ヴァン・ダインとハメット


 ヴァン・ダインが「アメリカ型探偵小説の東部スタイル」の創始者なら、ハメットは「アメリカ型探偵小説の西部スタイル」の創始者だ。片や、ニューヨークの上流階級を舞台に、素人探偵が、美術や文学の知識を振りかざしながら謎を解き、片や、サンフランシスコの本職の私立探偵が、炭鉱町や暗黒街を舞台に、へらず口をたたきながら謎を追う。探偵の風貌も両極端である。かたや働かなくても優雅な生活が出来る長身で美男、スポーツ万能の青年。かたや雇われ探偵で、汚い仕事もやらざるをえない、ずんぐりむっくりのさえない中年男。

 このアメリカ独自の探偵小説の二つのスタイルは、禁酒法が施行され、狂乱の20年代と言われた特異な時代に、ほぼ同時に、しかも微妙に交差しながら生成発展した。

 ヴァン・ダインことウィラード・ハンティントン・ライトが《スマート・セット》誌の編集者をやめ、ヨーロッパへ旅立った1914年の翌年、ハメットはピンカートン探偵社に入社している。1916年に、ライトは文学作品『前途ある男』を出版するも、何の評判にもならなかった。

 ハメットは1920年結核を患って入院。翌年に退院し、看護婦だった女性と結婚。ピンカートン探偵社に復帰し、サンフランシスコ支社に配属にされるが、その地には前年までライトが住んでいた。ピンカートン探偵社を同年暮れに退社したハメットは、1922年、ライトが8年前まで編集者をしていた《スマート・セット》誌で作家デビューする。

 1923年にハメットはコンチネンタル・オプの第1作「放火罪および…」を《ブラック・マスク》誌に掲載。同年にさらに五作を発表し、花々しい活躍を見せた。その翌年、ライトは見も心もぼろぼろになって療養生活にはいる。

 ライトは療養中に古今の探偵小説を濫読し、起死回生の長篇小説『ベンスン殺人事件』を出版した。S・S・ヴァン・ダインが登場した記念すべき年の暮れ、ハメットは最初の長篇小説『血の収穫』の連載をはじめている。

 すなわちアメリカ独自の長篇探偵小説、その東西のスタイルは、まさにこの1926年に生れたのである。