ポーにいたる道(3)

■■ポーにいたる道(3)/犯罪実話読物の系譜


 犯罪事件や犯罪者についての情報は、いつの時代にも人々の関心を惹きつける。現実の犯罪事件や実在の犯罪人をあつかった読物は、社会の矛盾を描くことだったり、政敵への非難だったり、大衆に犯罪の恐ろしさを訴えることだったりと、書かれた意図はさまざまかもしれないが、等しく人々の扇情的な好奇心にも訴えかけたこともまた間違いない。


 探偵小説が扱う犯罪が、基本的には都市に起こる犯罪であることを考えると、この種の読物の最初は、実在の都市犯罪者をもとにしたヘンリー・フィールディングの『大盗ジョナサン・ワイルド伝』(1743) に求められるかもしれない。この作品はいわゆる《ピカレスク・ロマン》、すなわちピカロ(悪漢=社会的な仕組みからはみだした者)の行状を写実的におうことで、当時の社会風俗を描く小説の系譜に属する*1ため、探偵小説の系譜からははずれるかもしれないが、扱われた犯罪人の行状が興味深い。

 ジョナサン・ワイルド(1682?-1725) は若くしてロンドンにやってきて、借金をかえせなくて投獄され、のちに保安官の助手となる。やがて盗賊団を組織し計画的な窃盗を繰り返す一方で、「遺失物発見所」をひらき、盗品を取り戻すという名目で持主に手ごろな金額で売りさばいていた。ダニエル・デフォーもワイルドの店に失せ者の相談に行っていたらしい。また、言う事をきかない部下は容赦なく判事に引き渡していたが、それも犯人を逮捕したという名目だったという。つまり、探偵すなわち犯罪組織の首領だったわけだ。

 このワイルドや、脱獄の名人として名を馳せたジャック・シェパードなど、18世紀初頭以来ロンドンのニューゲイト監獄に収監された凶悪犯の生い立ち、犯罪の動機、裁判の経過、処刑の様子などを書いた出版物が〈ニューゲイト・カレンダー〉である。1770年代にまとめられ、「全体のトーンは教訓的で、若い人たちの人生の道しるべになることが意図されてい」*2たが、読者は「貧富の別なくあらゆる階層にわたって」*3いたというから、もとよりセンセーショナルな興味で受け入れられていたのだろう。

 なにせ、19世紀中頃に廃止されるまで、イギリスでは絞首刑が公開され、死刑見物は大衆娯楽だったのである。18世紀から19世紀前半にかけて、イギリスでは「娯楽としての殺人」は、紙の上だけのことではなかった。死刑を見ようと、下層階級の人々だけでなく、紳士淑女たちも駆けつけ、特等席には大枚をはらったという。

 このころのロンドン市民にセンセーショナルな話題を届けていたのは、ブロードサイドと呼ばれる片面刷りのタブロイド版新聞だった。「陸海軍の勝利、公式の祭典、恐るべき惨禍、人や家畜の奇型や幽霊などの珍奇なものなど」*4を版画つきで紹介し、街角で売り子の口上と共に半ペニーか1ペニーで売られたというから、わが国の瓦版をイメージすればいいのかもしれない。殺人の模様や、死刑囚の告白や最後の言葉を刷ったブロードサイドは、数十万部を売り上げたという。ブロードサイドの印刷屋ではジェイムズ・キャナトックが有名で、十九世紀の初めにロンドンのセブン・ダイアルズ界隈に店をかまえて、大量の大衆向け印刷物を送り出した。*5

 文学の分野でいうと、18世紀末から19世紀初めにかけて流行したゴシック・ロマンスは、1830年代になると衰退してきた。かわって人気がでたのが「ニューゲイト・ノヴェル」といわれる作品群である。これは犯罪と犯罪者を生む社会をテーマにした小説で、おおむねニューゲイト絞首台での処刑をあつかい、〈ニューゲイト・カレンダー〉をはじめとする実在の事件から想を得たものが多い。ニューゲイト・ノヴェルには以下のようなものがある。


 北條文緒の『ニューゲイト・ノヴェル―ある犯罪小説群』では、ニューゲイト・ノヴェルについて以下のように述べている。

ニューゲイト・ノヴェルに共通する特長は第一に、小説中の重要人物として犯罪者(多くの場合、実在の)が使われていることだが、(中略)もうひとつの特色として犯罪者が理想化されている、ないし同情的に描かれていることがあげられる(p15-16)

また探偵小説との比較で強調されねればならないのは、探偵小説が法と秩序の側に立つのにたいして、先にも述べたように、ニューゲイト・ノヴェルは犯罪者を美化し、同情的な態度を示していることである。マーチ夫人*6も言うように、探偵小説の系譜はニューゲイト・ノヴェルよりむしろ『ニューゲイト・キャレンダー』の方に求められるべきであろう。(p46)

 また、前回にふれたウィリアム・ゴドウィンの『ケイレブ・ウィリアムズ』をニューゲイト・ノヴェルの先駆的作品としている。たしかに「ニューゲイト・カレンダー」から想を得ていることや、探偵行為を卑しいものとする『ケイレブ・ウィリアムズ』は、ニューゲイト・ノヴェルの特長をそなえている。また、ゴドウィンは晩年、ブルワー=リットンと親交があり、小説の題材になる資料も提供したらしい。


 ニューゲイト・ノヴェルは犯罪者を理想化して描いているため、風紀を乱し犯罪を誘発するとして批判をあびたが、それでもまだ比較的高尚な読物だった。

 英国では教育の普及により、18世紀から19世紀にかけて熟練労働者、店員、事務員、家事使用人などの読み書き能力が向上し、それに伴って小説の読者が急増していった。また産業革命により大量の工場労働者が発生し、彼らもまた安価な娯楽としての「読み物」を求めた。1830年頃までの時期に彼らが読むことの出来る廉価な出版物は、以下の三種類に大別できるという*7

  1. ラジカルな政治的主張を内容とするパンフレット
  2. 『殉教者伝』など宗教団体による刊行物
  3. 「ニューゲイト・カレンダー」的な、あるいはセンセーショナルなゴシック・ロマンス的な読み物の分冊出版

 政治的なパンフレットも宗教団体の刊行物も、読者の興味を惹くために、等しくセンセーショナルな要素を付け加えたというから、当時の「大衆」はラジカルな思想とセンセーショナルな興味を同じように享受していたのである。

 さて、すたれたといわれるゴシック小説だが、実はこうしたもっぱら程度の低い読物として、1830年代から40年代にかけて、下層階級に浸透していっていたのである。キャナトックがセブン・ダイヤルズでブロードサイドをせっせと印刷していたころ、「ブルーブック」と呼ばれる青表紙の6ペニーの仮綴じ本が売られたいた。これらは、読者をゾッとさせることのみに腐心したゴシック小説で、ありとあらゆる扇情的な要素がもりこまれた。1840年代になると、週刊連続形式の小説本が出てきて、これは1ペニーで売られたため、「ペニー・ドレッドフル」(1ペニーの恐怖本)と呼ばれた。代表的な作品としては『吸血鬼ヴァーニイ――血の饗宴』(1847) がある。*8しかし、最初は大人相手だった「ペニー・ドレッドフル」も、大衆読み物が次第に洗練度を増していく1850年代から60年代には子供の読物になっていたらしい。


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 実在の犯罪者を題材とした読み物は、「ニューゲイト・カレンダー」から『ケイレブ・ウィリアムズ』を経てニューゲイト・ノヴェルへと続いていった。ニューゲイト・ノヴェルはやがて、ウィルキー・コリンズらのセンセーショナル・ノヴェルへとつながっていく。これらは犯罪者を描いたものであるが、では犯罪者を取り締まる者たちを描いた作品はどうであったのだろうか。

 ヘンリー・フィールディングは『大盗ジョナサン・ワイルド伝』を、当時の首相ロバート・ウォルポールへの風刺目的のために書いたという。このロバート・ウォルポールの不出来な息子が、ゴシック・ロマンスの始祖ホレス・ウォルポールである。いっぽう、治安判事でもあったヘンリー・フィールディングは、弟のジョンと共に「ボウ・ストリート・ラナーズ」と呼ばれた探偵部隊を設置する。これがいわゆる「探偵=刑事=ディテクディヴ」の発祥となった。

 ボウ・ストリート・ラナーズの設立は1750年頃で、治安判事の下に属し、僅かながらも給料を受け取り、司法権は無制限だった。19世紀初頭に八人しかいなかったが、それでも1820年代にはケイトー・ストリート陰謀事件の主犯や、殺人犯ジョン・サーテルを逮捕するなど、著名事件の解決に活躍し、ラナーズは上流社交界でもてはやされたという。それでも、犯罪を解決することで得た謝礼が主な収入源である彼らは、当然ながら不正や冤罪と隣り合わせであり、伝統的に警察組織に対して偏見をもっていたイギリス庶民から見ると『ケイレブ・ウィリアムズ』に登場するジャイルズと大きな違いはなかったようである。

 1829年に内務大臣ロバート・ピールの指揮のもと、首都警察(ロンドン警視庁)が誕生、800人の制服警官がロンドンを警備した。ボウ・ストリート・ラナーズは1839年に廃止となり、1842年に首都警察に刑事部創設。刑事=ディテクティヴの登場である。

 ラナーズが主役となった作品に『リッチモンド』Richmond; or, Scenes in the Life of a Bow Street Runner (1827) がある。匿名で出版されたこの作品は、冒険をもとめるリッチモンド青年がボウ・ストリート・ラナーズとなって活躍する話で、実話風な内容だが、ほとんど反響はなかったという*9。探偵が主役となった作品で話題となるのは、『リッチモンド』の翌年にフランスで出版されたウージェーヌ・フランソワ・ヴィドック(1775-1857) の『回想録』(1828) を待たねばならない。

(この項つづく)

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■作品

  • 『ニューゲイト・カレンダー大全』全5巻(うち3巻刊行) ジョン・L・レイナー&G・T・クルック編/藤本隆康訳/大阪教育図書
  • 『大盗ジョナサン・ワイルド伝』(1743) ヘンリー・フィールディング/袖山栄真訳/集英社・世界文学全集ベラージュ『悪漢小説集』所収

■今回の主な参考文献

  • 『ニューゲイト・ノヴェル―ある犯罪小説群』北條文緒/研究社/1981
  • 『天の猟犬―ゴドウィンからドイルに至るイギリス小説のなかの探偵』(1976) イーアン・ウーズビー/小池滋・村田靖子訳/東京図書
  • ヴィクトリア朝の緋色の研究』(1970) R・D・オールティック/村田靖子訳/国書刊行会

*1:16世紀から17世紀にスペインで流行した小説スタイル。これを「悪漢小説」と訳すのはいいが、怪盗ものやケイパー・ストーリイにまで使うのは、間違いだろう。

*2:『ニューゲイト・ノヴェル』北條文緒

*3:同上

*4:ヴィクトリア朝の緋色の研究』R・D・オールティック

*5:セブン・ダイアルズはそれから長い間、扇情的で猥雑な場所として悪名を馳せたという。クリスティの『七つのダイアル』に登場する秘密結社の名前は、ここからとったのだろうか?

*6:ミステリ史の名著として名高い『推理小説の歴史』(1958)を書いたA・E・マーチのこと。かつて旧「宝石」に連載邦訳されたが、本にはまとまっていない。僕も読んでいない。どこかであらためて出さないものか。

*7:北條文緒/前出

*8:『吸血鬼ヴァーニイ』については、WEBサイト「本棚の中の骸骨」http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/ のなかの、以下のページに詳しい。http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/column-varney.html また、「ペニー・ドレッドフル」の実物は、以下のサイトで見ることができる。「褪色したページから、甦るイメージ―読み捨てられた書物の魅力」 http://www1.parkcity.ne.jp/bibkid/page.html の http://www1.parkcity.ne.jp/bibkid/pendre.htm

*9:『天の猟犬』イーアン・ウーズビー