ガボリオとポール・フェヴァル

 『ルコック探偵』の第二章「家名の栄誉」は、事件の過去にさかのぼった物語で、全体の6割以上ある。革命を背景にした歴史小説、秘密結婚やら政略結婚をめぐる家庭悲劇、恋愛と冒険がごった煮になっている。「恋と冒険」というと面白そうだと思うかもしれないが、なにせ古めかしい。同じような勘違いとすれ違いを繰り返し、類型的な人物たちが出たり入ったりするばかりで、とにかく読むのがしんどかった。


 ところで、この東都書房版の翻訳をしたのは永井郁という女性だが、全集の月報につけられた翻訳裏話がやたらに面白い。なかなか手に入らなかった原書を、ご主人の評論家佐々木基一氏がフランスで二冊購入してくれる。厚い方は別の長篇との合本と思い込んで薄い方を読み終わったら、じつはこれはダイジェスト版で、厚い方が正式な原書と気づき、ショックで熱を出してしまう顛末。

 さらに翻訳で苦しんでいる最中に、酒飲みのご主人が「疲れたといっては酒。書けないといっては酒。書き上げたといってはまた酒だ。寒い……酒。暑い……酒。痛い……酒。痒い……酒。直った……酒。いくら辛抱強い女房でもこれではかなわ」くなって、ついに自分も「疲労困憊の頭に活を入れようと」旦那さまに一杯のペルノーをご所望。ところが、これを飲んだ途端、酔っ払って頭に血は昇り、眼はくらくら、手足が綿のようにぐったり。すると急にむらむらと腹が立ってきて、「あなたのお酒だけでも仕事のさまたげになるのに、そのうえわたしにまで飲ませて、あくまでさまたげなくともいいでしょ!」――いやあ、楽しいご夫婦であります。ガボリオ作品にユーモアがないため、月報にこんなに楽しいエッセイを載せる配慮に感激である。

 で、ガボリオ作品ということで、ヤフー・オークションで見つけた改造社版世界大衆文学全集の第26巻「ガボリオ集」を手に入れた。この叢書は比較的手に入りやすいが、それにしても、思い立ったときにすぐ買えるのは、ネット時代の恩恵である。

 で、ぱらぱらめくってみて驚いた。本書は「ルコック探偵」と「ルコック探偵後記」それに「河畔の悲劇」から成り立っているが、この「ルコック探偵後記」が同書の第二章なである。驚いたのはその分量で、「第一章」にあたる部分が270ページほどあるのに、「第二章」は90ページしかない。大幅なダイジェストである。つまり、昭和初年からすでに「第二章」はあまり面白くない、と思われていたわけだ。

 気がついたのだが、ガボリオは「青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/」に作業中の作品が「書類百十三」「ルコック探偵」「ルルージュ事件」と3作あるのね。田中早苗の翻訳が著作権切れということだろうか。いつ出来上がるんだろうな。

 ところで、ガボリオの師にあたるポール・フェヴァル。初期のロマン・フィユトン作家であるが、よく知らなかった。

東都書房版『ルコック探偵』の中島河太郎の解説では、

(ポール・フェヴァルは)百冊以上の小説と多数の戯曲を書いている。1844年の「ロンドンの秘密」は、イギリス人に対していろいろな犯罪をたくらむアイルランド人を主人公にした話だが、その中にイギリス人の私立探偵を登場させている。
 また1863年の「黒衣団」は、復讐の目的で乞食に姿を買えて敵を追いつめる話で、主人公の推理と変装術が描かれている。
 このフェヴァルの作品からの窺えるように、当時の小説では、悪漢だとか、無実の囚人だとかの犯罪者的ヒーローの冒険を描き、彼らの探偵的行動が挿入されることはあっても、彼らを追う側の探偵推理は無視されていた。

と説明されている。

 これもネット検索すると、こんなページがみつかった。
http://www.littera.waseda.ac.jp/appendix/CLLF/pdfs/vol25/01%88%EA%9E%8A001-018.pdf

 これによると、1874 年に『吸血都市――アンヌ・ラドクリフ夫人の信じられない冒険』というゴシック小説のパロディーを書いているらしい。

ラドクリフ夫人となる前のアン・ワードが、吸血鬼に襲われた友人を助けるために、自分の結婚式そっちのけで奔走し、怪物たちの都市に乗り込むという内容なのだが、語り手は自分の物語とラドクリフの『ユドルフォの秘密』を比較してみたり、ラドクリフの手法についてコメントしたりする。

(あなた方が私と同じかどうかは知らないが、その比類なき物語で、「彼女」が自分で積極的に発明した「先回りしないでおこう」という、この言い回しを使うときはいつも、私は鳥肌が立つのだ。)

 また、1866年の『犯罪製造所!』は犯罪大衆小説のパロディらしく、例えば暗号の手紙が出てくると、

手紙の文面は以下の通り。
「17, 34594, 2903549669...」
だが、普通の言葉に翻訳するのが良かろう。
「愛しのマリアンナ嬢へ[...]

てな具合に、暗号の仕組みはまったく明かされなかったり、

「死刑囚の息子」という大層なあだ名を持つ恋人は、真夜中になると示し合わせた通り、煙突を使って忍び込もうとするのだが、抜け出せなくなって助けを呼ぶ羽目になる。なんとも間抜けだが、実はこの男、別名ドクター・マレンゴという超人であり、「ドクター・マレンゴの病人たち」と呼ばれるたくさんの手下を従えている。
(ドクター・マレンゴは)逃げた悪人たちを追跡するために、手下に「トリック発見粉」を使えと命じる。これは、吹き付けると隠れた仕掛けが現れるという粉である(ちなみに、敵方は「人相を変える水」というアイテムを持っている)。「トリック発見粉」を使うと、たちまち無数の隠し扉が現れる。粉の威力が強すぎて余計な仕掛けまで見えてしまったのだ。ドクター・マレンゴは、もっとも怪しい扉を選び、「描写したら時間がかかりすぎるだろう特殊な方法」で開ける。

 愉快な小説のようで、ちょっと読んでみたい気になる。
 しかし、ポール・フェヴァルはじつは「文学作家と大衆作家の間に立つというジレンマに悩まされ続け、自分の職業の権利を守るために戦い続けた」作家であって、この『犯罪製造所!』も、

フェヴァルは、『犯罪製造所』がパロディーであること、読者に小説のカラクリを教えようとしているのだということを明らかにしている。また、ポンソンたち当時の流行大衆作家と自分をしっかり区別し、『犯罪製造所』でパロディー化されているものは、彼らの作品にこそ多く適応されていることを示して、騙されないよう読者に注意を呼びかけている。

ということだそうだ。愛情あるパロディでなはく、そういう犯罪大衆小説を皮肉に見ていたということか。明治期の硯友社の「どうも探偵小説が横行しては、純文芸物が売れが悪いですから、一つ毒を制するには毒を以ってするとやらで、探偵小説文庫を出して、安価でドシドシ売って見ましょう」という作戦を思い出した。