ガボリオ・ガボレイ


東都書房の《世界推理小説大系》は1962年から65年にかけて出版された。名作や人気作を羅列しただけの全集と違い、欧米の推理小説史を俯瞰できるように編集された全集で、この種の大系全集としては、戦前の博文館の《世界探偵小説全集》(1929-30)と双璧をなすものだろう。


この《世界推理小説大系》の1巻は、もちろんポー集だが、2巻にはガボリオの「ルコック探偵」が収められている。*1

で、このガボリオの「ルコック探偵」を読み出したのだが、いやあ、これがなかなか進まない。やっと第一部の「調査」編を終わって、第二部「家名の栄誉」に入ったところ。菊版3段組で読み慣れないせいもあるが、なにしろ内容が古めかしい。フランスの古い大衆小説は、読むのがたいへんである。

でも、翻訳はそれほど悪くはない。出版された時代を考慮すると、読みやすい部類に入るだろう。

以前、小倉孝誠の『推理小説の源流』[淡交社]を読んだとき、この「ルコック探偵」の紹介のなかで、パリ警視庁が「頭脳はオルフェーヴル河岸の方にあり、不可視の目がいたるところに張りめぐらされているあの謎めいた権力」とたとえられている、としていた。ここから小倉は

不可視であるがゆえに偏在できる警察という権力。近代フランスが整備した司法制度は、偏在性と不可視性の錯綜のなかで、しっかりと社会に根づいていた。

と論をすすめるのだが、この部分は、東都版の永井郁の翻訳では、

オルフェーヴル河岸(パリ裁判所の在る所)にでんとみこしを据えて、八方に睨みをきかせている不思議な力

となっていて、「不可視であるがゆえに偏在できる」というニュアンスがなくなっている。直訳調を避けたためだろうか。

そういえば、小学生のころ、子供向けの「名探偵ルコック」を読んだ。原作は、この「ルコック探偵」だったはずだ。ルコックの相棒として、飲んだくれの刑事「アブサン老人」が出てくるのだが、アブサンという強い酒の存在を、この子供向けガボリオで知ったのも、記憶にある。水島新司野球マンガよりも前である。そんなことは覚えていても、第二部の過去の因縁話は、まるっきり、すっかり、なんにも覚えていない。

さて、いかがなるのやら。

*1:ちなみに3巻はウィルキー・コリンズの「月長石」、4巻でやっとドイルになる。