女性探偵の系譜


 世界初の小説上の探偵は、もちろん、ポーが創造したC・オーギュスト・デュパンである。「モルグ街の殺人」(1841)で登場したこの名探偵は、職務ではなく趣味で事件を解決する。イギリスの首都警察に刑事部が創設されるのは1842年だから、デュパンが読者の前に姿を現したときにはまだ、現実世界に探偵(ディテクディブ=刑事)はいなかった。したがって、職業探偵よりも先に、アマチュア探偵が誕生した。


 ――といって簡単にはすまされないのが、こうした起源についての話題である。刑事(ディテクディブ)の前身であるボー・ストリート・ラナーズを主人公にした作品 Richmond; or, Scenes in the Life of a Bow Street Runner は、ポーが「モルグ街の殺人」を発表する14年前の1827年に出版されている。実話スタイルをとっているとはいえ、実際にはフィクションであるこの作品の主人公リッチモンドを小説上の探偵とするならば、最初に登場した架空の探偵は職業探偵ということになる。いやいや、それ以前のヴォルテールの『ザティーク』(1747)や、ウィリアム・ゴドウィンの『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794)も探偵小説と認めるなら、題名にもなっているこれらの作品の主人公は、そもそもアマチュア探偵ではないか。と、遡っていくと際限もない。

 では、小説上に最初に現れた女性探偵は誰なのか。

 『クイーン談話室』[国書刊行会/1994]に収録されている「最初の女性探偵」というエッセイで、エラリー・クイーンはこのイヴを、従来信じられていた『婦人探偵の体験』The Experiences of a Lady Detective(1861)に登場するパスカル夫人ではなく、『女性探偵』The Female Detective(1864)の探偵役だと考証している。クイーンによれば、『婦人探偵の体験』の1861年版は存在せず、1864年10月刊の『婦人探偵の告白』The Revelations of a Lady Detective が最初のパスカル夫人の短篇集だというのだ。キャスリーン・グレゴリー・クラインが書いた『女探偵大研究』(1988)[晶文社/1994]の脚注(p391)によれば、クライン自身やE・F・ブレイラーも、このクイーン説を支持しているようだ。

 『女性探偵』と『婦人探偵の告白』のどちらも、「刑事の回想録」タイプの作品である。実在する警察官の思い出話に見せかけたこの手の実録本は、イギリスで1850年代から60年代にかけて大量に出版された。『女性探偵』の主人公である無名の女性探偵も、『婦人探偵の告白』の語り手であるパスカル夫人も、ロンドン警察にやとわれたことになっている。ということは、最初の架空の女性探偵は、職業探偵ということになるのだろうか。

 実はこちらも、話は簡単に終わらない。ウィルキー・コリンズ『法と淑女』[臨川書店]のあとがきで、訳者の佐々木徹は次のように述べている。

(コリンズの)短編「アン・ロドウェイの日記」(1856)では、殺された友人の仇を討とうと犯人探しをする女性が主人公であった。彼女は最低限の推理しか働かせることはなく、謎解きが話全体に占める割合も小さく、事件の解決は大きく偶然に左右されている、というようなことはあるが、考えようによってはこのアン・ロドウェイが英国小説に登場した最初の女性素人探偵と言えるだろう。

 「アン・ロドウェイの日記」The Diary of Anne Rodway は The Oxford Companion to Crime & Mystery Writing(1999)のウィルキー・コリンズの項でも取り上げられ、「女性探偵の登場と、コリンズが最初に日記スタイルを使ったために興味深い」とされているし、ジョゼフ・A・ケストナー Joseph A. Kestner の Sherlock's Sisters: The British Female Detective, 1864-1913 (2003)では一章を費やしているから、アン・ロドウェイを最初の小説上の女性探偵とする説は、それなりに認知されているようだ。しかし、このコリンズの短篇は現在までのところ邦訳されていないので、彼女の探偵能力がどの程度なのか、確認することはできなかった。*1

クリス・ウィリス Chris Willis の Female Detectives in UK fiction 1850-1900 *2は最初期の女性探偵とその登場作の一覧表であるが、こには「アン・ロドウェイの日記」と並んで、この短篇が収録された短篇集 The Queen of Hearts(1859)からもう一編、The Biter Bit もリストアップされている。これは「人を呪わば」として江戸川乱歩編の『世界短編傑作集1』[創元推理文庫]にも収められている有名な作品だ。しかし、この短篇に登場するヤットマン夫人を「女性探偵」とすることには、いささか無理があるだろう。彼女は新米刑事を手玉に取りはするものの、探偵行為を行なうわけではないのだから。同リストでは、同じくコリンズの『白衣の女』(1860)に登場するマリアン・ハルカムが続く。この美しくはないが*3理知的な独身女性は、妹とその恋人を助けるために、知恵と不屈の意志でもって怪人フォスコ伯爵に息詰まるような戦いを挑むから、一種の女性探偵といえる要素は充分にある。

 このように、最初の紙上女性探偵も、職業探偵なのかアマチュア探偵なのか、さまざまな説を繰り広げることが出来るのだ。

 さもあれ、フィクションに現われた女性探偵(と女性犯罪者)の系譜について、少し調べてみたい。

*1:英語が読めれば、ネットで原文テキストの閲覧はできる。例えば→「http://www.hillsdalesites.org/personal/hstewart/Mystery/Collins/Collins%20(1856)%20The%20Diary%20of%20Anne%20Rodway.pdf」(カギカッコ内全体がURL)

*2:Webで確認できたのだが、いつの間にかサイトがなくなってしまった。

*3:なにせ、初登場の時、語り手の美青年画家こう描写される。「なんと醜い女性なのだ!(中略)その婦人の顔色は浅黒いと言ってよく、上唇にある黒いうぶ毛はほとんど口ひげに近かった。」(中西敏一訳)しかし、読んでいくうちにミス・ハルカムはすばらしく魅力的な女性になる。