2023年7月22日に合志マンガミュージアムで行われた「松森正トークショー」の内容をまとめました。
音声の起こしではなく、メモをもとにした記憶で書いているので、内容の細部、言葉使いなどは正確ではありません。(合志マンガミュージアムの許可はいただいております)
玉名市出身のマンガ家松森 正さんのトークショー|FNNプライムオンライン
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松森正トークショー
聞き手 橋本博(合志マンガミュージアム館長)
――松森さんにはずーっとお会いしたかった。いろんな手立てを使って、ようやく実現しました。久しぶりの熊本はどうでした?
松森(以下、松) タクシーで来たのでよく分からなかったです。でも、鶴屋デパートはまだ残っていたんだと……
――松森先生はデビュー以来、55年になります。こんなに長く活躍したマンガ家はそうそういない。本当にめずらしいと思います。その間に、実にさまざまな雑誌に作品を発表なさってきた。これまでに描いてきた雑誌を教えていただけますか?
松 少年キング、ヤングコミック、ビッグオリジナル、漫画アクション、別冊アクション、漫画ゴラクなどでしょうか。あと、モーニングにも描きましたね。
――他に調べたところだと、週刊漫画TIMES、漫画ジョー、カスタムコミック、コミックバンバン、漫画サンデーなどなど。まさにマンガ雑誌の歴史にもなっていると思います。数多くの原作者とも組んでこられた。思い出に残る原作者はいらっしゃいますか?
松 狩撫麻礼さん、関川夏央さん、橋本一郎さん、小池一夫さん……などですかね。編集担当で原作を書いてくれた人もいます。
――荒木一郎さんも原作をやってますよね(笑)。*1みなさん、知ってますか、荒木一郎さんを? あと赤川次郎さんとか*2。で、ぜひ覚えておいて欲しいのが、あの大友克洋さんが原作をやっているんです。*3この作品は単行本になっていませんですよね。
松 はい。
――その「僕等は愉快な訪問者」の原画が現在、全ページ、合志マンガミュージアムに展示してありますので、みなさん、ぜひご覧ください。とにかく、すばらしい作品です。大友さんの原作はどんな感じでしたか?
松 エンピツ書きの原稿で、とても読みやすい字でしたよ。その原稿を大友全集に入れたいという申し出があったので探したんですが、見つからないんです。捨てたはずはないんですが、なにせ整理がニガ手なもので。
――大友さんと組むきっかけは?
松 編集部の企画だったと思います。まあ、大友さんも嫌だとは云わなかったということですかね。
その前に、大友さんが関川夏央さん原作の作品(「かくも長き不在」)を読んでくれたらしくて。
その作品は編集者から原作を渡されて、「一週間でできるか」と云われて。読むと、じっくりと練らなくてはならない作品だったので、出来ないと答えたんです。でもその編集者は「わたしの役目は一週間で仕上げるよう伝えることですから」と。とりあえず出来ないと答えたので、(一週間で上げなくても)いいだろうと。十日か二週間ぐらいかけて仕上げて、それからすぐに載ったのかな?
そのあと、関川さんから電話があって、大友さんが(その作品を)褒めていたと。まあ、そういうこともあったんで、大友さんもOKしてくれたんだろうと思います。
――その間、大友さんとは一度もお会いしてないんですね。
松 ええ、会っていません。
――松森さんは同世代のマンガ家、谷口ジロー、ながやす巧らと比べても、全く遜色ないか、それ以上の画力・構成力(を持っている)。世の中がそのうち気づくはずだと、ぼくは思います。ここで玉名時代のことをおうかがいしたいのですが、映画はよくご覧になっていたとか。
松 最初は旗本退屈男ですか。それから日活アクションにいって、黒澤の「天国と地獄」「七人の侍」「椿三十郎」など観ました。錦館ですかね、よく行っていたのは。(2010.5廃館)
――洋画の方は?
松 「ベン・ハー」などいろいろ観ました。熊本新聞の映画評を参考にしてました。「007危機一発」にはヤラレました。
――最初の題名ですね。いまは「ドクター・ノー」ですか。*4先生の作品には映画の影響が多い気がします。
松 そうですかね。自分ではよくわからないですが。「ライブ・マシーン」の扉に「フレンチ・コネクション」を使ったりはしました。扉は原作と関係ないので自由にやれるんです。
――音楽は? 歌謡曲などは……
松 親世代の三橋美智也なんか聞いてました。中学に入って坂本九、高校で舟木一夫、西郷輝彦。このあたりから自分たち世代のための歌手がでてきたな、と。「高校三年生」がちょうど高校一年の時です。
――マンガの方は、どんなものをお読みでしたか?
松 月刊誌時代は、友だちの間で買う雑誌を決めて、みんなでまわし読み。当時、五誌ありましたかね。ほとんど読んでいました。
――女の兄妹がいると、少女マンガも読んでいた人がいますが。たしかお姉さんがいらっしゃいましたよね。
松 そうですが、女性誌はあまり……
マンガが好きになったのは、ひとつ上の兄(やはりマンガ家の城野晃)の影響です。ぼくがマンガを描き出したころ、兄は横浜税関に勤めていて、ちょくちょく見にくる。まあ、心配だったのかもしれないけど。で、一本の原稿料を聞いて、そんなにもらっているのかと。当時(の原稿料)は普通の勤め人の給料より高かったんです。
それで、兄も描く気になったらしく、勤めが終わった夜に描いて……だから根気はありましたね。
出来た原稿をぼくが編集者に紹介したら、すぐに載った。しばらく税関に勤めながら描いていたけど、そのうち、マンガ一本でやると。まあ、兄の影響でマンガが好きになったので、ある意味、必然だったのかな、と。
――その頃はマンガ家はまともな職業と思われてなかったでしょう。親御さんの反対などなかったですか?
松 あきらめの境地ですかね。(笑)
――佐藤まさあきさんのアシスタントになった経緯は?
松 高校の卒業間際に、東京の貸本マンガ家めぐりをしたんです。
――それはうらやましい。
松 山本まさはるさんには会えず、その時は佐藤プロには行っていない。
大体、ぼくはいいかげんな人間で、将来の希望もあまりなかった。美術の先生にでもなって、時々、マンガを描ければいいかな、程度。でも先生になるには大学を出なくちゃなれないとわかって、それは無理だと。
その時、上の(城野晃とはべつの)兄が、虫プロが一人欠員になっているという情報を聞いて、あてにして上京したんです。ところが、すでに、その欠員は埋まっていた。後で知ったんですが、ああいう現場では、欠員はすぐに補充しなくちゃ駄目みたいなんですね。兄は責任を感じたのか、広告代理店の職を見つけてくれて、そこに入ることにしたんです。
実は佐藤プロからは前にアシスタントの誘いがあって、ぼくはアシスタントは嫌だったんで、自分で描きたいほうなので、その時は断ったんです。でも、こうなってもう一度(佐藤プロに)行くと、すでにアシスタントは三人いるから、これ以上雇えないと言われた。でも、短期の手伝いなら、ということでやりはじめた。
そうしたら、しばらくして、佐藤まさあきから「君は広告代理店にはどうしても入らなくちゃ駄目なの? ウチに来れない?」と。ぼくの方では、いや、そっちが雇えないというから、短期のアルバイトのつもりだったと思ったんですが。まあ、こりゃ売り手市場だと思って(笑)、広告代理店の初任給よりもらいました。後で他の三人はもっと安かったと知って、悪くてなかなか云えなかった。
――佐藤まさあきに足りないものを松森さんが持っていたと云うことでしょう。
松 佐藤プロに入って、とにかく映画やマンガの話を出来るのが楽しくて仕方がない。仕事をしながら、しゃべりまくってましたね。二階にいたアシスタント*5が、笑い声がよく響いてきてびっくりしたらしいです。それまでは暗い感じで声もしなかったらしく、ぼくが入って雰囲気が変わったと云われました。
――これだけうかがっただけでも、まるで『まんが道』みたいな波乱万丈の物語ですね。佐藤まさあきさんから受けた影響はありますか?
松 これを描いてみな、次はこれ、とステップを上げてゆく。それから、マンガは絵だけでは通用しない。構成を含めた総合力が必要だと、云われました。だからデビューしてからも、仕事をしつつ勉強を欠かしませんでした。
初期の頃はまったく駄目で、やっとまともな作品と云えるようなものが出来たのは、三億円事件を題材にした作品です。兄と内容を練って、一緒に現場を見て回ったり。事件の内容はみんな知ってるだろうから、それを描くのではなく、それにいたる経緯を描く、という感じで。
――その作品のタイトルは?
松 ちょっと覚えていません。*6
――「木曜日のリカ」*7のタイトルについて、面白いエピソードがあるとか。
松 小池一夫さんの原作が上がってきたとき、まだ題名もヒロインの名前もなかったんです。で、ぼくと編集者で考えることになって。当時、加賀まりこ主演の映画で「月曜日のユカ」というのがあって、これがかっこいいので頂こうかと。ユカのままじゃ駄目だから、ちょっと変えて、雑誌の発売日はいつだと聞いたら、木曜日だと。それで決めました。だからタイトルのデザインも、ちょっとおしゃれにして。
美木本という姓は御木本真珠からです。
――自己作品のベストは決められますか?
松 いやあ……やっぱり最後の「湯けむりスナイパー」になると思います。後は関川原作の「18階の男」「地球最後の日」、狩撫原作の「ライブマシーン」ですかね。主人公がロック・ピアニストで、湯けむりとは都会と田舎、と全然違うんですが。
――狩撫さんの原作と相性がいい気がします。*8陰のある主人公を描かせたら、すばらしいですね。
松 東京に出てきたときは、陰もなにもなかったんですがね。(笑)
―― 今は胸にカゲがあるとか……(笑)
松 「湯けむり」で気づいたんです。ぼくにはヒット作が1本もないのに、まだ注文をもらっているのはナゼなんだろうって。
――最近のデジタル化で、絵が綺麗になりました。世間が松森作品の真骨頂に気づいたのでは? あと、すばらしい作品は多いんですけど、短いのが多いので、まわりが気づかない、ということだと思います。いずれにせよ「湯けむり」が集大成ですね。
反対に黒歴史というか、失敗作は?
松 それを聞きますか?(笑) まあ……あの作品*9も、絵としては全力を出したつもりです。
――それをうかがったのは、最近「我が社の黒歴史」という番組がありまして、黒歴史というけど、実はそれが次のステップにつながっていたと。松森さんの場合も、まさにそれだと思います。これからも、いい作品をどんどん描いていただきたい。
松 あの頃のエネルギーはないです。なにせ、後期高齢者ですから(笑)。「湯けむり」の新連載を受けたのも、新たなキャラを考える必要がないからです。もう、一から新しいものを作る力は残っていない。
――まだまだ、そんなことはないでしょう。
松 狩撫麻礼と組んだのはハードボイルド的な作品がおおかったんですが、彼から松森正は牧歌的な作家だ、と云われて。よく気がついたな、と(笑)。
――ご自分で牧歌的だと思われますか?
松 そうですね。そうだと思います。「湯けむり」もそうですね。秘境の宿。秘境のままで行くか、それとも観光地化させるか、今、担当(編集者/原作者?)と検討中なんです。
――取材にかこつけて、全国の温泉をまわられたらいかがですか。(笑)
松 実はあちこち行ったんです。那須の茶臼岳の登山客用の宿なんだけど、そこは風情があって、よかったですね。
――椿屋もモデルがあったとか。
松 あります。読者がその旅館に来て、どこかで見たことのあると。途中で気がついて、紹介してくれました。*10原作だと、どこにあるかぼかしてます。なんとなく東北あたり。狩撫さんの原作がはっきり書いてなくて。近くの駅舎を描く場面があって、駅名がないと駅舎だとわからないので、ぼくがかってに「みちのく駅」とつけました。
――漫画サンデーに連載が決まったきっかけは?
松 その時の担当編集者が営業から移動になった人なんです。営業時代に、どのマンガ家のところに行っても「ライブマシーン」があったらしいんです。聞いてみたら、口をそろえて、ぼくらのバイブルだと。それで編集になって、企画した。ぼくの方は狩撫さんがOKならかまわないと。ひとつ注文をつけて、温泉が出てくるようなもの。それで(出来あがった原作を読んで)こうきたか~~と。(笑)
実は「湯けむり」のラストは、源さんが馬に乗って椿屋を去るラストだったんです。でも、途中からトモヨさんと君江の三角関係になって。それは違うだろうと、当時の編集長が狩撫さんにクレームをつけたら、それならもう書かないと。本当にあの人は、すぐ喧嘩するひとで。(笑)
その後、編集長が変わって。喧嘩したのは前の編集長だから、どうだろうと打診したら、OKが出て、それで再開しました。
――今日はいろいろとうかがえてよかったです。本当に松森さんはながやす巧以上の画力の持ち主で……
松 いや、あの人はぼく以上ですよ。
――気力がなくなった、などとおっしゃらず、これからもいい作品を描いてください。今日はありがとうございました。(拍手)
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(文責:森下)
■松森正作品リスト(作成途中のものです) ■連載作品(作成途中のものです)
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