ロマン・フィユトン(続き)

忘れないうちに、『「パリの秘密」の社会史』の第一章「新聞小説の時代」の要約の続きを。

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 それまでの作家の報酬は、原稿に対する一括払いがふつうだった。(印税方式はまだなかった)小説一作の原稿料は、作家の格により、少数のエリート作家(ユゴーやポール・ド・コック)から、群小の無名作家まで、いくつかのグループに分かれていた。しかし、エリート作家でも一作につき3000〜4000フランであった。

 新聞小説の隆盛により、作家の価値のヒエラルキーに変化をもたらされた。日々新聞に連載される小説は、読者の反応に過敏に反応する。評判が良ければ、当初の予定期間を超えて連載は延び、不評ならば、連載は打ち切られる。ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』(1842-43)は爆発的な人気で長期連載となった。つづく『さまよえるユダヤ人』(1844-45)によって、シューは10万フラン(現在の日本円で1億円以上)を手にした。同じ頃、デュマは『三銃士』(1844)、『モンテ=クリスト伯』(1844-46)を相次いで発表し、シューに比肩する成功を収める。『プレス』紙のライヴァル紙『シエークル』は、一年に10万行書くことを条件に、デュマに15万フランの原稿料を支払った。

 当時の新聞は、発行地以外の町では原則として予約購読制で*1、購読料は安くなったとはいえ、まだまだ高く、購読者は主として都市のブルジョワ層であった。1840年代後半で、『プレス』紙の発行部数は2万〜3万部である。もっとも、一家全員、作業場の全工員が回し読みをするし、貸本屋で読むことも出来たため、実際の読者数はその数倍になる。

 第二帝政期(1852-70)はジャーナリズムや出版界にきびしい監視が行われ、言論の自由が制限された。公序良俗を壊乱するような文学作品は発表が困難になり、ユゴーやシューは亡命する。しかし政治的な問題に触れなければ出版は比較的自由に行うことができた。非政治的な新聞は税金を免除され、また1856年からは発行地以外でも予約購読なしに販売が可能になった。これにより1860年代になると、安価な大衆紙が生れてくる。

 こうした中で1863年に『プチ・ジュルナル』が創刊された。政治色を排除し、版型を他の新聞の半分にし、一部5サンチーム(これまでの3分の1)で売り出された大衆紙である。パリで発刊され、地方でも一部ずつ売り出された最初の新聞だった。紙面は、道徳的教訓をまじえて啓蒙的に行われる時評、犯罪・事故・情痴事件などの三面記事、血湧き肉踊る連載小説の三本柱で成り立っていた。

 この連載小説は、超人的なヒーローの冒険譚や犯罪物語が中心となり、ポンソン・デュ・テラールの快男児ロカンボール・シリーズやエミール・ガボリオのルコック探偵ものなどが連載された。これらは検閲のきびしい時代に権力との葛藤をあらかじめ聡明に避け、政治色を払拭した文学である。『プチ・ジュルナル』が標榜したのは知識と遊び、啓蒙と娯楽にほかならない。それはその後のフランスのみならずどこの国でも、大衆的なジャーナリズムの基本理念となって今日に至っている。

 『プチ・ジュルナル』の発行部数は1867年には25万部にまで伸びる。これは、当時パリで発行されていたすべての政治的な日刊紙の合計数よりも多い。この数字は、1890年代のはじめにはついに100万部に達する。

 知識と遊び、啓蒙と娯楽という『プチ・ジュルナル』によって確立された大衆ジャーナリズムの基本理念は、19世紀末から20世紀初めのベル・エポック期に未曾有の規模で開化する。『プチ・パリジャン』(1876年創刊)、『マタン』(1884年創刊)、『ジュルナル』(1892)創刊が加わり、20世紀初頭には四紙合計で450万部に達した。フランス史上に例のない、大衆新聞の黄金時代だった。

 この時期、デュマやシュー以来の歴史小説や風俗小説は書かれ続けていたし、彼ら自身の作品もあらてめて連載されたりした。(つまり再録か)しかし、この時代にもっとも栄えた新聞小説のジャンルは二つあり、これは読者の性別によって支持がはっきりとわかれるようになった。

 ひとつは女性向けの感傷的な心理小説。叶わぬ愛、悲劇的な死、家庭のドラマが主要なテーマであり、ほとんどつねに女性が主人公である。主人公はしばしばなんらかの事情で子供から引き離された母親で、彼女の目的はその失われたわが子を発見することに尽きる。彼女をひそかに愛する男や、高潔な心の持ち主が彼女を助ける役割をになう。あるいはまた、ヒロインは家族や社会によって不当に迫害された女である。彼女はひたすら受け身の態度で、家族や社会がみずからの過ちに気づいて彼女の名誉を回復してくれるのを待つ、という構図だ。

 もうひとつは男性向けの冒険・犯罪小説。冒険小説の主人公は男、しかも聡明で活力にあふれ、ときにダンディで、つねにみずからの意志と行動で活路を切り拓いていく。しばしば異国の地を舞台にし、そこに進出したフランス人の植民活動が語られる。犯罪小説はガボリオからボアゴベーを経て、モーリス・ルブランの「リュパン」シリーズ、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』、スーベストルとアランの「ファントマ」シリーズへと連なる。これらは都市の闇の世界を背景に、探偵の活躍よりも犯罪者の行動を、謎とその解明よりも犯罪そのものを中心に据える傾向が強い。

 第一次世界大戦後から、劇画や、映画のシリーズ物や、ラジオ・ドラマなどが新聞小説に取って代わる。これら新たな大衆文化の表現媒体は、独自の手法にもとづいて、新聞小説のテーマを受け継いだと言えるだろう。

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要約は文章をそのまま引用したものではなく、適時継ぎ合わせ、またリライトしています。

*1:発行地、例えばパリでは一部買いも出来たらしい。