1891〜1900年/イギリス

■ドイルの十年――1891〜1900年/イギリス


 エラリイ・クイーンは短編集によるミステリ発展史《クイーンズ・クォーラム》の中で、1891〜1900年を「ドイルの十年 The Doyle Decade」と呼んでいる。言うまでもなく1891年はシャーロック・ホームズの短篇シリーズが開始された年であり、また奇しくもポーの「モルグ街の殺人」が発表されてからちょうど50年目である。そして19世紀の最後の10年は、それ以前からの長篇スリラー作品も引き続き書かれていたが、ホームズの人気により、短篇形式による探偵小説が注目を集めるようになった10年でもある。ドイルが創始したシリーズ・キャラクターによる短篇連作探偵小説の時代がはじまったのである。


 A・E・マーチは「推理小説の歴史」のなかで、この時期に推理小説が急速な発展をとげた理由として、以下の4点をあげている。

  • この時期に科学上の大発見が続き、大衆の関心がものを発見し解明する才能にあつまった
  • 唯物思想の影響で、社会を犯罪者から守る役目の人々が英雄視された
  • 経済発展により低賃金の広汎な社会層が生み出され、彼らの娯楽として探偵小説が適していた
  • 「個人尊重」の思想の発達で、個性的な探偵や作家の個性が売り物になった

 マーチ女史によると、「この時代はまた、小説読者の本の読み方がいままでよりもずっと選択的になり、自分の好みに合ったタイプの小説だけを読む傾向が強くなってきた」という。あらかじめどういうタイプの小説かを示しやすい同一主人公による短篇連作形式が好まれた一因だろう。

 さて、シャーロック・ホームズの人気にあやかろうと、この10年間で多くの探偵たちが登場した。しかし、探偵小説の「最初の黄金時代」とも呼ばれる短篇探偵小説の時代を代表するような名探偵たち、例えば隅の老人だとかブラウン神父だとか思考機械だとかソーンダイク博士だとかアブナー伯父だとかマックス・カラドスだとかは、20世紀になってからの登場であり、「ドイルの十年」に登場したのは比較的小物といってもいい。

この時期における作品づくりの関心事は、奇怪な謎の提供とその解決の巧妙さにあったのに対し、登場人物が如実に描いてあるかどうか、あるいは、謎解きよりも物語自体に面白みがあるかどうかなどは、天から問題にもされなかった。当時活躍した作家たちは多士済々で、犯罪を題材にした作品の最初の黄金期と呼ぶのに十分なものがあった。ただし、これらの作品はみな、ホームズ・シリーズを純金だとしたら、せいぜい九カラット級の合金といったところか。(『ブラッディ・マーダー』)

 こうジュリアン・シモンズが述べたのは、1890年代から第一次世界大戦終結(1918)までの約30年間全体を通してだが、とくに最初の10年に現れた探偵と作品については、「ホームズ・シリーズを純金だとしたら、せいぜい九カラット級の合金」というのは、まさに当っている。しかし、シモンズはまた、こうも続ける。

読者がそれなりの品質として享受するつもりなら(探偵小説の愛好者というのはかならずそうする人種なのだが)、登場する探偵のさまざまなタイプや、それぞれの作品に込められた多彩なアイディアによって、永続的な喜びを与えられたに違いない。(『ブラッディ・マーダー』)

 そう、探偵小説の愛好者というのはそういう人種なのだ! ということで、ホームズに続いて19世紀中に登場した探偵たちとその作家に触れていくことにしよう。

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 「イギリスのコナン・ドイル以後最初の重要な探偵小説の作家は、アーサー・モリスンである。(『娯楽としての殺人』)」と、ヘイクラフトは断言する。モリスンが創造した名探偵マーチン・ヒューイットは、シャーロック・ホームズの第二シリーズが「ホームズの死」という形で終了したわずか三ヵ月後の1894年3月、同じ《ストランド・マガジン》誌上に登場する。挿絵もホームズ・シリーズを担当したシドニー・パジェットだったことからも推測できるように、おそらく、ホームズの連載再開が望めないことから、急遽たてられた代役だったのだろう。

 作者のアーサー・モリスン Arthur Morrison (1863-1945)は、ロンドンのスラム街出身の作家で、1880年代後半からジャーナリズムの世界に身を投じた。1891年からスラム街をリアルに描いた短篇の執筆をはじめ、短篇集 Tales of Mean Streets (1894) や長篇 A Child of the Jago (1896) などが著名である。また、中国や日本の絵画のコレクターでもあり、そのコレクションは1913年に英国博物館に収められた。

 モリスンにドイルの後継者としての白羽の矢がたった理由、そして彼が探偵小説の連作をはじめた理由は定かではない。が、いずれにせよ、探偵小説はモリスンにとっては余技であったことは間違いないようだ。余技とはいえ、ドイルの模倣とは思われたくなかったのだろう。ホームズと違った魅力を自らの探偵に与え、新機軸を打ち出そうとしている。

ヒューイットの外見と言動は、作品の発表年次で明らかなように、ホームズ流のスーパーマン探偵への、最初の意識的な反動であった。(『ブラッディ・マーサー』)

ヒューイットはホウムズほど多彩ではなく、また彼ほど全能でもなく、はるかに平凡であった。(中略)モリスン氏のこころみは、明らかに、探偵小説に信頼性のある現実味を与えることだった。そして丹精こめた、学者的でさえある文体によって、読者の中の、こんなもともと人工的なタイプの娯楽文学には拒絶反応を示すのが普通であるような階層を、ひきつけようとしたのだ。(W・H・ライト「傑作探偵小説」序文)

 ホームのあとがまとして《ストランド・マガジン》に登場したがゆえ、ホームズと似すぎることを嫌って、ホームズから離れようと、外見的にはきわめて平凡な探偵を創造したのであろう。その姿は「恰幅のよい、剃刀をきれいにあてた、中背の、快活な、丸い顔つきの男」(井上一夫訳/以下同)と形容され、「あらゆる階層の人々のなかに完全にとけこむ能力をもっている」のは、変装がたくみであるためもあるが、やはり外見に大きな特徴がないことが第一の要因といえる。

 それでも、A・E・マーチからは、次のように言われてしまう。

彼のやり口はホームズのそれにくらべるとなんとなく地味で生彩がなく、「普通の能力の賢明な行使以外これといって独自な方法を何も持っていない」が、彼が友人でジャーナリストのブレットの口を通して語られるとヒューイットの探偵譚は、彼が同時代のどの探偵よりもシャーロック・ホームズに似ていることを示している。(「推理小説の歴史」)

 平凡で際立った特徴がないため、ヒューイットは「あらゆる階層の人々のなかに完全にとけこむ」ことができる。それはホームズ式の名探偵という金型にもとけこんでしまうということであり、外見は違っているのに、妙に印象が似てしまうのはそのためである。
 モリスンはヒューイットの探偵方法について、以下のように述べている。

「捜査理論といいましても、私はべつに、あらかじめ捜査の方法をきめてかかるわけではありません。すべて、常識と観察眼にたよっているのです。」(ヒューイットの言葉/「レントン館盗難事件」宇野利泰訳)

マーチン・ヒューイットがその職業上の手法について自分自身に許している、ほとんど唯一ともいうべき教条主義は、蓋然性の積み重ねということだった。(「フォガット氏の事件」)

まるで直観のような推理のめざましい力を、ただの『常識』と卑下するマーチン・ヒューイットの性質が、警察の能力を人が正当と考える以上に高くかいかぶらせているようだった。(「アイヴィ・コテージの謎」)

「もしわたしが事件に関係するとしたら、いつも見たり聞いたりできることは、ことが重大かどうかにかかわらず、すべて自分の目と耳で見たり聞いたりするのを方針にしている。手がかりというのはおよそありそうにもないところにあるものだ。」(ヒューイットの言葉/「〈ニコウバー〉号の金塊事件」)

 このように、「普通の能力」や「常識」を強調するものの、結局それは、警察や一般人が気づかなかった「常識」なのであって、その「常識」に気づいたヒューイットは非凡ではないことになる。もとより「名探偵」であるのだから、「平凡」というのは外見的な部分だけで、才能まで「凡人」なら、探偵小説は成り立たない。作者による平凡さの強調は、才能の非凡さを際立たせるためのレトリックでしかない。さらに、ヒューイットが語り手のブレットに次のような台詞も述べるとき、その姿は限りなくホームズの風貌に似ている。

「これはきみにとって、ちょっとした練習問題になるだろうね。わたしがもし弟子をもったら与えるような練習問題だよ。」(「アイヴィ・コテージの謎」)

 もちろん、ホームズはこうした台詞をワトソンに言うことはありえない。しかし、この言葉のなかにある尊大さ、自らの探偵方法に対する自信は、まさにホームズと共有するものだろう。

 アーサー・モリスンの探偵小説には、主に次のようなものがある。

  • Martin Hewitt, Investigator (1894) (マーチン・ヒューイット#1) 《ストランド・マガジン》連載
  • Chronicles of Martin Hewitt (1895) (マーチン・ヒューイット#2)《ウィンザー・マガジン》連載
  • Adventure of Martin Hewitt (1896) (マーチン・ヒューイット#3)
  • The Dorrington Deed-Box (1897) (悪徳探偵ホーレス・ドリントン)《ウィンザー・マガジン》連載
  • The Red Triangle (1903) (マーチン・ヒューイット#4)/エピソード形式の長篇
  • The Green Eye of Goona (1904)『緑のダイヤ』/エピソード形式の長篇

 短篇集の数はあるものの、各集6〜7編しか収録していないため、総数はそれほど多くない。ヒューイットの第一作は「レントン館盗難事件」で、乱歩選の『世界短篇傑作集1』のほか、ポケミスの『名探偵登場1』などに収録されている。創元推理文庫の『マーチン・ヒューイットの事件簿』には第一短篇集の残りすべてと、第二短篇集のほとんどが入っている。

 田舎の大邸宅で起った奇妙な盗難事件を語る「レントン館盗難事件」は、各種アンソロジーとられているだけあって、さすがに面白い作品に仕上がっている。現場に残されたわずかな証拠から犯人像を見破るあたり、よく出来ている。その他の短篇では、関係者しかいない密室状態から魚雷の設計図が盗まれる「ディクソン魚雷事件」や、銀行の集金人が金を持ち逃げしたと思われる「レイカー失踪事件」は、犯行の手口が面白い。また、高価な美術品が美術商から紛失する「スタンウェイ・カメオの謎」は、動機に工夫がある。

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