アンナ・カサリン・グリーン

■アンナ・カサリン・グリーン――「探偵小説の母」


再開します。


 ジョン・カーターの「探偵小説収集」によれば、ガボリオの英語圏への翻訳紹介でもっとも早いのは『スティール金庫―あるいはニューヨーク生活の汚れと輝き』 The Steel Safe; or, Stains and Splendors of New York Life (1868) であるという。作者は H(enry) L(lewellyn) Williams (1842-?) となっているが、『書類百十三号』の翻案らしい。*11870年代からアメリカで、1880年代からはイギリスで、ガボリオとそれに続くデュ・ボアゴベの翻訳ブームが起こっていた。

ガボリオーとボアゴベの翻訳は、1880年代になるまでロンドンに出なかったが、ひとたびヴィゼテリー社の赤表紙の廉価版になって現れると、大量に売れたし、またフランス警察の捜査法が、今日クロフツ派の作家と目されている人たちの発展にいちじるしい影響を与えてきたのである。ヴィゼテリー社が大陸から輸入した他の翻訳物の例で思いがけず知れるように、イギリスは合衆国の後を追っていたのだ。つまりガボリオーの翻訳は、彼の同国人がそれをロンドンで紹介する何年も前に、すでにボストンやニューヨークに出ていたのである。これらは大衆の興味を刺激し、本国産の探偵小説という形でにわかに反応を呼び起こした。またそれらが有名なピンカートン双書に与えた影響は、1855年以来イギリスの本屋にゆきわたっていた無数の架空回想録が及ぼしたものに比し、おそらくは大きくはなかったであろうけれども、アンナ・キャサリン・グリーンの作品には、その影響がはっきりと現れている。この作家の流行は1878年の『リヴンワース事件』から本格的にはじまり、数十年間アメリカの風物の支配的な特徴となるほどであった。(ジョン・カーター「探偵小説収集」武田行雄訳)


 ガボリオに直接の影響を与えたのは、ヴィドックとポーだろう。一方、ヴィドックの『回想録』の影響により、1850〜1860年代あたりからイギリスで「刑事の回想録」の類が数多く出回り始める。それと同時期に、ディケンズウィルキー・コリンズが刑事を主要登場人物とした小説を書き出した。そして、ガボリオの英語圏での人気は、1870年代のアメリカでふたつの流れに影響をあたえている。ひとつは、「実録もの」の分野で、イギリスの「刑事の回想録」のアメリカ版としてピンカートン事件簿。もうひとつは、イギリスのセンセーション小説やアメリカの家庭小説の流れをくんだアンナ・カサリン・グリーンの長篇である。アメリカでは、前者の流れが、1880年代からはじまる大量のダイム・ノヴェル探偵小説*2を生み出し、後者の流れが後にロマンス系スリラーにつながっていく。

 小鷹信光は『ハードボイルド以前』で、このアメリカ探偵小説の二つの流れを、以下のようにまとめている。

 ここで一つ気がつくことは、ダイム・ノヴェルズに登場したオールド・スルースのあつかう貧民街の犯罪と、豪邸の書斎で死体となって発見された老富豪の怪死事件とのあいだには、このあとの探偵小説の歴史をいみじくも象徴する顕著な差が見いだされることである。
 1920年代から30年代にかけて台頭したハードボイルド派が、「犯罪をあるがままの現実に引戻した」と宣言したのとまったく同様の対立が、ここにもすでにうかがわれる。さらにさかのぼって考えれば、(中略)ポーの「マリー・ロジェの謎」と、現実のメアリー・ロジャーズ殺人事件を報道した新聞記事とのあいだにも、この対立はすでに芽をのぞかせていた。断定的にいってしまえば、クライム・ストーリーの読み方と、パズル・ストーリーを愛好する態度とは、本質的にまったく異なるものだということである。(p56-57)

 この二つの流れの差は「料理法の違い」「味付けの違い」にすぎず、本質的には同じものではないか、というのがわたしの考えなのだが、それはさておき、大きく二つの流れが存在することは間違いない。そして、そのどちらにもガボリオは影響を与えている点は確認しておくべきだろう。

 こうした分極化はアメリカにかぎったことではなく、例えば世紀末のフランスの新聞小説も似たような状況にあったようだ。小倉孝誠『「パリの秘密」の社会史』によると、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、もっとも栄えた新聞小説のジャンルは二つあり、「これは読者の性別によって支持がはっきりとわかれるようになった」という。ひとつは女性向けの感傷的な心理小説。もうひとつは男性向けの冒険・犯罪小説。こちらの分野に「ガボリオからボアゴベーを経て、モーリス・ルブランの「リュパン」シリーズ、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』、スーベストルとアランの「ファントマ」シリーズへと連なる」犯罪小説の流れがあるわけだ。

 フランスの場合は、新聞小説という同じ媒体の男女差となったが、アメリカの場合、性差だけではなく、読者の社会的地位の差にもなっているように思われる。というのは、小鷹の文章にもあるように、アンナ・カサリン・グリーンが小説の舞台とするのは、中産階級以上の人びとの、いわゆる「お上品な社会」であるからだ。

 アンナ・カサリン・グリーン(1846-1935)はニューヨークのブルックリン生まれ。父親は著名な弁護士で、彼女自身も高等教育を受けている。グリーンは最初に探偵小説を書いた女性作家ではないが、女性作家としては(おそらく)最も早くシリーズ探偵を創造し、さらに40年以上にわたって探偵小説を書き続けた功績からも、「探偵小説の母」の称号がふさわしい。

 アンソニー・バウチャーはグリーンをイーディス・ウォートン(1862-1937)に比したという。イーディス・ウォートンは1870年代のニューヨーク上流社会の偽善を描いた『汚れなき時代』(1920)でピューリッツァ賞を受賞した女性作家である。片や「純文学」、片や「大衆読物」とはいえ、グリーンとウォートンは似たような出自をもち、似たようなアメリカ社会を作品の背景としたというわけだろう。

 グリーンの処女作『リーヴェンワース事件』(1878)は当時のベストセラーとなった。最初の発行から15年後も経過した「1893年に、パトナムズ社はこの小説が重版につぐ重版ですでに二回も版を摩滅させ、これで三回目の版組みをやっているところだと声明した(『アメリカ大衆芸術物語』p410)」というから、この人気は長く続いたようである。さらに時代は下った1928年11月29日に、英国首相であったスタンリー・ボールドウィンが行なったロンドンのアメリカン・ソサエティの感謝祭晩餐の席上での挨拶は次のようなものであった。

アメリカ女性で、ポーの後継者たるアンナ・K・グリーンは『リーヴェンワース事件』の作者でありまして、私は未だにこの作品を、探偵小説中、最高傑作の一つと思っているものであります。

 もちろん、これはアメリカ人を相手にした政治家のリップ・サービスに違いなく、ジュリアン・シモンズに言わせれば、「政治家たちの文学趣味について、いささか悲観的な見解をいだかざるを得ない」とのことだが、少なくとも探偵小説黄金時代の真っ最中にあってさえ、グリーンの作品は人びとの記憶に新しかったのである。そうでなければ、リップ・サービスにならない。そして、確かにグリーンの新作は、この数年前の1923年まで出版されていた。

 しかし、時代は移り、Twentieth Century Crime and Mystery Writers (1980) のグリーンの項の解説で、ミッシェル・スラングはこう書いている。

現在、彼女(グリーン)の名前は、大衆小説の学者や老朽化した図書館に行く人によってのみ知られている。(中略/グリーンが処女作を発表した)1878年ウィルキー・コリンズはまだ小説を発表していた。彼女はドイル、ベイリー、ローマー、フリーマン、ラインハート、そして初期のクリスティと同時期に本を出している。にもかかわらず、我々は今日、コリンズやドイルやローマーは読むものの、グリーンは忘れられている。

 アンナ・カサリン・グリーンはガボリオの影響で探偵小説を書き始めた。そして40年以上にわたって作品を発表した。にもかかわらず、彼女は忘れられた作家となってしまった。グリーンの作品は、なにを探偵小説の歴史に付け加えたのか。そして、どうして忘れられていったのか。

(この項続く)

*1:推理小説の美学』では、『スティール金庫』の作者名はH・L・ジュニアとなっているが、ここでは Crime Fiction IV の記述に従っておく。作者のH・L・ウィリアムズは、ほかにもトム・テイラーの既出の戯曲「仮出獄の男」のノヴェライゼーションなどを行なっている。

*2:ガボリオの初期の翻訳がダイム・ノヴェルから出ていたことも重要だろう。