ロマン・フィユトンについて

 ガボリオを読むのに飽きて、雨が上がったのを幸い、自転車で浦安図書館に行き、『「パリの秘密」の社会史―ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代』を借りて、読みはじめる。



いきなり、

もしあなたが仏文科の学生でなく(あるいはかつて仏文科の学生であったこともなく)、フランス文学の教師でもないのにウージェーヌ・シューの名前を知っているとすれば、さらに彼の作品の表題をいくつか挙げられるとすればなおのこと、あなたは相当の文学通と呼ばれてしかるべきである。

 と書き出されている。そ、そうだったのか。僕って「相当の文学通」だったのね。照れるなあ。

 もっとも、彼の作品の表題は『パリの秘密』と『さまよえるユダヤ人』しか知らないから、たちまちお里が知れるのだが。とりあえず、犯罪に関する泰西大衆小説全般に興味があるなら、この二冊はよく耳にする。

 で、ロマン・フィユトンである。フランス大衆小説は新聞連載小説(ロマン・フィユトン)としてはじまった。ヘイクラフトの『娯楽としての殺人』には、フィユトンについてこう述べられている。

この新聞小説(フィユトン)――この言葉は小冊子(リーフレット)という意味だが――とはフランス特有の名物であって、当時の新聞雑誌のいわば『文芸付録』のようなものである。最初はゴシップや批評、評論、パズル、笑話などのつめあわせだったが、やがて読者をひきつけるのに必死な編集者のよい道具になって、三文作家たちの白熱的なし仕事場として黄表紙本の際もの小説シリーズとなっていった。

 新聞そのものに掲載される小説ではなく、別冊付録だったのか。しかし、『「パリの秘密」の社会史』の第一章「新聞小説の時代」を読むかぎり、やはり新聞本誌に掲載された連載読み物と思われる。

 この第一章はロマン・フィユトンの流れを記述していて、わかりやすい。*1この第一章の内容を要約してみる。

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 新聞に書き下ろしの小説を連載するという営みは、十九世紀前半、七月王政期(1830-1848)のフランスで誕生した。これは出版産業が資本主義的な生産と消費の形態のなかに組み込まれたことを示す文学の一形式である。(ちなみに日本では明治十九年(1886)からはじまり、二十年代に隆盛期を迎える)この形式は二十世紀になると衰退し、第二次世界大戦前後までは細々と生き延びたものの、今日では消滅した。

 新聞小説は娯楽であると同時に、民衆にたいする啓蒙的な意義をもっていたし、既存の社会や制度にたいする異議申立てという側面を強くおびていた。良心的な文学者からは安易で卑俗な文学と糾弾され、他方で保守的な階層からは不道徳で、秩序や宗教を脅かすものと警戒された。

 十九世紀前半に活字メディアはこれまでにない発展をする。それは産業革命による印刷物の大量生産、鉄道による広範囲の流通機能の整備、そして教育の普及による読者の増大による。1850年代には鉄道旅行のための「鉄道文庫」まで登場した。*2

こうして七月王政期には活字メディアの発展と文学の大衆化をうながす条件がそろう。王政復古期(1815-1830)に新聞・出版にたいして行われた監視体制が緩和したことも、それに拍車をかけた。そうした情況を見抜き、そこに商業的な成功のチャンスを嗅ぎつけたのがエミール・ド・ジラルダン(1806-81)である。ジラルダンが1836年に創刊した日刊新聞『プレス』は、フランスのジャーナリズムに革命をもたらした。当時の新聞は年間予約によるものだったが、『プレス』紙はその年間購読料をそれまでの半額の四十フランにし、また当時の新聞の主流である硬派な政治的な内容を避け、娯楽的傾向を強めた紙面にした。これは見事にあたって、数ヶ月で一万人の予約購読者を確保、1840年代にはその数が二万人を超えた。

 『プレス』によって創始され、文学の世界に決定的な衝撃をもたらしたのが新聞小説の連載である。最初の新聞小説バルザックの『老嬢』である。安価な大衆新聞の広告が文学を商業化させ、連載小説が文学の質を低下させる、という警鐘があったものの、拡大する読者層の存在は、ペンで生活する作家たちが読者大衆の夢想や欲望を考慮するよう余儀なくさせた。彼らは卑俗な打算のみからそうするように振る舞ったのではなく、変化する文学市場の要請に冷淡をよそおうことができなかったのである。新聞に寄稿したのはいわゆる大衆作家だけではなく、ユゴー、ラマルチーユ、バルザックジョルジュ・サンドら、七月王政期を代表する作家たちもそうであった。時代は下っても、ゾラやモーパッサンの作品の多くは新聞連載によるもので、十九世紀フランスの文学者にとって、新聞小説という形式は避けがたい制度となった。

 当時の大衆新聞小説のジャンルはおおむね以下のようなものである。

  • 海洋小説 …… 海岸、島、船上での冒険譚を語るもの
  • 暗黒小説 …… イギリスのゴシック・ロマンスの影響下の作品。恐怖と幻想の入り混じった出来事が展開するもの
  • 歴史小説 …… ウォルター・スコットやフェニモア・クーパーの作品の影響によるもの
  • 風俗小説 …… メロドラマの伝統に連なる同時代の社会を描くもの

 これらに共通するのは、

  • 読者の興味を日々つなぎとめるドラマチックな筋立て
  • 悲劇的なものと喜劇的なもの、あるいはグロテスクと恐怖の結合
  • 社会批判を織り交ぜること

 代表的な書き手は、アレクサンドル・デュマ、ウージェーヌ・シュー、フレデリック・スーリエ、ポール・フェヴァルなど。

 こうした新聞小説の隆盛がなにをもたらしたかは、また明日。

*1:これまで読んだものでは、松村喜雄の『怪盗対名探偵』があるが、これは記述が錯綜して読みにくく、またあきらかに誤認と思われる内容が多かった。

*2:これは同じような鉄道客ねらいのイギリスの「イエローバック」登場とほぼ同時期