深夜の謎(その3)/カマボコ指輪の謎!!


 『深夜の謎』の第二部は「謎! また謎!! さらに謎!!!」と題して、医学博士ワトソンの記録が始まる。一人称は「ぼく」である。


 ロンドン大学で医学を学び、陸軍病院から連隊付の軍医に任命され、インドに向かうのは、原作通りである。ところが、ここで山中版ワトソンは妙な言い訳をする。

おどろいたことには、この連隊がインドに行っている。しかも、インド人と戦争をしているんだ。しかし、ぼくは行かないわけにはいかない。なにしろ命令されたんだ。命令にそむくと、裁判にかけられて、ひどい罰をうける。ぼくは遠くて熱いインドへ、はるばる出かけていった。

 どうしてこんな言い訳めいたことをワトソンに語らせたのかは、容易に察することができる。これがアジアに対する侵略だからである。西洋のアジア支配と戦った山中峯太郎としては、ワトソンが好んで侵略の手先となったことにしたくなかったのだ。「命令でしかたなく」とわざわざ断っているのは、それ以外にはない。

 そういえば、第一部にも、アメリカの西部開拓について、次のような文章があった。

白人の大群、すなわちアングロ・サクソン民族が、ぞくぞくと西へ移って行った。(中略)もとからいるインデアンの原住民を、おしのけて追いはらい、手むかう者は討ちころした。多くの血が流された。
 これを白人は「開拓」と言う。しかし、インデアンから見ると、「侵略」であり「征服」であった。

 もちろん、ドイルがこんなことを言うはずがない。山中峯太郎の付け加えた文章である。

 戦地に赴いたワトソンが敵の銃弾で負傷する場所は、「マイワンド」。第二次アフガン戦争の激戦地だ。ところが、山中版ではこれが「ワイマンド」になっている。これは、単に発音しやすいように改変しただけなのか、それとも何らかの意味があるのか。とにかく、ロンドンに戻ったワトソンは、かつての助手スタンフォードの紹介で、「変人にして、一種の偉人」であるシャーロック・ホームズと出会う。このときワトスン、三十三歳、というのが山中版の記載だ。では、ホームズは?

『先生と同じくらいでしょうな』(スタンフォードの台詞)
『エッ、すると、三十三だぜ、ぼくは』(これはワトソン)
『そのくらいですよ、シャーロック・ホームズも』

 と、「それくらい」ということではっきりしないが、章の見出しが「三十三才で一種の偉人」となっているから、ワトソンと同年というあつかいのようである。

 ところで、ホームズの生年は1854年、ワトソンは1852年というのが、シャーロッキアンの間ではもっとも有力な説となっている。また二人の出会いは一般には1880年末か、翌年のはじめのこととされているから、どちらも二十代ということになる。山中ホームズは少し年長である。

 ホームズは出合ったばかりで、ワトソンがアフガニスタン帰りだと見抜く。(山中版では「インドの山おく」)この推理の種明しは、原作ではしばらく後まで出てこないが、山中版は、その場で推理の手順を披露している。こうして同居をはじめたワトソンとホームズだが、ホームズにすっかり興味を抱いたワトソンは、ホームズ研究をはじめる。それをワトソンはこう記述している。

「おもしろい人物を紹介してくれて、まことにありがとう。『人類が真に研究すべき問題は人間なり』だからね」
「じゃああの人を研究するんですね」スタンフォードはこのあたりで別れの挨拶をしながら、「でもこいつはなかなかの難問でしょうよ。あなたが研究するよりも、反対にあなたが研究されるほうへ私は賭けますね」(延原謙訳)

この判断力のするどい人物、上品な紳士のように見えるが、『変人であるのと同時に一種の偉人』とスタンフォードが言った「シャーロック・ホームズ」という人間を、大いに研究してみてやろう、と、たまらないおもしろさが、ぼくの胸いっぱいに、ムラムラとわきあがっていた。ぼくは医者だから、病気で診察してさがしだす、同時に、かわった人間の性質を診察するのにもなかなか興味をもっているのである。(山中版)

 医者の診察と人間観察(ひいては探偵行為)を重ね合わせた山中版も、なかなか捨てがたい表現になっていると思う。原作ではこの後、ホームズの奇矯な行動や奇妙な知識が披露されるが、これは大胆にカットして、すぐにドレッパの死体発見の報になる。しかし、事件の調査になってからは、ほとんど原作どおりの展開で、会話を多用して読みやすくしている他は、こまかいエピソードもきちんとフォローしている。最初の捜査のあとで、ネルダー夫人がショパンを弾く音楽会に行く件もあるように、ホームズの性格、趣味も原作にかなり忠実であり、この作品では、山中峯太郎はまだ「大胆な翻案」は行なっていない。

 原作と違う部分で目についたのは、

  • ランス巡査(ドレッパの死体の第一発見者)が、なぜか美青年になっている
  • ホームズが会話中、やたらに「フーッ」「フッ、フーッ」と言う
  • ホームズが大食いである

 ぐらいだろうか。二番目の「フーッ」「フッ、フーッ」は溜め息でも嘲笑でも鼻息でもない。煙草の煙を吐く音なのである。ホームズが愛煙家であることを、会話の中でも表現しようとしているのだ。また、大食いについては、この作品では、以下のように語られる。

ホームズとぼくは、いつものとおり、いっしょに食事した。いつものとおり、ホームズは、ぼくの二、三倍は食った。胃ぶくろが、よっぽど大きいらしい。

 どこからホームズ大食い説が出てきたのか、非常に興味がある。

 また、『深夜の謎』は三部構成になっていて、すでに述べたように第二部は原作の第一部なのだが、第三部の「真犯人と名探偵の話」は、原作の十三章「ワトソン博士の回想録(続編)」以降をあてている。ただ、ホームズが真犯人を関係者に紹介するシーンで、第二部は終っている。これは、原作よりも効果的だろう。過去の話を最初にもってきたので、このような効果を出すことが出来たともいえよう。

 ホームズによる謎解き部分でも、原作の弱点を補うような修正がほどこされている。

 まず、ホームズが電報で尋ねた内容は「ドレッパの恋愛と結婚に関するすべて」としている。原作では「結婚に関する点だけ」となっているが、結婚指輪の証拠だけでは、「恋愛」の可能性もありうるので、この修正は正しい。また、「ベーカー町少年秘密探偵群」のイギンズ*1によって、ホープがホームズの部屋におびき出された件を、こう語る。

『ぼく(ホームズ)も、その点に、かなり気をつかった。あの変装のうまい敏しょうな男が、やって来た、この同じところへ、はたして君(ホープ)が、やってくるだろうか、と。それを君は、気がつかずにやって来た。君としては大変なやりそこないだね』
『なるほど、そう言われると、そうですが、ドレッパの奴とスタンガソンの奴を、とうとう、やっつけてしまって、気がゆるんでいたところへ、あの子どもが』
 と、ホープは、イギンズ少年を見つめて、
『とても、うまいぐあいに、ぼくをここへ、引っぱってきたんです。こっちは、まるで気がつかなかった。これは先生の弟子ですか。子どものくせに、なかなかの腕まえですな』

 こうホープに褒められて、イギンス少年は鼻高々、いばりだすのだが、それはさておき、この部分は、原作にはない。確かに、以前に結婚指輪で罠をかけようとした、その同じ住所*2に、ホープがのこのこと現れるのは、不自然である。罠をかけてまんまと逃げられたホームズが、性懲りもなく同じ手口でホープを呼び出した不手際よりを謗るより、やはりここは、イギンズ少年の手腕を、そして山中峯太郎の手腕を、褒めるべきだろう。

 ところで、最初に犯人を罠にかけようとして用いた結婚指輪だが、山中版では「カマボコ型の純金指輪」と書かれている。英語ではどうなっているの? と原文を当ったら、"a plain gold wedding ring" である。たしかに、カマボコ型というのは、かつては結婚指輪として最も一般的な形(断面がカマボコのように、表面がまるく内側が平らになっている形状)であったが、このまま訳せば、ふつうは「純金の結婚指輪」だろう。あるいは「飾りのない金の結婚指輪」か。他の訳者がどう訳しているのかを、手持ちの本で調べると、

 おおッ、延原謙がカマボコだ! ううむ、ここでひとつの疑惑がわく。山中峯太郎延原謙訳のホームズ翻訳書を、執筆の参考にしていたのではないか、と。

*1:原作では「探偵局のベイカー街分隊 the Baker Street division of the detective police force 」のウィギンズ。まだ「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」の名前は出てこない

*2:山中版では「ベーカー町(まち)二十一」となっている。うーん、ちょっと数字が足りない。