クローズド・サークルについて

 最近、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』の「推理小説」の項目を見たら、「サブ・テーマ/ジャンル」のなかに、「クローズド・サークル」ってのが加わっていた。ご丁寧にも、独立した項目にも「クローズド・サークル」はできている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E7%90%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC#.E3.82.B5.E3.83.96.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.B3.E3.83.AB.EF.BC.8F.E3.83.86.E3.83.BC.E3.83.9E

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB_%28%E6%8E%A8%E7%90%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29


 これが、「本格推理小説」「倒叙」「ハードボイルド」「警察小説」などと並列に記述されているのだ。ちょっと前にのぞいたときは、この項目はなかったから、最近、追加されたのだろう。



 だいたい、このページを記述している方たちの興味の中心は、いわゆる「本格ミステリ」それも日本の作品を中心としたものらしく、「本格」関連の用語が何度も細かく直されているのに比べ、それ以外の用語については、まことにおざなりである。「ハードボイルド」など

主人公が余り感情を表に表わさず、全体に非情さ・シニカルさを強調した作品。

と一行あるだけ。独立した項目もあるのだけど、そちらをみても、

最も典型的な主人公像は、トレンチコート(コートの中はスーツ)に身を包みソフト帽を被ったタフガイというものである。

 おいおい、いったいこの認識は何時ごろの話だい、と思わずツッコミを入れたくなる説明である。名探偵といえば「安楽イスにパイプ」と説明するようなものだろう。

 それはさておき、「クローズド・サークル」について、前から気になっていることがあった。

 まず、『ウィキペディアWikipedia)』の「クローズド・サークル」の説明を見てみよう。

クローズド・サークル(closed circle)はミステリ用語としては、何らかの事情で外界との往来、連絡が断たれた状況、あるいはそうした状況下でおこる事件を扱った作品を指す。過去の代表例から、「吹雪の山荘もの」「嵐の孤島もの」の様にも呼ばれる。アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」が代表作。

概要
もともとは、「犯人は読者が疑い得る人物でなくてはいけない」という推理小説のルールを、より厳密に運用するために生み出されたジャンルである。クローズド・サークルの内外の往来は断たれているのだから、その閉じた輪の中で起こった事件の犯人は、輪の中に閉じ込められた人々の中に絶対にいなくてはならないことになる。犯人にだけ使用可能な秘密のルートがあったというようなトリックは、よほど巧妙に用いるのでなければ多くの場合不評をこうむることになる。

また、現実的な警察機関の介入、組織的捜査や科学的捜査を排して、純粋にロジックによる犯人当ての面白みを描ける利点もあって、いわゆる「本格派」志向の作者や読者から好まれる傾向がある。

「もともとは、「犯人は読者が疑い得る人物でなくてはいけない」という推理小説のルールを、より厳密に運用するために生み出されたジャンルである。」と、あたかもそれが定説のように説明されている。この説明を読むと、昔から推理小説の中に、クローズド・サークルを扱った作品が連綿とあったかのようだ。じつは、別のWebサイトでも、最近、似たような説明を読んだから、このごろはこれが当り前に信じられているのだろうか?

 しかし、このような「クローズド・サークル」の利用のしかたをした名作を、わたしは思いつかないのである。このような利用のしかたどころか、そもそも、黄金時代の英米の作品でも、戦後日本の本格長篇探偵小説でも、外部と隔絶した環境での殺人(連続殺人)を扱った作品が、なにかあっただろうか? 例えば厳密に犯人当てを行おうとした国名シリーズの頃のクイーンなど、作品の冒頭では「誰でも犯人になりうる」状況を意識して作り出していたように思われる。だから、不特定多数の中から論理で犯人を導き出すのが快感なので、特定の数人から犯人を導くのなら、それは警察の仕事で充分ということになる。

 たしかにアガサ・クリスティは『そして誰もいなくなった』をはじめ、『オリエント急行』や「三匹の盲のねずみ」など、「吹雪の山荘もの」「嵐の孤島もの」のパターンを作り出した作家といえる。しかし、クリスティはサスペンスを盛り上げるために「孤島」を利用したが、「犯人は読者が疑い得る人物でなくてはいけない」という推理小説のルールを運用するためには使用していない。(実際、疑いもしなかった人物を犯人にするために、この状況を利用しているといえる)

 それにクリスティがいわゆる「クローズド・サークル」を多用したのは、彼女の作品が戯曲的な発想で造られているからだと思う。屋敷、船の中、ホテルなど、特定の場所を扱うケースが多いのは、そこに集まった人々の間でおこるドラマをミステリに利用したかったので、外からの干渉をなくすためではない。

 「現実的な警察機関の介入、組織的捜査や科学的捜査を排して、純粋にロジックによる犯人当ての面白み」というのは、わたしが知るかぎり、都筑道夫の『最長不倒距離』の冒頭の引用文(ギルバート・C・ケイスの評論からとった文章としてあるが、もちろん、この名前を見れば分かるだろうが、都筑の冗談である)で言及されたのが最初である。それ以前には、「嵐の山荘」がテーマになりうるという認識はなかったのではないか。言葉を換えて言えば、それ以前にミステリの中に「クローズド・サークル」というジャンルはなかった

 これがあたかもジャンルのように認識されるのは、綾辻行人が『十角館の殺人』を書いて以降である。だから、冒頭の『ウィキペディアWikipedia)』の「推理小説の分類」でいえば、「新本格」や「社会派」と同じように、「日本独自の分類/用語」としたほうがよろしいのではないか。