ヴァン・ダインの評価

 ヴァン・ダインの読書会を来月にやる、というので、何十年ぶりに、読んでみようと思っている。

 で、読書会の参考に、ヴァン・ダイン歴史的評価を調べてみることにした。


 まず、オット・ペンズラーの「ファイロ・ヴァンス論」(1977)から。『名探偵読本/エラリイ・クイーンとそのライヴァルたち』に収録されている。アメリカでのヴァン・ダインの人気の凋落度がわかる。

 探偵小説に関するあらゆる不思議な現象のなかでもおそらく最も奇妙なのが、流星のように現われ、束の間に輝きを失ったファイロ・ヴァンスの不可解な運命の盛衰であろう。1926年にはじまってその後十年のあいだ、犯罪行為と立ちむかい、そしてその偉業が記録されて本になった人物のなかで、彼は最も愛され、かつ読まれていた(彼は《標準(スランダード)ベストセラー・リスト》にのった最初の偉大な探偵であった)。
(中略)
 本は版を重ね、ウィリアム・ポーウェルやほかの俳優たちが映画のなかで彼を印象深く演じ、そしてファイロ・ヴァンスという名前は、読み書きのできるすべてのアメリカ人の口の端にのぼることととなった。そこにきて、彼の創造になるスターは昇るよりはやくまっさかさまに墜落する。まことにファイロ・ヴァンスは一夜にして消えたも同然で、悪口を言うものにいわせれば、当然そうあるべき闇のなかに去ってしまったのだった。
 信じられないぐらいの人気をもっていたにもかかわらず(おそらくはもっていたために)、ヴァンスは数々の悪口をいわれた。この紳士気取りの探偵について言われたり、書かれたりしたありとあらゆる否定的な批評のなかでも、オグデン・ナッシュが作った詩、
  ファイロ・ヴァンスにゃ
  お尻ひと蹴りが必要ざんす
 ほど、いきいきと適切な表現をしているものは他にない。(河内信子訳)

 このオグデン・ナッシュの詩も、よく引用される。(全文を見たことがないが)

 しかし、ヴァン・ダインとファイロ・ヴァンスはいつ頃から嘲笑されるようになったのだろう。例えば、『さらば愛しき女よ』(1940)の中で、アン・リアードンがフィリップ・マーロウに謎解きを求めるシーンで、こういっている。

「長いテーブルの上席にあなたが座って、魅力ある微笑を浮かべながら、ファイロ・ヴァンスのようないい加減な英国風アクセントで事件の謎を解いてゆくのよ」

 これはファイロ・ヴァンスに対するからかいだろうが、しかし、からかいの対象にえらんだことで、ある種の愛着があったような気もする。気がするだけかもしれないが。少なくとも、このときにはまだ、ヴァンスの名は、からかいの対象になるぐらいには、「権威」があったのだ。

 ある時期以降のアメリカの評価の代表例は、アントニイ・バウチャーのものだろう。1944年のことだ。ネットの以下のページで、読める。まずは読んでみて欲しい。
http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/text-boucher-vandine.html

 いやもう、最低の評価である。しかし、この時は「これがきわめて異端的見解」ではあるらしい。おそらく、大衆的な人気はなくなっていたのだろうが、ミステリ・マニアの間では、まだ「権威」はあったのだ、と思われる。そして、バウチャーは、こう述べている。

長いあいだ私は、もっぱら記憶に依ってこう発言してきた。「たしかにヴァン・ダインは次第に低迷していったし、『ドラゴン殺人事件』はこれまでに書かれた最悪のフーダニットかもしれない。しかし、『グリーン』と『僧正』は素晴らしい作品だった」と。もしあなたもそんなふうに感じていたとしたら、これらの本を読み返してみるといい。さあ、やってみたまえ。

 うーむ、では、やってみるか。ちょっと勇気がいるけどね。