『書店風雲録』田口久美子

書店風雲録

書店風雲録

 ちょっと古い本。図書館でかりた。
 1970年代から90年代のリブロについて書かれた本である。

 僕は東西線の沿線と、錦糸町に住んでいたので、船橋西武のリブロは、一時期、よく行っていた。(どちらも船橋には行きやすいのである。)1980年代の後半だから、田口さんがもう池袋店に移ったあとのことだけど。



 錦糸町にすんでいたころ、錦糸町西武のリブロでは、児童コーナーでたまに幼児向けに読み聞かせをやってくれて、娘がまだ小さい頃だったので、よく参加していた。この読み聞かせ担当の店員さんが、船橋のリブロに配置換えになって、読み聞かせは終わったと思う。

 いまは池袋に行くと、ジュンク堂にかならず立ち寄るようになった。巻末の著者紹介によると、田口さんは池袋ジュンク堂副店長となっているけど、先日行ったときは、小柄な男性が副店長の名札をつけていた。

 ミステリーについて書かれている部分。

 推理小説や冒険小説、SF、耽美小説、等はいわゆる娯楽小説(今はエンターテインメント)というジャンル名になっている)として直木賞の対象ではなかった。(中略)九三年の高村薫の受賞(『マークスの山早川書房)からミステリー系の受賞作が増えていく。(中略)受賞しなかった年でもミステリー系が候補作に上がらなかったことはなかったはずだ。

 私には高村薫の出現がターニングポイントだったように思える。彼女の『マークスの山直木賞受賞頃から日本のミステリー小説を始めとするエンターテインメント群が書店の「小説に割り当てられた新刊スペース」を徐々に占領しはじめた。(中略)

 何より変わったのは読者層だろう。女性が増えた。若者が増えた。京極夏彦の登場がさらに拍車をかけたのだが、京極ファンはノベルスに偏在するのでちょっと脇に置いておく。ミステリーは通勤電車でオジさんたちが読みふける手軽な読み物から、様々な顔を持つおいしい市場に変わっていった。

 私たちが考えるミステリーはこうだろうか。悪意を持つ犯人がいる、もしくは悪意はないが「運命のように」犯罪を犯してしまう人物がいる、ある状況が生まれ、謎が発生する、そして紆余屈折の挙げ句、解決しようとする人物が登場し、大抵は主人公なのだが、最終的に謎は必ず解決する。読者は作者と謎解きゲームを競う。

 結構約束事に縛られている読み物なのだ。たとえ結末が予想外だとしても、また予想外であればあるほど、読者は予定調和的な解決を期待する。青春小説、恋愛小説、社会派小説、幻想小説、伝奇小説、ハードボイルド、冒険小説、など様々な意匠をまとっていても、ミステリーとしての約束事は守られている、そうだった。

 しかし今や、私がリブロで(中略)案内していた頃から十年ちょっとしか経っていないのに、ミステリージャンルはストーリーとしての謎解き小説から幅を広げ、人の心の、社会の、謎解き小説へと幅を広げている。(中略)

 (中略)ミステリーと一般小説の垣根はほとんど壊れかかっている。逆にミステリー界から笠井潔を船長に「本格ミステリー小説」提唱が起きているのも無理はない。


 本屋さんからみたここ十年のミステリ界の動きである。

 これからすると、80年代から90年代のはじめごろまでは、本屋さんの目には、「ミステリーは通勤電車でオジさんたちが読みふける手軽な読み物」だったのである。それが若者や女性にまで読者層をふやしていくターニングポイントは高村薫の登場とされている。

 本屋さんの証言というのは、小説全体のなかでのミステリの位置づけを明確にしてくれる。一般読者にとって、「本格ミステリ」かどうかなんて、もちろん、どうでもいいことである。外から見たミステリ界の動きはこういうものだということで、自分へのメモとして。