例えば「緑」という色は、定義できるのだろうか。青色と黄色のグラディエーションのどこに線を引くいて「緑」とするかは、おおむね文化で、厳密には個人で、さまざまに変化する。したがって、全人類が納得する「緑」の定義は不可能である。
例えば「水素」という原子は、定義できるのだろうか。できる。陽子一個、電子一個の原子が「水素」である。したがって、全人類が納得する「水素」の定義は可能である。
では、文芸作品の「定義」とはなんだろうか。「緑」の定義と、「水素」の定義のどちらにちかいのだろう。もともとが混沌な文芸作品の「あるジャンル」を、全人類に納得がいくように「定義」することは、原理的に不可能である。「定義」が可能である、と思っている人は、「定義」について、どこかで思考停止をして、深く考えてない。*1
全人類に納得のいく「本格ミステリ」が「定義」できると信じているお方は、欧米で、南米で、東アジアで、インドで、西アジアで、中央アフリカで、南極で、「アナタハ、ホンカクヲ、テイギデキマスカ?」と尋ねて見たほうがいい。
しかし、にもかかわらず、「緑」という色は存在する。それは、グラディエーションのどこに線を引く行為である。どこに線を引いたのか説明する、他人にも分かるようにきちんと説明する、その行為が、すなわち思考ということである。
「僕たちの世界は線を引くことで成り立っている」*2
「本格」という線を引くなら、残るのは「非本格」しかない。「ゲーム派探偵小説」という線を引くなら、残るのは「非ゲーム派探偵小説」しかない。「ハードボイルド」という線を引くなら、残るのは「非ハードボイルド」しかない。これは二分法であり、「分類」ではなく「定義」だろう。
では「分類」とはなんだろう? 僕はなぜ、さまざまなものを「分類」をしたいのだろう? それは世界を理解したい欲望である。僕は、世界を理解できる、たったひとつの冴えたやりかたを見つけたいのだ。
「探偵小説=ミステリ」とはなんだろう? 僕はなぜ、ミステリを「分類」をしたいのだろう?
分類とは、ひとつの概念で、互いに干渉しあわないように線を引く行為である。
「探偵小説」に必要不可欠なものはなにか。それは探偵役である。そこで探偵小説の全体像を考えてみるならば、探偵役の職業で分類するのが、もっとも有効な分類法だと思う。
「警察小説」とは、探偵役が警察官である探偵小説である。「PI小説=私立探偵小説」とは、探偵役が私立探偵である探偵小説である。「スパイ小説」とは、探偵役がスパイ(=国事探偵=独探)である探偵小説である。そこで分類は以下のようになる。
- アマチュア探偵小説(探偵役が素人の探偵小説=個人的理由から事件に乗り出す探偵)
- 私立探偵小説(探偵役が私立探偵の探偵小説=依頼者があって事件に乗り出す探偵)
- 民間職業探偵小説(私立探偵以外の職業探偵=保険調査員などが探偵役の探偵小説/きちんとしたジャンル名がまだない)
- 警察小説(公的機関に所属する探偵が主人公の探偵小説=依頼者もなく与えられた仕事として事件に乗り出す探偵)
- スパイ小説(国事探偵が主人公の探偵小説=国際的犯罪を解決する探偵)
- 犯罪小説(犯罪者が主人公の探偵小説)
これは、あくまで「探偵小説」の分類である。だから、ここでいう「犯罪小説」とは犯罪をテーマとした小説ではなく、犯罪者が事件の謎を解こうとする(あるいは与えられた困難な状況を機知で解決する)タイプの小説のことである。ノアールは探偵小説ではない。なぜなら、主人公が事件の謎を解くことが目的の小説ではないからだ。PI小説は探偵小説である。なぜなら、私立探偵が事件の謎を解くことが目的の小説だからだ。*3
これが僕の、現時点での、たったひとつの冴えたやりかた。