ヴァン・ダインの二十則、ノックスの十戒について


汀こるもの『パラダイス・クローズド』読了。

正直にいいます。なにがなんだか、わからない。ネット書評を読むと、「本格ミステリへの挑戦」とか「批評精神」とか云われているようだけど、正しくは「新本格ミステリへの挑戦」だよね。本格ミステリって、孤島や館に頭のおかしい人間が集まって、人が次々に死ぬ話じゃ、ないんだからさ。ヴァン・ダイン先生も、「スペインの古城的雰囲気は探偵小説にはそぐわない」とおっしゃっている。だから、「新本格」が理解できない当方としては、まったく云わんとすることがわからなかった。機械的トリックを喜ぶ本格作家って、どこから発想したんだろう? この人、いったい何に挑戦したり、批評したりしているんだろう?


ところで、この作品にノックスの十戒について、次のような文章があった。

”中国人を登場させてはいけない”という外国人に対する不当な偏見に満ち満ちた項目で有名だ。当時、東洋人は得体の知れない妖術や超能力を使うと本気で信じられていた。

これは作中の「ミステリに詳しい」とされるキャリア警察官が言う台詞だ。また、このちょっと後で、下っ端刑事が心の声で「真面目なイギリス紳士のノックスさんは云々」という箇所もある。これらは作者の意見そのものではないだろうが、この部分にはなんら茶々がはいっていない。

作者は「本格」に詳しい人なのだろうから、ノックスがどういう人で、処女長篇の『陸橋殺人事件』が、本格ミステリのよくあるパターンを茶化したパロディ作品、云ってみれば「本格ミステリへの挑戦」「批評精神」で書かれた作品であることはご存知であろう。であれば、もう少し、その辺りへの言及がほしかったと思う。そういうことを知らない読者に誤解を与える。

ノックスの十戒」と「ヴァン・ダインの二十則」はネット検索すると、あちこちで見つかる。例の「中国人〜」についての項目の、ノックス自身の注釈を書いてあるものもある。念のため、手持ちの『推理小説詩学』から引用しておくと、次のような文章である。

「探偵小説には、シナ人を登場させてはならない」
その根拠は定かではないが、おそらく「中国人は頭脳に関しては知識を身につけすぎるが、道徳の点になるとさっぱり身についていない」という西洋に古くから伝わる億説のせいかもしれない。実際に調べた結果申し上げたいことは、本を開いてみて、「チン・ルウの切れ長の目」などという記述が目にとまったなら、ただちにその本を閉じるのが得策だ、ということである。それは、まず駄作と考えてよい。思いあたる限り、駄作でなかったのは(他にも何冊かあるかも知れないが)、アーネスト・ハミルトン卿の『メムワスの四つの悲劇』のみである。

ユーモラスな筆致がうかがえるだろう。生憎と、アーネスト・ハミルトン卿の著作は、日本語では読めないようだが。つまりは、「東洋人の妖術」のせいではなく、「道徳」のせい。見るからに怪しい人物が出て来る様な作品は、どうせ駄作ですよ、とおっしゃっている。

ところで、ネット検索で知ったのだが、昨年の秋頃、ノックスの十戒やらヴァン・ダインの二十則についての議論があったようだ。

http://d.hatena.ne.jp/sinden/20071027/1193463572

この二つの規則だけが上げられて、リチャード・ハルの十則やら、ディテクション・クラブの誓言などは引用されてないようだが、これらゲームの規則が「フェアプレイのため」だけの観点から議論されているのが気になった。

イクラフトが『娯楽としての殺人』(1941)の第11章「ゲームの規則」で的確にまとめているように、これらの規則*1はフェアプレイのためだけにあるのではない。ヘイクラフトは、こうした規則の要求は、以下のふたつにまとめられると述べている。

  • 探偵小説はフェア・プレイでなければならない
  • 探偵小説は読んで楽しいものでなければならない

先のノックスの「中国人〜」の戒めにせよ、フェア・プレイの観点からは、ほとんど意味をなさない。ディテクション・クラブの誓言にある「キングズ・イングリッシュに敬意を表する」というのもそうだろう。つまりは「楽しい探偵小説が読みたい」という要求なのである。

そういう意味では、サザランド・スコットが『現代推理小説の歩み』(1953)で挙げた「守るべき15則、犯してはならない20則」というのも、楽しめる探偵小説への要求に満ちている。。*2あまりに長いので、いくつか興味深いものを引用してみよう。

  • 守るべきもの
    • 推理小説は、まず第一に文章がよく書かれていなければならない。
    • 登場人物は、理性的なノーマルな人間のように振舞わなければならない。
    • 推理小説中の事件は、その発生が理論的に可能であるように見えなくてはならない。
    • 推理小説の背景は、よりどころのあるものでなければならない。
    • 推理小説の犯人は、できるなら一人に絞りたい。
    • 推理小説は、少なくとも再読に値するものでなくてはならず、また再読しても、やはりおもしろいものでなければならない。
  • 犯してはならないもの
    • 推理小説には、感傷や恋愛沙汰が多すぎてはならない。また、滑稽、尊大、説教などは捨てるべきで、「おかしみ」を取り入れるのは、そのところを得たときにのみ許されるものである。
    • 登場人物表、手がかりのほのめかし、図表などのリストは、それが特に役に立つ場合のほか、載せないほうがよろしい。
    • 小説におけるセックスは、スープに浮かんだ蝿のようなものである――決してあってはならないものである。
    • 機械学的な工夫は、複雑な青写真の助けを借りなくとも、簡単にわかるようなものでなければならない。
    • 推理小説において、警察を愚弄することは誤りであり、それはいわれのない侮辱である。
    • 犯罪者に同情を寄せすぎることは危険である。

いかがであろう。これが、1950年代の探偵小説マニアのひとつの好みだった。さて、このルールをどれくらいの作品がクリアできるだろう。

*1:ちなみにヘイクラフトは規則をまとめた人として、ヴァン・ダインとノックスのほか、セイヤーズ、E・M・ロング、ディテクション・クラブを挙げている。

*2:ちなみに、スコットは探偵小説の規則をまとめた人に、ヘイクラフトがあげた例のほか、チェスタトン、フリーマン、カロライン・ウェルズ、アーノルド・ベネット、レイモンド・チャンドラーを挙げている。