『冒険のサーカス』村野杏訳[新学社文庫]
The River of Adventure (1955) 『冒険の川』村野杏訳[新学社文庫]
*1:Helen Wells (1910-1986) なお、途中の数作はジュリー・タサム Julie Campbell Tatham (1908-1999) が執筆している。
*2:チェリー・エイムズ・シリーズと同様に、途中の数作はジュリー・タサムが書いている。
*3: Betty Cavanna (1909-2001)
*4:career novel 働く少年少女を主人公にした児童文学で、社会の矛盾を描く側面もあった。ノエル・ストレットフィールド Noel Streatfeild (1895–1986) の『バレエ・シューズ』(1936) やルース・ソーヤー Ruth Sawyer (1880-1970) の『ローラースケート』(1937)など。
*5:青年科学者や空軍パイロットなどの冒険ものは多い。
*6:Enid Blyton (1897-1968)
*7:Malcolm Saville (1901-1982) イギリスの作家、編集者。マイ・ガーデン誌の副編集長を務めた後、1954年にイーニッド・ブライトンが退社後の〈サニー・ストーリーズ〉の編集長を引き継いだ。
*8:『はじめて学ぶ英米児童文学史』
*9:『英米児童文学史』
*10:Cecil Day-Lewis (1904-1972) 桂冠詩人としても知られる。息子は俳優のダニエル・デイ=ルイス。
*11:Geoffrey Trease (1909-1998) 戦前から活躍するイギリスの児童文学者。
*12:『世界児童文学百科』「ジョフリー・トリーズ」の項
*13:『はじめて学ぶ英米児童文学史』
*14:Richard Church (1983-1972) イギリスの詩人、小説家で、児童文学も7冊書いた。