『名探偵はなぜ時代から逃れられないのか』法月綸太郎

図書館から借りてきて、読み始めた。面白い。


「大量死と密室」は笠井潔論といいながら、実はエラリイ・クイーン論であり、今回はじめて読んだのだが、(いまさらですが)なるほど、ヴァン・ダインとクイーンを読み解く上で「大量死論」というのは有効なのかもしれない。

ところで、冒頭の「反リアリズムの揺籃期1975-1987」という文章、『本格ミステリ・クロニクル300』のために書いた文章らしいが、僕との実感の違いが大きいのに今さらながらとまどう。

 ところが、八〇年半ばには、早くも一種の真空状態が訪れる。一九八四年、島田荘司はトラベル・ミステリー『寝台特急はやぶさ」1/60秒の壁』を発表、「軽薄短小」を売り文句にしていた新書(ノベルス)戦争の渦中に身を投じて、マニアを嘆かせた。(中略)
 八四年を象徴するトピックスは、連城三紀彦がミステリ色の薄い『恋文』で直木賞を受賞し、恋愛小説の書き手としてメジャーになったことだろう。(中略)他ジャンルへの才能の流出が、後に「新本格」の基盤となる若いマニアを失望させたことは否定できない。
 個人的な感想になるが、筆者も当時、こうした情勢を目の当たりにし、一読者として寂しい気持ちがしたのを覚えている。短い夏が終わった後、突然冷たい木枯らしが吹き始めたような感じだった。思うに「本格冬の時代」という言い方には、清張以来の長期にわたる冷遇期間と、ポスト「幻影城」時代の急激な冷え込みという、二重のニュアンスが込められているのではないか。

 法月綸太郎は1964年の生れだから、島田荘司デビュー時に17歳、1984年には20歳である。高校から大学になる頃で、状況の受取り方が違うのは、当時20代後半になっていた僕との年齢差もあるのかもしれない。

 というのは、「短い夏が終わった後、突然冷たい木枯らしが吹き始めたような感じ」など、当方はまるでもっていなかったからだ。島田荘司の『寝台特急はやぶさ」1/60秒の壁』を読んだときは、何を書いても島田荘司だと感心し、また『占星術』以来、やたら小説の下手だったこの人が、やっとまともに読める作品を書いたと、その成長振りを評価していたから。(リアルに書いたから「まとも」というわけではないよ)また、連城三紀彦の恋愛小説への転身は、作品のテーマや流れからいって必然と思っていたから。(同時に『私という名の変奏曲』もすごく評価されていた)

 若いマニアは失望したのかもしれないが、当時、島田荘司連城三紀彦が好きだった人たちは、この動きを歓迎していた印象が強い。

 同時代を生きてきてこれほど印象が違うのなら、当時を知らない若い方たちが、状況を把握できないのも無理はないのかもしれない。というよりも、当方がどこかズレたまま、今日に至っているのかもしれない。