北原尚彦『発掘!子どもの古本』(ちくま文庫)の「原作よりも面白い? ポプラ社版「名探偵ホームズ」」の章に、山中峯太郎のホームズが取り上げられている。前回、ぼくが抱いたような疑問を著者の北原氏も感じて、同じようにシリーズの物語順を調べ、一覧表にしている。そして、先行する「世界名作探偵文庫」から「名探偵ホームズ全集」への移行の事情を、ポプラ社の当時の編集者から次のように聞いている。それによると、ホームズの巻ばかりが売れ行きがよかったため、新たに「名探偵ホームズ全集」を開始することに決まったのだが――
しかし、営業上、「世界名作探偵文庫」版の残部も、売ってしまわなければいけない。そこで、なんと「世界名作探偵文庫」で品切れになった巻から、「名探偵ホームズ」に入れていったというのだ。(同書p36)
なるほど! 在庫切れから収録ですか。巻数だけ最初にふって、あとから刊行すればいいような気もするが、まあ、こうしたいいかげんというか、おおらかというか、細かいところには気にしないところが、面白い。*1
こういう事情ではじまった山中峯太郎版「名探偵ホームズ全集」は、以下のような構成である。(物語の執筆順/番号は巻数)参考までに収録作品と、題名から原作が類推しにくいものは、一般的な邦題も入れておいた。*2
【名探偵ホームズ全集】
- 5.深夜の謎 →緋色の研究 昭和31年4月
- 9.恐怖の谷 昭和31年7月
- 7.怪盗の宝 →四つの署名 昭和31年4月
- 8.まだらの紐 昭和31年5月
- 六つのナポレオン
- 口のまがった男
- まだらの紐
- 1.スパイ王者 昭和31年3月
- 黄色い顔
- 謎の自転車 →プライオリ学校
- スパイ王者 →海軍条約文書事件
- 13.銀星号事件 昭和31年7月
- 銀星号事件
- 怪女の鼻目がね →金縁の鼻眼鏡
- 魔術師ホームズ →第二の汚点
- 14.謎屋敷の怪 昭和31年6月
- 青い紅玉
- 黒ジャック団 →ボスコム谷の惨劇
- 謎屋敷の怪 →椈(ぶな)屋敷
- 2.火の地獄船 昭和31年3月
- 火の地獄船 →グロリア・スコット号
- 奇人先生の最後 →マスグレーヴ家の儀式
- 床下に秘密機械 →三人ガリデブ
- 4.鍵と地下鉄 昭和31年3月
- 12.夜光怪獣 →バスカヴィル家の犬 昭和31年7月
- 10.王冠の謎 昭和31年5月
- 王冠の謎 →マザリンの宝石
- サンペドロの虎 →ウィステリア荘
- 無かった指紋 →ノーウッドの建築士
- 15.閃光暗号 昭和31年
- 閃光暗号 →赤い輪
- 銀行王の謎 →緑柱石の宝冠
- トンネルの怪盗 →赤髪連盟
- 3.獅子の爪 昭和31年3月
- 試験前の問題 →三人の学生
- 写真と煙 →ボヘミアの醜聞
- 獅子の爪 →覆面の下宿人
- 断崖の最期 →最後の事件
- 6.踊る人形 昭和31年4月
- 虎狩りモーラン →空家の冒険
- 耳の小包 →ボール箱
- 踊る人形
- 11.悪魔の足 昭和31年6月
- 悪魔の足
- 死ぬ前の名探偵 →瀕死の探偵
- 美しい自転車乗り
- アンバリ老人の金庫室 →隠居絵具屋
- 16.黒蛇紳士 昭和31年8月
- 一体二面の謎 →高名な依頼人
- 怪スパイの巣 →最期の挨拶
- 猿の秘薬 →這う男
- 黒蛇紳士 →入院患者
- パイ君は正直だ →株式仲買定員
- 17.謎の手品師 昭和31年8月
- 技師の親指
- 花嫁の奇運 →花嫁失踪事件/独身の貴族
- 怪談秘帳 →ショスコム荘
- 謎の手品師 →かたわ男/背の曲った男
- 18.土人の毒矢 昭和31年10月
- 19.消えた蝋面 昭和31年12月
- 消えた蝋面 →白面の兵士
- バカな毒婦 →三破風館
- 博士の左耳 →フランシス・カーファックス姫の失踪
- 犯人と握手して →アベ農園
- 20.黒い魔船 昭和32年3月
- 黒い魔船 →黒ピーター
- 疑問の「十二時十五分」 →ライゲートの大地主
- オレンジの種五つ
- ライオンのたてがみ
収録の事情を知ってから、この全巻構成を見ると、いろいろと分かってくる。3巻に新作の『獅子の爪』が入っているのは、全集の企画がきまってから執筆をはじめた最初の作品が、ちょうどここらで完成したんだろうな、とか、16巻以降は執筆と巻数が一致するのは、「世界名作探偵文庫」の既刊分がなくなったためだろうな、とか。
また、この叢書は何度も装丁が変わっているが、その辺りの理由は、平山雄一氏の【山中峯太郎四方山話(25)「名探偵ホームズ」シリーズ背表紙の変遷】 http://page.freett.com/Shoso/yamashhyousi.htm に詳しい。
この目まぐるしい変遷については、かねてからの謎であったが、当会顧問でポプラ社でこのシリーズを編集しておられた秋山憲司先生にうかがったところ、その理由が氷解した。当時は高度経済成長時代でインフレが進行し、何度も定価を付け替えなくてはいけなかった。その際にうっかり古い本を出荷してしまわないように、表紙のデザインを変えたということだそうだ。
ただしカバーを変えただけで出荷し直すというわけではない。現在と違って当時の本は、奥付にちゃんと定価が印刷されているので、そのようなことはできない。おそらくポプラ社にあった古い本は全て断裁処分になったが、取り次ぎや本屋に残っていた在庫を間違えないように、こういった配慮がなされたのではないだろうか。
ところで、山中ホームズは1976年(昭和51年)からはじまった新書サイズの叢書「ポプラ社文庫」にもその一部が収録されているが、これがまた、一部の収録作品が変更になっていたりして、謎が多い内容なのである。これは、10冊まとめて刊行されている。だからなるべく物語の順番(執筆順)に収録すればよさそうなものだが、以下のような構成になっているのだ。(芝隆之編「推理小説叢書目録/3.児童書篇」『帝王』9号/昭和53年3月 より)
【ポプラ社文庫版】全10巻(全集版と同じものは、収録短篇を省略)
- 『深夜の謎』
- 『怪盗の宝』
- 『スパイ王者』
- 『火の地獄船』(火の地獄船/奇人先生の最後/断崖の最期)
- 『踊る人形』
- 『鍵と地下鉄』
- 『夜光怪獣』
- 『銀星号事件』
- 『謎の手品師』(花嫁の奇運/トンネルの怪盗/謎の手品師)
- 『恐怖の谷』
たしかに最初の1巻は実際の執筆第一号で、四長篇は原作の発表順にそろえているし、「断崖の最期」の次に『踊る人形』の第1話「虎狩りモーラン」につながっている。全集版よりはわかりやすくなっているものの、それでも個々の短篇のつながりの整合性はあまりとられていない。もしかしたら、そこを書き直しているのだろうか? また、収録作品を変更したのも、なぜだかよくわからない。子供に受けそうな話で、なおかつ有名作品(「トンネルの怪盗」=「赤髪組合」)を入れたかったのか? しかし「まだらの紐」は未収録である。うーむ、これも、ポプラ社の方に聴くと、分かるのかもしれないが。