ミステリの分類(1)/探偵小説とは何か・その1――定義と分類


 最初に、この文章の目的を述べておこう。これからぼくが書こうと思っているのは、現在、ミステリ(ミステリー)と呼ばれるタイプの小説は、どのように分類すればいいのだろうか、ということに対する、ひとつの試論である。おおげさにいえば、ミステリーというジャンルを分類していく過程で、その本質と全体像を明確にできればいいと思っている。


 分類という行為は、対象をよく認識するためのひとつの手段、しかも適切な手段といえるだろう。数年前におこった本格ミステリの定義論争へのぼくの不満のひとつは、本格ミステリが、ミステリ全体の中でどう位置づけされるのかという議論があまりなされていないことだった。ある対象を定義づけようと思ったら、他との関係性を無視してはできない。対象に属するさまざまな成員の似たところと違うところ、共通点と相違点を見極めながら、いくつかの類型に分けていくことで、その対象がもっている性質や要素は明確になっていくはずである。

 物を分類していくためには、それぞれの分類項目の定義が必要と思われる。しかし、ここで間違ってはならないのは、人間の認識は、定義が先にあって、それをもとに物と物とを区分しているのではない、ということだ。生物と無生物、動物と植物、男と女。これらは、先にこれらを区分するさまざまな特徴が定義され、それをもとに分類されたのではなく、あらかじめ違うものとして認識していた物の共通項はなにかを探っていって、いくつかの特徴(=定義)にたどりついたのである。あくまでも、認識が先なのだ。*1

 例えば、現在、男と女を分けるのには、性染色体XとYの違いによっているが(男がXY、女がXX)、先に性染色体の違いが認識され、それから男と女が区分されたのではない。最初から男と女は別ものと区分されていて、その区分基準を探っていった末に性染色体にたどりついた。動物と植物の定義も同じである。「生物学者は合理的な分類基準を立てて生物界を二分したのではなく、自然言語の名と齟齬を来たさないような分類基準を探したのだ」*2。ところが、現実には外見的にはどこからみても女性なのに性染色体はXY(またはその逆)の人がいる。性染色体を男女の分類の本質とするならば、これは男性の生殖器異常とされ、女性の性染色体異常とは呼ばれない。しかし、性染色体が発見される前は、その人は異常でもなんでもなく、女性と認識されたはずである。人間の認識から分類基準は抽出されるが、いったん分類基準を定義すると、今度は人間の認識そのものがかわってくる。

 物理学者の渡辺慧が証明した「醜いアヒルの子の定理」によれば、人間の価値観、認知パタンを無視して、論理的に等価な任意の要素を比較すると、この世のすべての事物は同等の類似性をもつという。犬と本は、イモリとヤモリと同じくらい似ているし、花瓶と太陽は、二つの瓜と同じくらい似ている。二匹の白鳥の類似度と、アヒルと白鳥の類似度には、純粋に客観的な差はないことが、論理的に証明されてしまったわけだ。つまり、対象の共通点を挙げ、類別していくということは、その対象の何を重要な要素と思っているか、という主観が入らざるを得ないということなのだ。

分類することは重要な基準を選ぶこと自体なのだ。ア・プリオリに重要な基準などはない。従って分類することは世界観の表明であり、思想の構築なのである。(『分類という思想』池田清彦[新潮選書]p94)

 ということで、これは、ぼくなりのミステリ観を表明していく試みといえる。

 さて、分類しようとする対象は「ミステリ」だが、これは非常にとらえどころのないジャンル=概念である。分かっているようで、よく考えると分からなくなってくる。そうはいっても、どこからか手をつけなければ、何も始めようがない。そこで、歴史的な流れから見ていくことにして、最初は「探偵小説」(Detective Story/Novel)という言葉からはじめることにする。

 題材として犯罪を扱った創作文芸を、ここでは犯罪文学(Crime Fiction)と呼ぶことにする。*3犯罪文学は、作品中に犯罪を扱った文芸作品の総称で、『オイディプス王』をはじめとするギリシャ悲劇や、『マクベス』『ハムレット』などのシェイクスピア作品も含まれる。もちろん、ドフトエススキーの『罪と罰』やフォークナーの『八月の光』なども、犯罪文学である。犯罪は人間の本質を見極めるための重要な要因だから、古今東西の多くの文芸作品であつかわれてきた。その起源は、創作文芸の起源と同じくらい古く遡れるだろうし、現代に至るまで廃れることなく、さまざまなアプローチがなされている。

 探偵小説(Detective Story/Novel)もまた、犯罪文学のひとつとして誕生した。探偵小説の起源も、遡るつもりになればどこまでも遡れるが*4、一般的には近代探偵小説の嚆矢は、ポーの「モルグ街の殺人」(1841)とされている。当初は、ポーの作品にのみ見られる、ポーの作風のひとつにすぎなかった小説スタイルだが、イギリスのチャールズ・ディケンズウィルキー・コリンズ、フランスのエミール・ガボリオーなどの作品を経て、しだいに犯罪文学の中にひとつの流れを形成しはじめた。こうして、「探偵小説」という概念=ジャンルが、犯罪文学の中に芽生えた。

 概念は言葉と共に生まれる、という。そもそも、「そのもの」を指し示す言葉がなければ、「そのもの」についての概念もない。だから、探偵小説という言葉が生まれるまでは、そういうジャンルはなかった。では、「探偵小説」(Detective Story)という言葉は、いつごろ出来たのだろうか。

 ポーが「モルグ街」を発表した1841年には、まだ Detective (刑事/探偵)という職業がなかった*5のだから、「探偵小説」という言葉を使ったはずがない。ポーは、「モルグ街」以下の自分の小説を、ratiocinative tales (推論の物語)と呼んでいたが、この言葉はほとんど普及しなかった。つまり、まだジャンルは生成していなかったのである。

 チャールズ・ディケンズウィルキー・コリンズは自作を小説(Novel)とのみ思っていたことだろう。小倉孝誠の『推理小説の源流』[淡交社]によれば、「十九世紀フランスでは「犯罪小説 roman criminel」、とりわけ1860年代以降は「司法小説 roman judiciaire 」がもっとも一般的な用語だった。「司法小説」という表現は、ガボリオの作品を掲載した『プチ・ジュルナル』の創刊者モイーズ・ミヨーが発明したもので、ガボリオの生前、彼の作品はもっぱらこの名称で呼ばれた」という。ガボリオーの作品はやがてフランスでは roman policier (ロマン・ポリシェ=警察小説)と呼ばれるようになり、、1870年代から80年代にかけてイギリス、ロシア、アメリカ、日本などで流行する。そして、ガボリオーの影響を受けたアメリカのアンナ・カサリン・グリーンが、『リーヴェンワース事件』(1878)を発表し、この長篇小説は当時のベストセラーとなった。このグリーンの処女作には A Lawyer's Story (ある弁護士の物語)という副題(角書)があったが、その後の作品には XYZ: A Detective Story (1883)や 7 to 12: A Detective Story (1887)のように、「A Detective Story(ある探偵の物語)」という副題がついたものがある。一説*6には、これが Detective Story という言葉が最初に使われた例だという。

 しかし、この言葉はすぐに普及したわけではないようだ。R・L・スティーヴンスンとロイド・オズボーンの『箱ちがい』(1889)には、弁護士ギティアンが書いた売れない探偵小説『誰が時計を戻したか?』が出てくる。翻訳では「探偵小説」となっているし、訳者のあとがきでも「「探偵小説」というジャンル自体に皮肉な眼差しをやっている」とあるが、原文で確認すると、この小説は police romance と呼ばれている。police romance はフランス語の roman policier から来ていると思われる。この言葉が使用されたのは、当時のイギリスでガボリオーの英訳本が評判になっていたことと無縁ではないだろう。そして、フランス語流れの police romance (そのまま訳せば「警察小説・警察読物」)という用語にかなりの普及度がなければ、ジャンルを揶揄するときにこの言葉を使用するはずがない。普及している言葉を使わなければ、揶揄する意味もないのだから。また、この言葉が普及した背景には、1860年代頃から世紀末まで、イギリスで安価な読物として大量に出版された「刑事の回想録」の類も、一役かっている可能性はある。つまり、ホームズが登場したころの英国では、一般的にこのジャンルを示す言葉は、まだ Detective Story だけはなかった、ということになる。チェスタトンが1901年に弁護したのは、間違いなく「探偵小説」Detective Story というジャンルだった*7が、その中にも、「警察ロマンスの探偵 the detective in a police romance 」という表現はでてくる。

 日本の例を見ても、これは確認できる。ガボリオーの『ルルージュ事件』が黒岩涙香によって翻案され、『人耶鬼耶』という題名で初めて我が国に紹介されたのは、明治21年(1888)。この時つけられた角書は、「裁判小説」だった。これは、先に述べた roman judiciaire の訳語と思われる。一方、Detective Story の訳語である「探偵小説」は、明治26年(1893)頃には、ある程度、普及していた。伊藤秀雄の『明治の探偵小説』によれば、明治26年5月の「萬朝報」に涙香は「探偵譚に就て」という記事を書いているが、そこには次のような文章がある。*8

我国にて往々探偵談を以て文学の趣味の上より観察す可き者の様に思ひ之れに「探偵小説」など云える名前を付し、甚だしきは探偵小説が文学界を荒すなどと云ふ意味の批評をすら試むる者ある程なるが、探偵談は探偵談なり小説には非ず、(後略)

 これを見ると涙香自身は探偵小説という名称に批判的だったようだが、それはさておき、この文章から推測できるのは、当時、探偵小説という言葉は明らかに存在したものの、しかし、完全には普及していなかった、ということである。つまり日本でも、1880年代から90年代にかけて、探偵小説という言葉は浸透していった。

 以上のような事例から考察すると、1880年代から十九世紀末までの間に、「探偵小説」というジャンル名=概念は生成していったことになる。

*1:この部分は、『分類という思想』池田清彦[新潮選書]の受け売りである。

*2:『分類という思想』池田清彦[新潮選書]p24

*3:「犯罪小説」という言葉を用いないのは、これがミステリーの一ジャンルの名称として使用されることがあり、混乱をまねくからだ。

*4:人によっては聖書の「カインとアベル」の逸話や、経典外聖書の「ベルとドラゴン」「スザナの物語」を、探偵小説の起源としている。

*5:イギリスの首都警察に刑事部が創設されたのは、「モルグ街」発表の翌年、1842年のことだ。

*6:『世界ミステリー百科』ローベール・ドゥルーズ[JICC]のグリーンの項

*7:「探偵小説を弁護する」A Defence of Detective Stories

*8:『明治の探偵小説』[双葉文庫]から孫引き