CRITICA(クリティカ)三号を読んで


いささか遅れた話題かもしれないが、CRITICA(クリティカ)三号を(途中まで)読んだので、感想を書いておく。


今回、読みたかったのは「海外古典リバイバル」についての戸川安宣法月綸太郎・横井司の鼎談だった。これは面白かった。なかでも戸川氏の、実際に創元推理文庫の企画・編集にかかわる思い出話は貴重であった。しかし、法月綸太郎の「ダシール・ハメットも本格ですよ」には驚いた。じつは、「ハメットを本格ミステリとして読む」という自分なりの企画を考えていて、準備中だったからだ。うーむ、オリジナリティがなくなっちゃうなあ。横井司篇のリストは、しかし、ページ割付が悪くて読みにくいことこのうえない。横書きリストにするなら、右開きの逆ページにしてほしい。

で、引き続いて「特別区」の「断章後日譚」を読む。前号の千街晶之の「崩壊後の風景をめぐる四つの断章」の「後日譚」である。「黒千街」ぶり、ますます快調ともいえるのだけど、こんなことを公言して、組織も人間関係も崩壊しないのかね。ヒトゴトながら、気になった。「相手の逃げ道をすべてつぶしてから、徹底的に論争相手をたたく」というのは、こういうことなんだよな。

その後が、冒頭の大論文、市川尚吾の「本格ミステリの軒下で」にかかった。いや、これがツッコミどころ満載の、どうしていいのかわからない力作*1である。

いきなり、乱歩が『幻影城』で発表した有名な探偵小説の定義「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。」を、次のように定義ではなく「説明」であるとする。

少なからぬ数の人が乱歩のこの言説を、探偵小説(=本格ミステリ)の「定義」だと勘違いしているようだが、実のところ、乱歩は単に「こういうのが探偵小説の典型的なパターンですよ」と言っているに過ぎない。(p8)

市川尚吾のこの意見は、どの程度、探偵小説研究会の中でコンセンサスを得ているのだろうか。乱歩のこの文章があらわれるのは、「探偵小説の定義」と題された章のなかであるし、第一、「何々とは、○○○である」という文章が「定義」でないのなら、「説明」ではない定義文というものを示してもらいたいものだ。乱歩は、「こういうのが探偵小説の典型的なパターンですよ」と言ってなどいない。これが探偵小説というもので、これ以外は探偵小説ではない、とはっきりと言っている。市川尚吾にはもう一度、「探偵小説の定義と類別」を読み直してみてほしい。乱歩の定義に賛成するにせよ、異見を述べるにせよ、この文章を「典型的なパターン」としてしか認識できないようなら、探偵小説(=本格ミステリ)の本質論を語る資格はないだろう。*2

また、「すべての小説は本格ミステリである」とする言い方は、あってもいいと思う。あらゆる小説に「本格ミステリ」的な要素を見出しうる、という考えは、ぼくも反対しない。本来、小説の要素とは、そういうものである。「あらゆる小説はSFである」「あらゆる小説は恋愛小説である」「あらゆる小説は犯罪小説である」「あらゆる小説は冒険小説である」これらすべては、成り立ちうる。

問題は、その「本格ミステリ的な要素」とは何か、ということなのだ。市川の言うように「古びた洋館が出てくればそれだけで、本格好きのセンサーがぴくぴくと反応」してもらっては、困るのである。「ぼく」がそうだから、というのでは、話にならない。古びた洋館が出てくるのはゴシック小説の要素であって、本格ミステリの要素ではない。ゴシック小説と探偵小説を分けるものがあるはずで、あったからこそ、探偵小説というジャンルがジャンルとして生成されたのだろう。

「コテコテの本格ミステリ」という言葉で何かをイメージさせようというのも、あまりにもさびしい。なにが本格ミステリの本質なのかをはっきりさせなければ、「コテコテ」は何も言ってないに等しい。ちなみに、佐野洋の『推理日記』を、社会派ミステリの世界の地道なコード(執筆ルール?)の環境整備の役割を果たした、とするのも、言葉の誤用・濫用に等しいだろう。

ここまで、「本格ミステリ」が混乱しているのは、きちんとした本質論をなおざりにしてきたツケがまわってきた、とも言えるのかもしれない。『容疑者Xの献身』が騒わがれた時、だれも本格ミステリをきちんと定義しようとしなかった。ぼくも、あの時は、それでいいのかもしれないと思った。幾分かは、騒いだ人たちへの個人的な反感もあったのかもしれない。しかし、推理小説やミステリというくくりでは納得できずに、その中の一部に「本格ミステリ」というジャンルがあるんだと主張する人たちは、なにが「その他のミステリ」と違うのかをきちんと説明する義務があると、いまは思う。たしかに、あらゆる小説に本格の要素はあるけど、その要素って、何よ。その要素は、時代とともにかわってもいいけど、じゃあ、今現在は、何よ。

*1:とはいえ、さまざまな問題提起を行なった力作であることには間違いない。本格ミステリの本質論に興味のある方は一読をお薦めする。

*2:この部分に市川尚吾氏よりご指摘があった。市川氏は「乱歩の定義文」を探偵小説の本質を示した文章であると認識しているし、この論文中では「説明」という言葉を「辺縁部の境界線をあいまいなままにしたまま中心部について語ったもの」として使用したとのこと。であるならば、ぼくが市川氏について「探偵小説(=本格ミステリ)の本質論を語る資格はない」と断じたのは早とちりだったことになる。