ヴァン・ダインの評価2

 おそらく、ヴァン・ダインをどう評価するかは、黄金時代の探偵小説をどうとらえるか、ということに繋がる。

 戦前の日本では、ヴァン・ダインのような作品が、長篇探偵小説のひとつの理想とされた。その評価は、戦後になっても長らく続き、例えば九鬼紫郎の『探偵小説百科』(1975)では、こう述べられている。

彼の存在はアメリカの名誉であり、探偵小説の理解度では(中略)比肩しうる者がいそうにも思われず、そのファイロ・ヴァンス・シリーズはいわゆる本格探偵小説の、それも高級なものを代表する。作品は精密な建造物のように構成され、博識と論理的興味にあふれ、フェア・プレイを重んじ、文体は衒学的といわれるが重厚で、それまでうす味の探偵小説ばかり読まされてきたアメリカの読者に、空前の歓迎をうけたのである。

 1970年代のミステリ・ファンにとっては、ヴァン・ダインの作品は、評価するにせよ、貶すにせよ、避けては通れないものだった。こうした「黄金時代探偵小説の巨匠」としての地位は、日本では現在にいたるまで磐石である。オールタイム・ベストの常連として、《ミステリ・マガジン》が1991年におこなったアンケートでは60位(『僧正』)と91位(『グリーン家』)に甘んじているものの、1985年の《週刊文春》のベスト(『僧正』9位、『グリーン家』22位)、199年の《EQ》のベストト(『僧正』17位、『グリーン家』42位)、2005年の《ジャーロ》のベスト(『僧正』12位、『グリーン家』37位)と、健在を保っている。

 しかし、本国では、前に述べたように、1930年代後半に大衆的人気はなくなり、ミステリ・ファンの間でも1940年代には否定的意見が見られるようになっていた。「(『ベンスン殺人事件』の出版で)一夜でアメリカ探偵小説は成年になった」と述べた文章がよく引用されるハワード・ヘイクラフトの『娯楽としての殺人』(1941)でも、じつは手離しでヴァン・ダインを褒めているわけではない。同書では、次のように評価されている。

ヴァン・ダインの本を成功させた要素はふたつある。つまり主人公の印象ぶかい教養に(はじめは)ふさわしい高い文学性でかかれたことと高度の本当らしさである。非常に注意ぶかくどんな細部でも本当らしくかいたので、ヴァンスやマーカム地方検事、ヒース巡査部長、ワトスン風な記録者などが、無数の同国人のあいだで家中みな馴じみになったほどである。しかも、はじめのうちはかずしれない無批判の読者たちは、その事件が本当にあったことだとさえおもっていたのだ。だが、これらの理由のほかに、ある反対派の批評家はもうひとつ付けくわえている。すなわち(これらの反対者にいわせれば)絵にでも描いたようなみせびらかしの華やかなふん囲気である。これが十年間というもの成功させたのであり、またこの十年とは、たとえばヨットとか絹シャツとかの言葉で成功というものが計られるような時代だったのだ、というのである。
(中略)
だが、たとい失望した美術評論家で、かつ成功しなかった現実主義的小説家であるウィラード・ハンティントン・ライトがどう考えようと、『S・S・ヴァン・ダイン』はもってめいすべきである。短時日のうちに、ポー以来のアメリカ探偵作家でもっとも有名なひとりになったのである。また、母国の探偵小説をわかがえらせ、再建したのである。そして彼とその探偵の名前は――両者に共通の全ての気取った欠点にもかかわらず――文学の不朽な名前のうちに列せられつづけるだろう。

 つまり、ヴァン・ダインは時代の産物だった、と言っているのである。それまでのアメリカ探偵小説にありがちだった荒唐無稽な筋と、通俗的な文体を廃して、一見、高級そうに見える外見を取り繕ったから受けたのだ、と。これは、バウチャーのヴァン・ダイン批判の記事(http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/text-boucher-vandine.html)に、紹介者の藤原編集長がつけた次の解説にも通じている。

ヴァン・ダインの出現は、たんなる文学界の出来事ではなく、一種の社会現象でもあった。彼の金ピカ主義的なスノビズムが、未曾有の経済好況に沸き、文化的にも世界の一流の仲間入りを果たしたと自信を持ち始めた(しかし、依然としてヨーロッパに対するコンプレックスに取り憑かれていた)アメリカ人の嗜好にぴたりはまったことは間違いない。バウチャーが云うように、彼が批判する軽薄な気取りや見せかけの博識ぶりこそが、成り上がり国家アメリカの新しい読者大衆に強烈にアピールしたのである。あるいは彼らは、ヴァン・ダインを読むことで、自分たちが一段高いところに上ったと感じたのではないだろうか。

 アメリカ人が、ある時期から急にファイロ・ヴァンスをからかい、ヴァン・ダインを(必要以上に)無視するようになったのは、過去の自分の嫌な面を見たくない、という心理がはたらいているのかもしれない。

 ところで、ヴァン・ダインのいわゆるペダントリーについては、生半可な知識を振り回し、百科事典で調べたようなことを並べただけ、というのが、いまでは通説になっているようだ。ヴァン・ダインを高評価する場合でも、これについて好意的に書かれることはまれである。しかし、イギリス人のジュリアン・シモンズは『ブラッディ・マーダー』(1972)の中で、こう書いている。

作者ヴァン・ダインの博識は、少なくとも芸術、絵画、音楽、比較宗教学に関するかぎり本物であり、セイヤーズの場合のように欠陥の多いものではない。(中略)作者ヴァン・ダインが理想的な自画像を映し出そうと苦心した結果、ファイロ・ヴァンスにはピーター・ウィムジー卿などの及びもつかぬ、真に知性的な個性が描き出されたのである。初期の作品では、この名探偵の広範な知識が当面の事件に直接結びついており、同じく知的な読者であれば、ファイロ・ヴァンスがもたらす情報をたどることで、その推理の過程を的確に把握できるのだった。また、ヴァン・ダインの最良の作品は構成力のお手本と言えるものであったことを忘れてはならない。実生活から遠く遊離しているとはいえ、なおかつその作品が、それ自体の論理法則にあくまで固執している点や、自らの作品への完全な没入ぶりと併せて、いまもなお比類なき魅力を維持しているのである。
(中略)

  ファイロ・ヴァンス
  尻を蹴っ飛ばさなくっちゃ

 そのとおりである。だがなおかつ、少なくとも先の二篇(『グリーン家』『僧正』)については讃辞を差し控えるべきではない。その比類なく精緻な手法と、推理や謎以外の要素は遠慮会釈なく無視してのける態度は、黄金期の見事な結実のうちに数えられるであろう。

 現在、インテリ系作家として絶大な評価をもつセイヤーズの知識は「欠陥が多い」もので、ヴァン・ダインには「及びもつかぬ」らしいのである。このシモンズの評価が正しいのかどうか、ぼくには判断がつかない。

 ということで、最後に、比較的新しい日本での評価をふたつ。最初は、『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』(1998)のヴァン・ダインの項につけた、森英俊の文章。

(前略)本国での近年の評価もけっして高くなく、過大評価された作家の典型というものすらいる。1930年代なかばまでの人気絶頂期とその後の凋落ぶりとのあいだのギャップはすさまじいものがあるが、それは、ヴァン・ダインがもっていた作家としての特質と、アメリカの本格派が陥ってしまった袋小路に起因している。(中略)
 米国におけるミステリの新たな読者を開拓し、黄金時代と到来せしめたヴァン・ダインの功績を認めるのにはやぶさかではないが、大いなるナンセンスともいえる「推理小説作法の二十則」など、結局はそのあまりにも作りものじみた不自然さが、1940年代前半におけるパズル・ストーリー衰退の源泉になったともいえるのである。

 ただし、森英俊は、「本格ミステリが衰退していった」という「誤解」をもたれないように、このあと、「この米国におけるパズル・ストーリー衰退がすなわち本格ミステリ全体の衰退というわけではない」、と付け加えることを忘れない。


 もうひとつは、1999年に出た集英社文庫版『僧正殺人事件』の長谷部史親による解説。

時代の情勢に応じて、同じものが新しく見えたり古く見えたりするのは、けっして珍しくはない。もしかしたら現代の読者にとっては、ヴァン・ダインとラインハートのどちらが新しいかで意見が分かれるのではないだろうか。だが、(中略)デビューした時点でのヴァン・ダインの作品は、きわめて斬新で尖鋭的だったのである。
(中略)
 ヴァン・ダインがミステリーの歴史に果たした役割は、きわめて顕著である。(中略)まず第一に挙げられるのは、ミステリーのスタイルの純粋化を極限まで推進した点であろう。犯罪に関する謎を探偵役が論理的に解明してゆく筋道を優先させるべく、それに不必要と思われる雑多な文学的要素はできるだけ排除された。(中略)
 もうひとつ挙げるとすると、従来のミステリーの通俗性と一線を画すために、高度に知的な雰囲気を漂わせた点ではないだろうか。これが作中の随所にうかがえる衒学的な叙述の源泉であり、新たな読者層の開拓につながるとともに、事件の謎を探偵の推理思考だけで解明する方針と合致してのは疑いない。

 この最後のふたつが、現時点で見たヴァン・ダイン歴史的評価として、妥当なものだと思われる。