ミステリマガジン11月号の「カーター・ブラウンの光と影」には驚くべきことが書かれていた。
これはオーストラリアのミステリ研究家トニ・ジョンスン=ウッズの来日を記念して行われたインタヴューである。このインタヴューの後半に、トニ・ジョンスン=ウッズは以下のようなことを口にする。
ねえ、知ってる? ブラウンの二百冊ある著書のうち、半分近くはゴースト・ライティングなのよ。
「ねえ、知ってる?」といわれたって、知りませんよ、そんなこと。まったくの初耳である。
あわてて『世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]』のカーター・ブラウンの項目や、小鷹信光の名著『ペイパーバックの本棚から』のカーター・ブラウン追悼原稿「ある死亡記事」を読み直しても、そんなことはまったく書かれていない。小鷹信光が新聞に掲載された死亡記事に「これまでに書かれたミステリー作品は二百七十冊以上に達し」とあるのに、怒りで身をふるわせているばかりである。
トニ・ジョンスン=ウッズは続ける。
ブラウンは作品を量産するために、ドラッグで心身共にボロボロになっていったの。
うーむ、あの軽妙な作品の影には、このような苦悩があったのか。
フランク・ケインは知ってる?
ええ、知ってますよ。それが……
ペイパーバック・ライターで、自身では、ニューヨークの私立探偵〈ジョニー・リデル〉シリーズを書いているのだけど。この人はなんと四十冊もカーター・ブラウン名義で書いているのよ。ブラウンの著書が二百冊以上だから、約二十パーセントね。『じゃじゃ馬』や『欲情のブルース』は、この人が書いたもの。
それからSF作家のロバート・シルヴァーバーグも、ブラウンのゴーストライターをしていたことがあるわ。
え、えええッ? ほ、ほんとうなのか!?
フランク・ケインは1940年代デビューで、おもに50年代に活躍した作家だ。雑誌《マンハント》に多くの短篇が邦訳され、また長篇『弾痕』(1951) がQTブックスから出ている。60年代になっても、〈ジョニー・リデル〉シリーズを書き続け、1968年に死んでいる。
しかし『じゃじゃ馬』は1960年の、『欲情のブルース』は1961年の作品だが、『世界ミステリ作家事典』によると、前者は1956年にオーストラリアで出た Death of a Doll の、後者は 1957年の Doll for the Big House の、それぞれ米改訂版となっている。この事典の書誌は、ヒュービンの Crime Fiction をおおむね基にしていると思われるが、どちらにもフランク・ケーンの名前はでてこない。
この米改訂版の、改訂をしたのがフランク・ケーンだったのだろうか? 謎はふかまるばかりである。
おりしも、おなじミステリマガジンの小鷹信光が連載している「新・ペイパーバックの旅」の次回はカーター・ブラウンをとりあげる予定らしい。この記事をどううけとるのか、なんだかわくわくする。
と、ここまで書いて気がついたのだが、「ミステリ研究家トニ・ジョンスン=ウッズ」って、まさかジェイスン・ウッドと同じかた、つまり木村二郎のことじゃあるまいな。