『バベルの謎』長谷川三千子

バベルの謎―ヤハウィストの冒険 (中公文庫)

バベルの謎―ヤハウィストの冒険 (中公文庫)

一ヶ月くらいかけて、少しづつ読んでいた。
傑作である。


旧約聖書」の創世記(原初史)を手がかりにして緻密な論理を展開する推理小説としても読める。明かされる「真相」も意外性にとんでいる。

エデンの園に生えている「善と悪の知識の木」についての考察。

正確に言うならば、この木(善と悪の知識の木)は〈ヤハウェが土から拵えた生き物は、すべていつかは土へ返るべきものである〉という「知」を封印した木であり、この「知」を持たぬものには、ただ端的な「生命の終り」はあっても、本当の意味での「死」というものはない。

では、なぜヤハウェはそんな危険な木を自らエデンに植え、その上でわざわざその「知」を得ることを禁止したのか。人間(アダム)にそのような「知」を持ってもらいたくなかったとしたら、はじめからそんな木を植えなければいいではないか。

ヤハウェ自身は、もちろん、自ら作り上げた世界と事物のすべてがこのような脆弱性をかかえ込んでいることを知っている。そして、彼は自らのその知を無視し、握りつぶしてしまうことができない――「全知」の神であるということは、「知らなかったことにする」「知らんぷり」をするということができないということでもあるのである。

なるほど! 神は「全知」であるがゆえに、フェア・プレイに徹することしかできないというわけか。このフェア・プレイは、神が登場人物に向けたフェア・プレイであると同時に、作者(ヤハウィスト)から読者へ向けたフェア・プレイといってもいいだろう。手がかりは、誠実に置かれているのである。