ホーナングの翻訳について


 論創海外ミステリの『二人で泥棒を』は、紳士強盗ラッフルズのシリーズがはじめてまとまった貴重な訳本である。そのご、第二短篇集も、第三短編集も同叢書で刊行され、とりあえず、長い間本邦の紹介が遅れていたこのシリーズは、気楽に読めるようになった。


 ところで、この『二人で泥棒を』の第2話「衣装のおかげ」を読んで、どうもふに落ちないところがあった。相棒のバニーが悪党一味にとらわれの身になって、ラッフルズがそれを助けるのだが、当の悪党一味が最後までお咎めなしなのだ。なんだか、結末にしまりがないのである。あれ、こんな話だっけ? なんだかおかしいなあ、と思って、前に読んだ『クイーンの定員』(光文社/浅倉久志訳)に載っている同じ短篇の邦訳「ラッフルズと紫のダイヤ」と訳文を比べてみた。

 で、驚いたのだが、論創版は、文章がたいぶ省略されているのである。

光文社版
「ははあ、頭の切れる野郎だ」ローゼンタールは引き金に指をかけながらいった。「しかし、わしのほうが一枚うわ手だぞ」
「ああ、わかっているとも、そんあこたあ! 泥棒をつかまえるには泥棒を使え――まったくうめえことをいったもんだぜ!」
 わたしは丸く黒い銃口と、わたしたちを誘きよせた呪わしいダイヤと、栄養の足りすぎた拳闘家の豚面と、ローゼンタールの朱をそそいだ頬と鉤鼻から、むりやりに目をもぎ離したところだった。そのむこうかの戸口に固まって震えている絹のドレスと、黒い頬と、白い目玉と、もじゃもじゃの髪をながめていたのだ。しかし、とつぜんの沈黙で、わたしはまた百万長者に視線をもどした。いまや、彼の鼻だけがふだんの色をたもっていた。
「どういう意味だ?」彼はかすれ声で毒づきながらいった。

論創版
「おまえのことは分かっているさ」とローゼンタールはピストルの引き金に指をかけながら言った。「むろん、盗みの目的で入ったんだろう」
「それはそうですがね、まあ、泥棒が泥棒の盗みをやるだけのことでして」
 一瞬、異様な静寂が部屋を満たした。
「どういう意味だ?」ローゼンタールはしゃがれ声を張り上げた。

 ここの部分だけを見ると、差別的な表現が削除された原文が別にあるのか(アチラでも差別表現狩りはある)、とも思われたが、論創版はこのあとも、かなりの文章がなくなっている。光文社版で読むと、次のように最後のラッフルズの台詞で語られる部分が、論創版では大幅に省略されている。

光文社版
そこで御者に十シリングやって、マッケンジーのやっこさんへの親展状を持たせ、ロンドン警視庁へ使いに出したのさ。半時間かそこらすると、刑事部が総動員せローゼンタールの屋敷に乗り込むだろう。もちろん、おれはあいつが警察嫌いだってことに賭けていたわけさ――

論創版
まあ、十シリング掴ませて本署に行けと言ってやったがね。むろん、ローゼンタールが警官嫌いであることは分かっていた。

 これだけで、刑事部が総動員でローゼンタールの屋敷に乗り込むのを想定せよ、といっても、むずかしい。
 ううむ、やはり原文が二種類あるのか、それとも訳者の問題なのか? 疑問は残るのである。