●黄金時代(1920〜1939)
第一次世界大戦が終わった頃から、ミステリーの世界に新しい時代がはじまります。謎解き中心の長篇作品が多く書かれたこの時代は、のちにミステリーの黄金時代と呼ばれています。推理の手掛りをきちんと読者の前に提示して、なおかつ名探偵が意外な真犯人を指摘する。いってみれば作者と読者の知恵比べのような作品が次々と発表されました。
まず1920年にイギリスで、名探偵ポアロやミス・マープルで有名なアガサ・クリスティーが登場し、『茶色の服を着た男』(1924)や『青列車の謎』(1928)などを発表しました。クリスティーと同年デビューのF・W・クロフツは『フレンチ警部と紫色の鎌』(1929)など、実直な警察官フレンチ警部を主人公にした長篇を書き、『誰の死体?』(1923)で登場したドロシー・L・セイヤーズは、貴族探偵ウィムジイ卿を主人公にして、『五匹の赤い鰊』(1931)等を発表します。この三人に、「黄色いなめくじ」(1935)のH・C・ベイリーとそれ以前から活躍しているフリーマンを合わせて、ビック・ファイブと呼ばれています。イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』(1922)や、「くまのプーさん」で知られるA・A・ミルンの『赤い館の秘密』(1922)も、この時期の名作ミステリー小説として名高い作品です。
アメリカでは1926年にヴァン・ダインが登場し、ミステリーのパズル性を強調した『グリーン家殺人事件』(1928)などで有名になりました。続くエラリイ・クイーンはその作風を推し進め、『フランス白粉の謎』(1930)等の国名シリーズには、名探偵の解決の前に「読者への挑戦状」が提示されます。ディクスン・カー(別名カーター・ディクスン)は物理的に不可能と思われる状況で殺人が起ったり人が消えたりする「不可能犯罪物」が得意で、『黒死荘』(1934)、『白い僧院の殺人』(1934)、『赤後家の殺人』(1935)、『緑のカプセルの謎』(1939)と、いずれも飛び切りの不可能興味に満ちています。『白魔』(1930)を書いたロジャー・スカーレットは、一時期、日本で人気がありました。またこの時期のフランスでは、ジョルジュ・シムノンが『黄色い犬』(1931)などメグレ警部を主役にした小説を書いています。
黄金時代がはじまった1920年に、アメリカと日本でミステリ史上重要な雑誌が創刊されました。アメリカで創刊された雑誌は《ブラック・マスク》といい、この雑誌からハードボイルド派という新しいスタイルのミステリーが誕生します。これまでの名探偵のようにな知性派ではなく、非情な性格で荒っぽい行動もためらわない、しかし謎解きはきちんと行なう探偵の誕生です。ダシール・ハメットの短篇「銀色の目の女」(1924)や『赤い収穫』(1929)に登場するのは、名前のないコンチネンタル社の調査員(オプ)です。またこの雑誌で1933年にデビューしたレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』(1939)や短篇「赤い風」(1938)には、私立探偵フィリップ・マーロウが登場します。
一方、《ブラック・マスク》と同じ年に日本で創刊された雑誌は《新青年》といい、戦前のミステリー小説はこの雑誌が中心となりました。江戸川乱歩はこの雑誌でデビューし、1925年には「赤い部屋」「白昼夢」、名探偵明智小五郎の登場する「黒手組」を発表しました。甲賀三郎が「緑色の犯罪」(1928)を発表し、小栗虫太郎が『黒死館殺人事件』(1935)を連載したのもこの雑誌です。また金田一耕助の生みの親である横溝正史は一時期、《新青年》の編集長でした。
●1940年代〜1960年代
イギリスでは1930年代から謎解き小説の新しい流れが現れ、1940年代になると登場人物の魅力や人間ドラマをきちんと描こうとする作品が増えてきます。謎解き一辺倒の小説は少なくなるものの、黄金時代から続く謎解き重視の作風が廃れたわけではありません。この時期にもクリスチアナ・ブランドが『緑は危険』(1944)という傑作を発表し、またパトリシア・モイーズは『死人はスキーをしない』(1959)など観光地を舞台にした名作を多く書いています。
アメリカでもトリック中心のゲーム的な作風は少なくなり、かわって勢いを増したのがサスペンス派です。コーネル・ウールリッチは『黒衣の花嫁』(1940)や『黒い天使』(1943)、ウィリアム・アイリッシュ名義の『幻の女』(1942)など、意外性のあるプロットを甘く切ない文体で描き、1940年代を代表する作家になりました。ジョン・フランクリン・バーディンの『悪魔に食われろ青尾蠅』(1948)など、異常者心理や精神分析を題材にした作品も、この時期に多く書かれています。こうした流れは、探偵小説的プロットにさまざまな工夫を加えようとしたもので、黄金時代のミステリの改良の試みといえるでしょう。スラプスティック・コメディと謎解きを融合しようとしたアラン・グリーンの『くたばれ健康法!』(1949)や、犯人の正体を明かしながらもサスペンスを盛り上げるシャーロット・アームストロングの『サムシング・ブルー』(1962)なども、そうした試みの例と見ることができます。
行動的な私立探偵が主人公となるハードボイルドにも、新しい作家が登場します。ジョン・エヴァンスは『灰色の栄光』(1957)などのポール・パイン・シリーズでチャンドラー・タイプの作品を書き、『真っ白な嘘』(1952)など短篇の名手として知られるフレドリック・ブラウンの『シカゴ・ブルース』(1947)は青春小説の要素もあるハードボイルドです。ロス・マクドナルドの『象牙色の微笑』(1952)や『ブラック・マネー』(1966)に登場するリュー・アーチャーは戦後を代表するハードボイルド探偵となりました。名前が似ているジョン・D・マクドナルドには、『濃紺のさよなら』(1964)からはじまるトラブル解決屋トラヴィス・マッギー・シリーズがあり、『桃色の悪夢』(1964)とか『琥珀色の死』(1965)など題名にかならず色がつくのが特徴です。一方、カーター・ブラウンは『緋色のフラッシュ』(1963)など、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月一冊という驚異的ペースで発表しました。ハードボイルドはフランスでも人気で、1945年にはじまった《セリ・ノワール》(暗黒叢書)はこうしたアメリカ文化を多く紹介しました。チェスター・ハイムズの『黒の殺人鬼』(1960)や『金色のでかい夢』(1960)などの黒人警官コンビ、棺桶エド&墓堀りジョーンズ・シリーズを本国に先駆けて刊行したもこの叢書です。
昭和20年代(1945〜1954)の日本では、金田一耕助で有名な横溝正史や『刺青殺人事件』(1948)で神津恭介を登場させた高木彬光など、謎解き中心の作家もおどろおどろしい雰囲気の作風が多かったのですが、昭和30年代にはいると怪奇幻想味を廃した現代的な作風の作家が次々と現れはじめます。『黒いトランク』(1956)『黒い白鳥』(1960)の鮎川哲也を皮切りに、『黒い画集』(1958-60連載)『黄色い風土』(1961)の松本清張、『枯葉色の街で』(1966)の仁木悦子、『赤の組曲』(1966)の土屋隆夫、『白昼堂々』(1966)の結城昌治、『赤い熱い海』(1967)の佐野洋、『空白の起点』(1961)の笹沢左保らが登場しました。彼らは現代社会をリアルに語る作風の中で、同時代の海外ミステリーの影響をうけつつ、謎解きを中心としたさまざまなミステリ的工夫をこらしたのです。
なかでも、急速に変化する当時の日本のさまざまな社会的歪みをテーマにした松本清張の作風は、「社会派推理小説」と呼ばれ、一世を風靡します。黒岩重吾の『背徳のメス』(1960)、水上勉の『海の牙』(1960)や『飢餓海峡』(1963)などが話題を呼び、『黒の試走車』(1962)の梶山季之や『色彩計画』(1963)の邦光史郎のなど、サスペンス・タッチの企業小説も社会派の枠組で語られました。