小説の評価軸

 二階堂黎人のWebサイトの「恒星日記」で【本格評論の終焉】が終わった(ようだ)。
 いや、楽しませてもらった。この日記を読んでると、なんだか自分が頭がいいように思えてくる。麻薬のようなもので、危険であるな。

 内容を云々するのは、ばかばかしいのでやめておくが、僕の興味をもったのは以下の点である。


(表層的で、印象的な感想)ではない作品評価とはどのようなものか、モデル・ケースを示しておこう。
これまた簡単な話で、ジャンルの発展史観や教養主義を根底においた絶対評価が基準となる。(中略)創元推理文庫の『フランス白粉の謎』の解説を見てほしい。クイーンは、推理小説を評価するために、なるべく客観的な方法を考え出した。


 二階堂黎人は、どうやら本気で、小説の「絶対評価」「客観評価」があると思っているようなのだ。ジャンルの発展史観をきちんと勉強すれば、そんなものはありえない、というのは誰でも分かることで、ここで取り上げたいのはそのことではない。

 先日読んだ、石原千秋の『国語教科書の思想』のなかに、以下のような文がある。

大学一年生あたりの学生を教えていると、この「客観的」という言葉を頻繁に口にするのだ。(中略)どうやら、高校までの国語教育で「客観的」であることが「正しい」態度だと強烈に教え込まれているらしい。

 (中略)「事実として「客観的に見る」などということはあり得ない。「客観的に見たように思わせる仕組み」があるだけだ。どういう風に見ると客観的に見たように思わせることができるのかを考えることが、知性というものだ」ということから教えなければならなくなってくるのだ。


 もちろん、小説の「客観評価」などというものはない。しかし、「客観的に見たように思わせる仕組み」は、なにかあるのだろうか、ということを考えてみたいのだ。

 エラリイ・クイーンが提示した評価項目・方法は、ほとんど誰にも採用されることなく消滅した。それは、この評価方法が、「客観的に見たように思わせる仕組み」になっていなかったからだだろう。

 このような採点方法で、すぐに思いつくのは、H・R・F・キーティングが Whodunit? (1982) で行った四項目採点法である。(評者はほかにドロシー・B・ヒューズ、メルヴィン・バーンズ、レジナルド・ヒル)これは以下の四つの項目を各10点満点で採点するものである。

  • C …… Characterization(登場人物の造形)
  • P …… Plot(プロット)
  • R …… Readability, or how quickly you turn the pages(読みやすさ)
  • T …… Tension, a measure of the suspense element(サスペンス)

 この方式であらゆるミステリを評価していくのである。この部分は、以前、EQ誌に翻訳されたこともある。

 じつは、これはその二年前にやはりイギリスで出版されたM・シーモア=スミス編のブックガイド Novels and Noverists: A Guide to the World Fiction (1980) の方式のミステリ版なのである。
    
 Novels and Noverists古今東西の小説家の代表作をR(読みやすさ)C(人物の造形)P(プロット)L(文学的価値)について五段階評価を与えたもので(無印=評価ゼロもあるから、実際は六段階か)、ミステリに限らず、あらゆる国、時代、ジャンルにわたっている。(日本では三島由紀夫太宰治なども取り上げられている)

 この二つをくらべて気がつくのは、「文学的価値」にかわって「サスペンス」が評価に加わっている点だ。つまり、ミステリ独自の面白さは「サスペンス」だということなのだろうか。反対に同じ項目、つまり「人物の造形」「プロット」「読みやすさ」は通俗読物と文学を問わず、小説にとって重要な要素である、とイギリスの評論家たちは考えている、ということだろう。

 「人物の造形」と「プロット」が小説評価の二本の柱であるというのは、たぶん、ほとんどの小説読みから異論はでないと思う。小説を読む醍醐味は、ほとんどここに集約できるだろう。だから、この二つが入っていることが、まず「客観的に思わせる仕組み」の基本となる。

 もちろん、ミステリとしての評価になると、「プロット」項目はミステリ的なプロット評価になるはずだ。たとえばクリスティは、Cは比較的低いが、PとRはほぼ満点を取っている。日本で言う「トリック」の評価は、入れるとしたら、おそれくこの「プロット」の一部になるだろう。

 「読みやすさ」は、文章の良し悪し、論理の明晰さなどになるのだろうか。表現力全般がここに入れられていると思われる。これにも、異論はない。ここまでの三つは、あらゆる小説に共通の必須要素で、ミステリも小説ジャンルに入るかぎり、この三つの評価を無視できないことは自明であり、それをなくしては「客観的に思わせる仕組み」にはなりえない。

 さて、その上になにを付け加えるかで、小説の各ジャンルの特質を示すことができそうだ。つまり、「客観的」評価だと思わせる、「客観的」に見たふりをするためには、ジャンルの特質はせいぜい四分の一が妥当なところではないか。キーティングたちは、ここに「サスペンス」を入れた。しかし、Novels and Noverists が「文学的価値」をいれたことを踏まえると、ここには「ミステリ的価値」とでも呼ぶべきものを入れたいような気がする。

 「ミステリ的価値」は、ある作品は「意外性」であり(これも「プロット」からくるケースがほとんどなので、「プロット」でも評価できそうな気もするが)、ある作品は「おどろおどろしい雰囲気」であり、ある作品は「奇妙な論理」であり、ある作品は「ミステリ史的評価」である。もちろん「サスペンス」もその一部だ。各作品の付加的な要素、面白さを、ここで評価するのである。

 しかし、いずれにしろ、こういう採点評価は所詮「アソビ」だという基本姿勢だけは、はっきりと意識していたほうがいいだろう。同じ作品が見方によってまったく違ったものになる、評価方法を変えただけで違う魅力があらわれる、というのが、小説の面白さなのだから。