アメリカでは1870年代からガボリオの作品が翻訳紹介され、その影響を受けて1878年にアンナ・カサリン・グリーンの作品が登場、人気を勝ち得た。アンナ・カサリン・グリーンに影響を与えたのは、ガボリオだけではない。上流階級の家庭悲劇・家族の秘密を扱う、ということでは1860年代からはじまる英国のセンセーション小説や、1850年代から人気のあったアメリカの大衆家庭小説の影響も無視できないだろう。グリーンは1880年代には5冊の長篇探偵小説を発表している。中短篇では、邦訳のある「XYZ」(1883)や「七時から十二時まで」(1887)などがある。
グリーンの人気の所以かどうか、この時期に女性として探偵物を書いたアメリカ作家にロレンス・L・リンチ Lawrence L. Lynch(本名 エマ・マードック・ヴァン・ディベンダー夫人 Emma Murdoch Van Deventer/生没年不明)がいる。最初の探偵小説 Shadowed by Three (1879) 以下、三冊の作品に私立探偵 Neil Bathurst が登場する。彼女は A Blind Lead (1912) まで二十数冊のスリラー作品を発表した。
フランス探偵物の翻訳も相変わらず盛んだった。ガボリオに続いてデュ・ボアゴベ作品がが多くなり、マンロー社では1880年代前半に毎年5〜6冊づつ、デュ・ボアゴベの作品を出している。
この頃、探偵小説の分野に興味を示した作家にマーク・トウェイン(1835-1910)がいる。その最も早い関心は、「世にも名高いキャラヴェラス郡の跳び蛙」(1867/短篇集)に現れる。クイーンの定員にも選ばれたこの作品は、ユーモア・スケッチなのだが、一種の犯罪小説としても読める。さらに、『ミシシッピーの冒険』(1883)の一章で指紋による個人鑑別が語られ、「ノータリン・ウィルソンの悲劇」(1894)には、指紋による犯人指摘が史上はじめて小説の中で書かれている。また、『トム・ソーヤーの名探偵』(1896)という作品もある。しかし、マーク・トウェインのこの分野への興味は、それほど強いものではなく、言うなればトム・ソーヤーやハックルベリー・フィンが行なう数々の冒険のひとつ、という程度に過ぎない。
そうした、探偵行為の冒険的な側面を中心主題としたのが、ダイム・ノヴェル探偵小説である。1870年代にいくつかの萌芽を見せたダイム・ノヴェルの「探偵もの」は、1880年代になって一気に花ひらく。
1883年に探偵小説専門の最初のダイム・ノヴェル叢書といわれるノーマン・マンロー社の《オールド・キャップ・コリア・ライブラリー》が登場し、1899年までに800編以上刊行された。探偵役のオールド・キャップ・コリアは変装の名人で不死身の男という設定。叢書には彼のほかにも多くのシリーズ探偵が登場する。
同年の五週遅れで、フランク・タウジー社は《ニューヨーク・ディテクティヴ・ライブラリー》を開始。この叢書も1898年まで続き、一説では1300編以上が刊行されたという。この叢書から1885年に誕生した探偵オールド・キング・ブレイディは、他のダイム・ノヴェル探偵より現実味があった。
オールド・キング・ブレイディはけっしてスーパーマンではなかった。美人助手アリス・モンゴメリーを従え、ときには失敗も犯すソフトボイルドの中年探偵であり、卓越した頭脳、犯罪と人間性に関する広範な知識の持ち主として描かれていた。だが推理より行動が重視され、調査の対象となる犯罪の特異性と背景になる街は、徹底してリアルに書きこまれている。(小鷹信光『ハードボイルド以前』p58-59)
1885年にはジョージ・マンロー社も古株の探偵を持ち出して《オールド・スルース・ライブラリー》を立ち上げる。こうして、
10年を経ないうちに、探偵ものが西部ものよりはるかに多く売れはじめた。ダイム・ノヴェルへの探偵ものの進出は、都会に住む下層階級の生活という全く新しい素材領域を開発することになり、作者たちの前に善玉悪玉の新しい葛藤の場と、(ポーのデュパンに予告された)新しいヒーローと新型の敵対者たちとが登場してくることになった。
ダイム・ノヴェルの探偵ものは、ミステリーではなくて、巡査対強盗物語であり、刺激と娯楽をあたえることを狙いとしていた。犯人がだれで、犯行の理由はなにかははっきりわかっていて、問題はただいつ(「いつ」に傍点/引用者注)犯人が逮捕され、罰せられるかにあった。(『アメリカ大衆芸術物語』p349)
そして1886年にはストリート&スミス社のニック・カーターが登場する。しかし、この伝説的なアメリカン・ヒーローが本格的に活躍を開始するのは、1891年から刊行される《ニック・カーター・ディテクティヴ・ライブラリー》であり、もう少し後のことだ。
ダイム・ノヴェル探偵小説の登場にピンカートン探偵社の存在が影響を与えていることは、いくつかの資料で触れられているが、この時期、もうひとりの実在の探偵が大衆読物に登場した。作者はジュリアン・ホーソーン Julian Hawthorne (1846-1934) 。かのナサニエル・ホーソーンの息子である。ジュリアン・ホーソーンは吸血鬼ものの「白い肩の乙女」が翻訳されているため、怪奇小説家と紹介されることもあるが、ジャーナリスト、雑文書きといったほうが正しいようだ。彼はまた、1887年から1888年にかけて、五冊の「探偵小説」を書いた。
それらはいずれもピンカートンと並んで有名であった実在のニューヨーク市警察バーンズ警部を主人公としているが、作風はセンチメンタルなロマンスの傾向が強い。しかし彼は10巻もののミステリー、探偵物のアンソロジーの編集も行なっており、このジャンルに強い興味をもっていたと思われる。(辻本庸子『探偵小説と多元文化社会/第三章』p65-66)
ホーソーンの作品は、「表向きはニューヨーク市刑事長トマス・バーンズの日記から得られたとされ」*1たそうだから、あきらかに「刑事の回想録」の流れに属するものである。主人公が架空の刑事だったイギリスの作品と違って、現実の著名刑事となったのは、1870年代に発表されたピンカートン事件簿と同様に、アメリカ的商業主義の影響であろう。アメリカでは、こうした実在人物を探偵役にしたフィクションが、現在にいたるまで数多く書かれることとなる。
ちなみにホーソーンが編集したアンソロジーは The Lock and Key Library といい、1909年に出版された。以下の構成になっている。
- Old-Time English Stories
- Modern English Stories
- American Stories
- Classic French
- Modern French
- French Novels, Stories
- German
- North Europe Stories
- Mediterranean
- Real Life
英米仏以外のヨーロッパの作品を多く取り入れているのが特徴といえるだろうか。このほかに6巻構成の Library of the World's Best Mystery and Detective Stories を1907年に編んでいる。
*1:The Oxford Companion to Crime & Mystery Writing による。