前回の補遺


 前回、ドイルが発案したのはあくまで「一人の人物が各号で活躍するような話」であって、それが探偵小説のシリーズとは限らなかった、ということを記した。事実、シャーロック・ホームズの連載をやめた翌年の1894年から1895年にかけてストランド誌に連載したのは、「勇将ジェラール」シリーズである。ドイルが最初に、こちらを連載していたら、歴史は変わっていたのだろうか?

 しかし、ドイルが「考えた末中心人物はシャーロック・ホームズがよかろうと思った」のもまた、事実である。そしてドイル以降、たちまちにして探偵を主人公にした連作短篇が次々と登場したのも、シャーロック・ホームズの人気の故ではあったにせよ、そこになにがしかの必然はあったのかもしれない。

 つまり、何がいいたいのかというと、探偵小説はシリーズ・キャクターを活かす上で最適のジャンルなのかもしれない、ということなのだ。大衆小説の諸ジャンル、例えばロマンス小説・冒険小説(海洋もの・秘境もの)・歴史小説(西部小説)・怪奇小説・家庭小説・風俗小説・ユーモア小説などなどと比較すると、探偵小説のシリーズ・キャラクター率は圧倒的に高い。次は歴史小説/時代小説/西部小説の一群だろうか。(SFは、まだ明確なジャンルとしては認識されていない)

 ドイルが「一人の人物が各号で活躍するような話」を発案したとき、「考えた末」にシャーロック・ホームズを主役に選んだのが偶然ではなく、必然であった、とすれば、「短篇小説の時代」がきた時に、それがそのまま「探偵小説の時代」になることは、歴史の要請だったのだろうか。誰か、このあたりを考察した評論があれば、教えて欲しい。