MWAジュヴナイル賞1963年(承前)

 1963年は、MWA最優秀長篇賞はエリス・ピーターズの『死と陽気な女』に授与され、ロバート・L・フィッシュが『亡命者』で処女長篇賞を受賞、ジョン・ディクスン・カーがグランド・マスターになった年である。



 この年のMWAジュヴナイル賞の候補作のうち、ジェーン・ラングトンの The Diamond in the Window (1962) は、ホール一家年代記(Hall Family Chronicles)と呼ばれるシリーズの第一作である。このシリーズは、現在までのところ、以下のような作品がある。

  • The Diamond in the Window (1962)
  • The Swing in the Summerhouse (1967)
  • The Astonishing Stereoscope (1971)
  • The Fledgling (1980) 『大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子』
  • The Fragile Flag (1984)
  • The Time Bike (2000)
  • The Mysterious Circus (2005)

 マサチューセッツ州コンコードを舞台に描かれるこのシリーズは、43年かけて7作という、じつにゆったりとしたペースで発表されている。作者が愛着をいだいているだけでなく、読者がついてくる、というのは、このシリーズがロングセラーとして長らく愛されている証拠だろう。『大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子』[あかね書房/谷口由美子訳/2002]によると、ホール一家は以下の人々で構成されている。年齢は第四作の時のもの。

大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子 (あかね・ブックライブラリー)

大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子 (あかね・ブックライブラリー)

  • フレデリック・ホール(フレディおじさん)……ヘンリー・ソローとラルフ・エマーソンに心酔し、コンコード超絶主義大学を創設。(自宅で生徒を集めてソローとエマーソンについて教えている)
  • エリナー・ホール……14歳の活発な少女。両親をなくし、フレディおじさんに育てられている。
  • エドワード・ホール……12歳。エリナーの弟。
  • アレクサンドラ・ドリアン・ホール(アレックスおばさん)……フレディおじさんの妻。かつてはコンコード超絶主義大学の生徒で、いまは教授。
  • ジョージー・ドリアン……8歳。アレックスおばさんの連れ子。

 『大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子』はファンタジーの手法で描かれ、ミステリ的な面はない。あちこちの紹介文を読む限り、シリーズのほかの作品も、多かれ少なかれ、ファンタジーの要素を入れながら書かれているようで、MWAジュヴナイル賞の候補になった第一作は、エドワードとエリナーが、神秘的な詩と夢に導かれて、クリシュナ王子の財宝を探す話らしい。クリシュナ王子は第二作にも登場し、さらわれたジョージーを助けるため、エドワードとエリナーは異次元に入っていく。『大空(そら)へ』の次の The Fragile Flag では、9歳になったジョージーが、地球を破壊できるミサイルに反対して、ワシントンまで大統領に抗議に行く話のようだ。『ジョージーと子ども十字軍』という仮題がついている。

 一家の住むウォールデン通り40番地の家は、実在するらしい。あかね書房の本の訳者あとがきには、その家の写真が訳者の探訪記と供に載っている。The Diamond in the Window (1962) の原書の表紙の絵にある家がそれだ。ラングトンはこのシリーズに登場する家と町、そして子どもたちはリアリスティックだが、フレディおじさんはファンタスティックな存在であると語っている。理想家でありながら、バランスのとれた大人として行動し、自宅をコンコード超絶主義大学と称して講義をしつつ、きちんと生活ができるほどの収入を得ている人物は、現実にはありえない存在だと、作者はわかっているのである。対して、空を飛んだり、異次元に行ったりする子どもたちは、逆にリアリスティックというわけだ。

 8歳のジョージーは、同年代の友達もなく、一番の願いは、空を飛ぶこと。そんなジョージーの前に、大きなカナダ・ガンが現れ、本当の飛び方を教えてくれる。それから毎晩、ジョージーはガンの「王子」とともに、空を飛びに出かけるのだ。

 フレディおじさんの信奉するヘンリー・ソローは、コンコードにあるウォールデン湖のほとりに住みながら、そこでの生活を『ウォールデン―森の生活』として著した詩人、博物学者である。『大空(そら)へ―ジョージーとガンの王子』の中で、ジョージーがカナダ・ガンの「王子」と供に空を飛ぶのも、この湖の上だ。このシーンの描写は、すばらしい。原書の表紙にあるのが、このシーンである。

 ファンタジーの文法にのっとり、ジョージーは成長とともに飛べなくなる。8歳は、かろうじて現実と非現実の境を乗り越えられる年齢なのだろう。だから、これは物語文にすると、「ジョージーが空を飛べた話」ではない。「ジョージーが空を飛べなくなる話」にちかい。「ジョージーが空を飛ぶことを望まなくなる話」もちょっと違うか。「ジョージーが空を飛ばなくてもよくなる話」でどうだろう。