1890年代――短篇探偵小説時代のはじまり(2)

シャーロック・ホームズ――偉大なる探偵


 《ストランド・マガジン》に、1891年から1892年にかけて連載された『シャーロック・ホームズの冒険』(1892)と、1892年から1893年にかけて連載された『シャーロック・ホームズの思い出』(1894)の2冊、24編*1シャーロック・ホームズ譚によって、短篇探偵小説時代は幕をあげる。

もし誰か、このふたつの小説集よりもっと単純にして確実な喜びをあたえてくれる本をあげることができるというなら、今それをあげてもらおうではないか。もしできないなら黙っていてもらうより仕方あるまい!(『娯楽としての殺人』p49)

 もちろん、探偵小説の愛好家には、ほかの本をあげることも不可能なら、黙っていることも不可能である! ホームズについて書かれた本が、世界中にいったいどのぐらいあるのか。その膨大な数の捧げ物をもってしても、ホームズの魅力はけっして語り尽くせるものではない。

 シャーロック・ホームズは、探偵小説に登場するあらゆる名探偵の原型であり、彼らを越えた存在である。ホームズ譚には、探偵小説を読む楽しみの原初的なものがある。なぜ探偵小説を読むことは楽しいのか。その答えはここにある。謎と冒険、事件が解決したときの快感。いや、ここでわたしなんぞが繰り返す必要はない。探偵小説愛好家なら、そのすばらしさは先刻ご承知だろう。あらためてもう一度、あるいは何度でも、この魅力的な物語を読み直せばよい。「彼こそは疑いもなく本物の神話なのだ(H・R・F・キーティング『海外ミステリ名作100選』)」から。


 この連作シリーズが成功したのは、第一にシャーロック・ホームズという探偵のキャラクターに負っている。ドイルは幅広い読者層に向けるために、ホームズの性格づけを初期の長篇よりいくぶん穏やかなものに変更した。

この時期のホームズは初期の彼よりも、より一層中産階級読者層を魅了するよう創造されている。科学的真実と芸術的形式のみならず、正義感と高貴な紳士の義務感を愛する人物である。(『天の猟犬』p201)

シャーロック・ホームズは、彼の先輩たちの誰よりも輝かしい知的能力をもつと同時に、良き社会的・教養的背景と、完全な品位と、「科学者」の資格と、私立探偵としての名声とを一身に兼ねそなえた人物として、読者にまみえることになったのである。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』)

 極端に偏った知識を持った変人から、オール・ラウンドな教養人への変身である。またその外見も、『緋色の研究』で描写された「力強いが醜男」よりも、「知的なハンサムで、程よくダンディ」なものに変化した。これには《ストランド》誌で挿絵を担当したシドニー・パジェットの描くホームズ像が多大な影響を与えている。

短篇の中でドイルがホームズの容姿について書く時には、パジェットの挿絵に合わせている。(中略)ただ単に強烈な個性だけではなく、優雅で人をひきつける容姿だ。(『天の猟犬』p213)

 そして、彼はまた、中産階級の英国読者が誇れる初めてのシリーズ探偵であったことも、人気を得た要因であった。

過去五十年間を通じ、ヴィドックの時以来小説にあらわれた有名な探偵が――デュパンにせよ、タバレにせよ、ルコックにせよ、ロカンボールにせよ――すべてフランス人であったのに対し、ホームズが生粋のイギリス人だったことも、世間を沸き立たせる大きな原因となったことは否定できない。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』)


 ドイルの功績のふたつめは、魅力的な語り手の創造である。《ワトスン役》という一般名詞にまでなったこの実直な元軍医の原型は、もちろんポーのデュパンものの語り手にあるのだが、この二人の魅力の違いが、ポーとドイルの小説の違いとなっているともいえる。

 ワトスンが演じるこうした役割の重要さは、ポーのデュパンものにおける語り手の役割とは雲泥の相違であって、これはドイルが発明した最も楽しい新機軸の一つといえる。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』)

ある意味においてワトスン博士の創造はホームズの創造よりすばらしい。
(中略)彼は疑いなく勇敢で、紳士としてのたしなみがある。彼はわたしたちが道徳的にそうありたいと望む人間だ。(H・R・F・キーティング『海外ミステリ名作100選』)

 ワトスンを無能だとか愚鈍だとかいうのは間違っている。ワトスンには好漢という言葉がふさわしい。友情に篤く、ロマンティストで、ホームズにはいつも翻弄されるものの、こと自分の専門分野においてはかなり有能である。そして、当時の英国において可能なかぎり公平であろうとし、自らの能力の限界もまた知っている。これはつまり、本物の知性をもっているということだ。

 A・E・マーチは探偵役の相似にもかかわらず、ポーとドイルが「ほとんど他に比較を見ないほどあざやかな対照を示している」として、以下のように分析している。

 ポーの物語は、いわば探偵学の純分析的な討論であって、事件と無関係な事実はいっさいはぶき、幾何学の定理のように論証される。問題そのものはかなり扇情的であるのに、その取扱い方のためわれわれはポー物語からほとんど興奮やロマンスを感じることがない。(中略)
 これに反して、ドイルの物語は動きと活気にあふれている。いつもさまざまな男女が個人的な難問題をホームズのところへ持ちこんでくるところから話ははじまり(デュパンの場合は決してこういうことはない)人物の行動も大部分読者の眼の前で行なわれるので、読者はその劇的な瞬間を共にすることができる。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』)


 これはドイルが意識して行なっていたことである。『シャーロック・ホームズの冒険』の最終話「椈屋敷」で、ホームズはこれまでの冒険の数々を思い返しつつ、ワトスンに向かってこう言っている。

「君の過っている点といえば、おそらく、書くものに血や肉をつけたがるところにある。原因から結果へと、厳正な推理の追及に仕事を限定してこそ、はじめて注目に値する特徴が出せるのにね。(中略)一連の講義であるべきものを、君は物語にまで低級化せしめている」(延原謙訳/新潮文庫

 ホームズのいっている「原因から結果へと、厳正な推理の追及に仕事を限定」したのがポーの探偵小説で、ワトスンつまりドイルの書いたのはそれに物語の面白さを付け加えたものだ、と言っているわけだ。ホームズには「「君の過っている点」と言わせているが、もちろんドイル自身はそれを過ちと思っているわけではない。探偵小説は「謎」と「その解決」だけでは面白くない。「血や肉をつけ」る必要がある。

 しかし、またドイルは、その「血や肉」が扇情的すぎるのも好ましくない、とも思っていた。第二期連載の第二話で、のちに単行本『思い出』にまとめるときに割愛した「ボール箱」の冒頭には、次のような文がある。

 シャーロック・ホームズの特筆すべきすぐれた才能を説明するため、典型的な事件を選ぶにあたって、私はできるだけセンセーショナルなところがすくなく、しかも彼の本領の十分に発揮されたものをと、意をもちいたつもりであるが、いかんせん犯罪にセンセーショナルはつきものであるので、伝記作者としては、(中略)板ばさみの窮地にたつのである。(延原謙訳/新潮文庫

 ポーの原型のままだったら、探偵小説というジャンルはこんなに大衆受けをしなかっただろう。また、ドイル以前に多く見られた扇情的犯罪メロドラマでは、低俗な読物から脱却できなかっただろう。

 コナン・ドイル推理小説を書きはじめた当時は、推理ものは主として二つの異なるグループ――それぞれまったく違った読者層を対象としてつくられた――から成っていた。くわしく言うなら、この種の物語の大多数は、無批判な一般大衆を対象として書かれた扇情もので、ひとたび謎がわかってしまえばほとんど二度と興味をもって読み返されないようなものであった。だが、これとならんで、もっと緻密な推理を求める知的な読者の間には、ポーの作品のようなより深遠な推理小説に対する要求が次第に高まりつつあったことも事実で、ポーの短篇小説は本国のアメリカと同様、イギリスでもフランスでも(特に1875年以降は)くり返し新版が発行されるほど人気を博していた。コナン・ドイルは、これら二種類の推理小説の最もすぐれた特徴を結びつけることを工夫し、容認し得る範囲で煽情性もとり入れる一方、ホームズの推理活動をできるだけ興味深く説明することによって、いずれの層の読者もよろこばせるような新しい種類の推理小説を発明したのである。(A・E・マーチ『推理小説の歴史』)


 品のいいメロドラマに、ポーのエッセンスを入れる。事件とそれにかかわる人物たちを、ドイルは絶妙のバランスで、しかも短い枚数で、生き生きと描いた。これが、探偵小説の新しいスタンダードとなった。

*1:雑誌掲載は24編、単行本にまとめられたのは23編。