戦後ジュヴナイル・ミステリの系譜(5)

■1945〜1949(昭和20年〜24年)その5/痛快文庫と江戸川乱歩の少年探偵団

 戦後設立された光文社は、最初の児童向け叢書として「少年文庫」と「痛快文庫」のふたつを企画した。前者は世界名作・日本昔話の再話を中心としたものであり、後者は大衆的児童文学を中心としたものである。性格の異なるふたつの叢書をほぼ同時期に企画したのは、根本正義によれば、教養と娯楽の両立という光文社の方針からきている*1。しかし、このふたつの叢書には、唯一、共通する作家(再話者)がいる。それが江戸川乱歩なのだ。


  

    ↑少年文庫

 「少年文庫」には、この叢書の後期になってからであるが、ポーの『黄金虫』が江戸川乱歩を訳者として入っている。収録作品は表題作のほか「大渦巻」「死頭蛾」「ぬすまれた手紙」の四作で、これはのちに「モルグ街の殺人事件」「おまえが犯人だ」「月世界旅行記」を追加して講談社版世界名作全集『黄金虫』(1953)へと発展していく*2。前回のリストを一覧すればわかるように、「少年文庫」は講談社の「少国民名作文庫」や偕成社の世界名作シリーズと比べ、リライト原作に大人を対象とした大衆小説が選ばれる率は少ない。児童に人気のある探偵小説を収録するのに、大衆的なドイルのシャーロック・ホームズではなく、文学的ともいえるポーが選ばれた理由は、そのへんにもあるのだろう。にもかかわらず、訳者名は江戸川乱歩となった。乱歩の翻訳は、ほとんどが代訳であるものの、ここで重要なのはそのことではない。世界名作としてポーを子どもたちに紹介するのに最もふさわしい名前として、乱歩が選ばれたということが重要なのだ。「少年文庫」のほかの訳者をみると、『ドリトル先生』の井伏鱒二、『聊斎志異』の村上知行、『たから島』の大佛次郎、『西遊記』の宇野浩二アンデルセン鈴木三重吉らの名前が並ぶ。あきらかに文学者よりの訳者=再話者である。この中で講談社系大衆児童文学者といえるのは大佛次郎くらいだろうか。こうした訳者たちと一緒に乱歩の名前を並べることに、光文社は違和感を感じなかった――あるいは、乱歩のほかに、ポーを子どもたちに紹介する適任者を思いつかなかったのである。

 乱歩が選ばれた理由としてもうひとつ、『黄金虫』が出版された年(1949)の1月から、光文社の雑誌『少年』に「青銅の魔人」の連載が始まったことが考えられる。この作品は、戦前に講談社の『少年倶楽部』に連載されて人気を博した少年探偵団シリーズの戦後第一作であり、雑誌・出版社を変えての再出発だった。光文社と乱歩の関係は、これより前に、戦前に講談社大日本雄弁会講談社)で出ていた四作品が、光文社で復刊されたことにはじまる。つまり、光文社と乱歩の関係はすでに浅からぬものがあり、それが「少年文庫」に『黄金虫』を収めるにあたっての乱歩の起用だった、といえるのではないか。ともあれ、ここで、戦後の少年探偵団シリーズの発行と「痛快文庫」の関係を、少し詳しく見てみよう。

 乱歩の戦後最初の児童向け著書は、翻訳作品を除けば、光文社の『怪人二十面相』で、1947年6月5日に発行された。*3言うまでもなく、少年探偵団シリーズの第一作である。同じ日に、これもやはり戦前に講談社から出ていた佐々木邦の『全権先生』も、光文社から発行されている。この二冊はのちに「痛快文庫」に組み込まれるが、当初はおそらく、叢書ではない単発書籍として発行されたと思われる。思われる、としたのは、初刊本を未見のためだが、以下の点からそう推測できる。まず、乱歩作品については――

  • 江戸川乱歩著書目録』によると、光文社から発行された『怪人二十面相』『少年探偵団』『妖怪博士』には叢書名が記されてないこと
  • それが書き漏らしではない証拠に、四作目の『大金塊』(1949-06-20)から叢書名として「痛快文庫」が記されていること
  • 「痛快文庫」の一冊、土師清二『八幡童子』(1948-07-01)の巻末広告欄では、「江戸川乱歩の探偵小説三部作」となって上記三作が挙げられ、「痛快文庫」の広告とは別枠扱いだということ
  • 『子どもの昭和史 昭和二十年―三十五年』(平凡社)掲載の『少年探偵団』初版本表紙写真(p42)には、「痛快文庫」の表記がないこと

 この推測通りだとすると、光文社から出版された少年探偵団シリーズの最初の三作は、当初は「痛快文庫」ではなかったことになる。とすると、佐々木邦の『全権先生』が1947年6月5日に発行されてから、次の土師清二『八幡童子』が1948年7月1日に出るまで、約一年間、「痛快文庫」は出版されなかったことになり、その後は毎月のように発行されていることと比べて、いかにも不自然である。そこで、『全権先生』も最初は「痛快文庫」ではなかったのではないか、という疑問がわく。しかも、国際子ども図書館の児童書綜合目録で検索すると、大阪国際児童文学館の『全権先生』のデータには叢書名が記されていないし、根本書誌で「痛快文庫」とされた『全権先生』は、1948年11月1日の再版による確認であることが記されている。

 以上から、次のことが推測できる。まず『全権先生』と『怪人二十面相』が1947年6月5日に発行され、続いて『少年探偵団』(1947-07-05)、『妖怪博士』(1948-04-20)が出たが、これらは「痛快文庫」としてではなく、単発ものとして出版された。ただし、乱歩の三作は、「江戸川乱歩の探偵小説三部作」として、叢書扱いされていた。

 この時期の光文社では、紙型が同じ書籍は、装幀や叢書名を変更してもあらたな書籍あつかいをせず(初版年月日を変更せず)、最初の初版年月日を引き継いで、版のみ更新していたようである。おそらく、『全権先生』は再版の時に、「痛快文庫」となったのではないか。では、乱歩作品はいつから「痛快文庫」となったのだろう。これも、大阪国際児童文学館のデータによると、『怪人二十面相』は重版(1948-06-25)ですでに「痛快文庫」の叢書名が記されている。『少年探偵団』は神奈川県近代文学館のデータで、少なくとも4版(1949-04-20)では「痛快文庫」となっていたことがわかる。

 したがって、「痛快文庫」は1948年6月〜7月にかけて、すでに発行されていた乱歩作品を取り込みながら、土師清二『八幡童子(1948-07-01)、土師清二『怪童鴉丸』(1948-07-31)などの発行から始まったと推測される。乱歩の少年探偵団シリーズは、その後も戦前作品の『大金塊』(1949-06-20)が入り、さらには戦後第一作の『青銅の魔人』(1949-11-05)が『少年』連載終了後ただちに「痛快文庫」として出版された。

 根本正義は「大衆児童文学の戦後史」*4で、「痛快文庫には大衆児童文学のあらゆる類型」が網羅されている、とした。具体的にどんな類型=ジャンルが含まれていたのか。前回は発行年月日順に挙げたが、今回は「南洋一郎選集」「野村胡堂全集」を除いて、便宜上、次のようにジャンル別をしてみた。

  • 現代小説(野球小説)
    • 『全権先生』佐々木邦  1947-06-05
    • 『富士に歌う』富田常雄  1948-12-25
    • 『村の少年団(ボーイスカウト)』佐々木邦 1949-02-20
    • 『虹の冠』野村愛正   1949-03
    • 『あゝ、この一球』永井龍男  1949-05-25
    • 『牛使いの少年』小山勝清  1949-08-20
    • 『僕らの世界』佐々木邦  1949-11-10
    • 『太陽への道』大林清   1949-12-05
    • 『この星万里を照らす』富田常雄   1950-04-05
    • 『少年打撃王』大林清   1950-06-01
    • 『あゝ、栄光の日よ』五十公野清一  ★発行年月日不明
  • 時代小説(伝奇小説)
    • 『八幡童子』土師清二  1948-07-01
    • 『怪童鴉丸』土師清二  1948-07-31
    • 『神変白雲城』角田喜久雄  1948-09-05
    • 『少年剣士登場』赤川武助  1949-06-10
    • 『怪傑小天狗』山岡荘八  1949-07-20
    • 『浮城の白銀王』鷲尾雨工  1949-07-20
    • 『白馬の密使』村上元三  ★発行年月日不明 1949?
  • 探偵小説
  • 冒険小説(秘境探検/SF)
    • 『魔境五千哩』木村荘十   1949-05-05
    • 『少年密林王』赤川武助   1949-10-05
    • 『超人間X号』海野十三   1949-12-05
    • 『熱砂の美少年』橋爪健  ★発行年月日不明 1948-12?
    • 『北氷国の秘密』寒川光太郎  ★発行年月日不明


  
  
  
  

 こうして並べなおしてみると、まず目につくのが、探偵小説の占める割合の高さである。全体の四分の一を占める、重要なジャンルとなっている。「痛快文庫」内のシリーズである南洋一郎選集や野村胡堂全集*5も、冒険的な要素と共に探偵小説的要素も強いから、その割合はもっと多くなるだろう。これらは具体的にどんな作品だったのか、探偵小説・冒険小説に分類した作品の内容紹介の一部を、広告頁から引用してみよう。*6

  • 『怪盗追撃』森下雨村
    • 「さア、おとなしく両手をあげろ、手向かえば射ち殺すぞ!」……怪盗天鬼を向こうにまわして正義の少年探偵池上富士夫君の大活躍。すばらしく面白い!/神出鬼没、風の如き怪盗天鬼と少年探偵富士夫君の腕と腕、頭と頭の戦い。
  • 『黒星団の秘密』大下宇陀児
    • またも不気味な黒星のマーク。十五年前、大東京都民をふるえあがらせた怪盗黒星団の出現。魔の手はついに名高い銀行家園村家にのびた。つぎつぎと起る少年誘拐事件。突如あらわれた中国人龍旺明老人とは何者? 雪の大都会に、火花を散らしてたたかう知恵と秘術の大活躍。怪盗勝つか怪老勝つか、また浩太郎、玲吉二少年の運命は?
  • 『魔境五千哩』木村荘十
    • 「命をおしまぬ者はおれにつづけ!」勇壮豪胆な美丈夫春樹青年は、長剣をかざして、海賊船にせまる。敵にうばわれた、最愛の百合姫はいずこ?…… さかまく万里の怒涛をこえて、兇暴な土人のすむ魔の大密林に、死の渓谷に、けんらんとくりひろげれる大冒険絵巻。海賊とがり歯の弁象一味との凄絶な死闘の結末は?
  • 『少年密林王』赤川武助
    • 生か死か? 大魔境地獄谷の真只中、かき消すようにあとを絶った三浦博士。ぶきみな静けさに人も近づけぬ大密林の謎とは? 日本ターザン、少年密林王の冒険!
  • 『熱砂の美少年』橋爪健
    • リビヤ沙漠に咲いた紅バラ紅十字! これぞ美少年ラメットとその妹ミミイがひきいる少年少女義勇軍の合じるしだ。正義の少年少女は熱風吹きすさぶナイル河畔に、エジプト正統の王子王女をたすけて、命をまとの大活躍。これをたすける猛犬ピコ、魔法使いの怪老人。善悪入りみだれて、血わき肉おどる大熱血冒険小説。
  • 『北氷国の秘密』寒川光太郎
    • 雪の精かと思われる極洋の女王の襟に、さんぜんときらめく、謎の首かざり! これこそ無限の宝を秘める北氷国への道をしめる鍵だ! 見つめる三人の少年探検隊員の心はもえる。北氷国よいずこ? 万里の大氷海とツンドラをふみ越えて、邪悪のはげたこ*7船長一味と死闘をつづけながら、北へ! 北へ! ああ、あこがれの北氷国へたどりつく日はいつか!

 乱歩の少年探偵団シリーズは現在でも手軽に読めるから、あえて紹介文を引用しなかったが、それを含めて、探偵小説はスリルだけではなく、知恵の戦いが謳われている。ところで、粗筋だけでははっきりとは判らないが、大下宇陀児の『黒星団の秘密』はジョンストン・マッカレーの『黒星』(ブラック・スターを首領とする怪盗一味が黒星マークを残して悪事を働く)が発想の下敷きになっているのではないだろうか。また、木村荘十の『魔境五千哩』は、のちに『魔境千里』の題名で講談社版世界名作全集に収録されたフランク・バレットの『山と水』The Admirable Lady Biddy Fane (1888) *8が原案であると思われる。

 ジャンル別リストから、この時期には児童向けの時代小説(伝奇小説)のニーズが高かったこと、現代ものでは野球小説が多かったことが確認できる。野球小説というジャンルも、戦後独特のものだろう。こうした時代伝奇ものや野球ものは、やがて少年マンガの中に取り込まれていくことになる。

 反対に、戦前からあった大衆児童文学のジャンルの中で、「痛快文庫」の中に見られないジャンルとして、軍事冒険小説と少女小説が挙げられる。軍事冒険小説は戦前まで大衆児童文学で重要な一翼をにない、そもそも明治期の押川春浪の『海底軍艦』(1900)が大衆児童文学の嚆矢とされているくらいだ。諸外国の児童文学にはあまり見られない、日本独自のジャンルでもあった。*9この軍事冒険小説が戦後ほとんど刊行されなかったのは、光文社に限ったことではない。1948年頃から、偕成社ポプラ社をはじめとして、多くの出版社が戦前の大衆児童文学をきそって再刊しているが、その中でも軍事冒険小説ははずされていた。根本はこれを、「歴史の連続と断絶による賢明な選択があった」*10と評価している。実際問題として、占領軍の検閲があったこの時期、旧日本軍の英雄的行動を描く作品を刊行することは困難であっただろう。しかし、それ以後の時期になっても、戦前の大衆児童文学の中で、伝奇時代小説、秘境冒険小説、SF、探偵小説などは児童向けに再刊されることはあったが、軍事冒険小説は純粋に児童向けの出版としては、ほとんどなされていない。(大人が懐かしむ読物としては何度か企画されている)

 さて、もうひとつの少女小説であるが、こちらは他の出版社では1947年頃からさかんに出版されている。ここでいう「少女小説」とは、たんに少女のための小説というだけでなく、吉屋信子作品に代表されるような繊細な抒情性を有した作品や、母ものや薄幸ものなど過剰な感傷性を有した作品を指している。「痛快文庫」は、その叢書名が示すように、抒情性や感傷性とは無縁の小説がならび、いわゆる少女小説は収録されなかった。かといって、「痛快文庫」が少年だけのための読物だったとは限らない。というのは、佐々木邦の『全権先生』、大下宇陀児の『仮面城』、南洋一郎の『大鬼賊』、野村胡堂の『スペードの女王』や『六一八の秘密』など、少女雑誌連載の作品も多く含まれているからだ。娯楽児童雑誌も、例えば『冒険王』や『譚海』は当初、雑誌名に「少年少女」とついていた。冒険や探偵は、なにも男の子だけのものではなかったのである。薄幸ものに見られる「数奇な運命に翻弄される」タイプの物語は、「数奇な運命」を「謎にみちた事件」に、「次から次へとおそいかかる不幸」の「不幸」を「恐怖」に変えれば、探偵ものや冒険ものにすることができる。また、こうした少女雑誌連載の小説も、単行本になってからは、少年たちも読んでいたはずである。こうしてみると、当時の少年と少女の読物には、現在われわれが思うよりも、共通項が多かったのかもしれない。もっとも、これは、遠藤寛子のいう*11(『少女の友』派ではなく)『少女倶楽部』派の少女小説であって、事実、「痛快文庫」に収められた作品が連載された少女雑誌は、すべて『少女倶楽部』であった。

 ところで、乱歩の少年探偵団シリーズは、その後、毎年一作のペースで、雑誌『少年』に連載されていった。戦後第一作の『青銅の魔人』は、既に呼べたように、「痛快文庫」が初刊本である。ところが、その次の『虎の牙』(1950-01〜12連載)は、連載終了直後の1950年12月1日発行に、「少年探偵全集」という叢書に収められた。確認できた限りでは、野村胡堂の『岩窟の大殿堂(下)』が1950年12月25日に出たのを最後に、「痛快文庫」は終わっている。乱歩のシリーズ作品を別の叢書に組み込んだのを見ても、1951年以降、継続して発行するつもりはなかったと思われる。

 『虎の牙』が収録された「少年探偵全集」は、児童向けでは戦後最初の探偵小説専門の叢書である。叢書の装幀は、光文社文庫版『江戸川乱歩全集第15巻/三角館の恐怖』や三一書房香山滋全集第12巻/怪龍島』の口絵写真で見ることができる。また、連載雑誌のデータは、Webサイト「密室系」内の「少年探偵小説の部屋」http://www2s.biglobe.ne.jp/~s-narita/new/shonen-index.htm を参照した。

【少年探偵全集】 B6判カバー

  1. 『怪人緑ぐも』島田一男/中尾進・絵     1950-10-01 ★『中学生の友』1949-05〜1950-03
  2. 『虎の牙』江戸川乱歩山川惣治・絵     1950-12-01 ★『少年』1950-01〜12
  3. 『Z(ゼット・ナイン)9』香山滋/中尾進・絵 1950-12-25 ★『少年世界』1950-01〜07(連載時雑誌廃刊)
  4. 『黄金孔雀』島田一男/伊勢田邦彦・絵    1951-05-01 ★『少女』1950-04〜1951-02
  5. 『超人間X号』海野十三小松崎茂・絵    1951-05-01 ★『冒険クラブ』1948-08〜1949-05(連載時未刊)

 「痛快文庫」をやめ、この叢書が新たに企画されたことから考察すると、とくに探偵小説がよく売れた事実があったのだろうか。乱歩が「探偵小説第三の山」と呼んだ戦後最初の探偵小説ブームは、1949年から1950年ごろにピークを迎えた。戦前作家が横溝正史をはじめとして、『高木家の惨劇』(1947)の角田喜久雄、『石の下の記録』(1948〜連載)の大下宇陀児久生十蘭水谷準木々高太郎城昌幸らが活動を開始し、また戦後第一陣の新人たちの中でも、戦後派五人男と呼ばれた山田風太郎、島田一男、香山滋高木彬光大坪砂男が話題作を次々と発表した。このブームの余波が児童ものにも及んだといえる。「少年探偵全集」の収録作家を見ても、戦後いち早く児童分野で活動をはじめた海野十三江戸川乱歩のほか、戦後派作家の香山滋と島田一男が入っている。1948年から立て続けに創刊された娯楽児童雑誌の需要を埋めるために、探偵小説作家も動員されたのである。しかし、探偵小説ブームは1950年を境にして、それ以後、急速に沈滞してしまう。この「少年探偵全集」が五巻を出しただけで終わったことは、それとは直接の関係はあるまいが、乱歩の人気シリーズを投入し、ある意味鳴り物入りで始まった新叢書の短命は、何かを暗示していたのかもしれない。

 ところで、「少年探偵全集」が企画されたとき、「痛快文庫」に収録されていた少年探偵団シリーズはどうなったのだろうか。もちろん、雑誌に新作が連載中の人気シリーズを、そのまま廃刊にするはずはない。『怪人緑ぐも』の広告欄には、いまだ「痛快文庫」扱いで、「少年探偵江戸川乱歩全集」(通番なしの五冊)が掲載されている。この時にはまだ、「痛快文庫」は新作が発行されていたわけだから、乱歩作品もその枠内で生きていたわけだろう。しかし、『黄金孔雀』の広告欄になると、「痛快文庫」の表記がなくなり、「少年読物」として「少年探偵江戸川乱歩全集」(通番なしの五冊)となる。やはり、1950年を最後に、「痛快文庫」は姿を消したのだ。

 では、その後は? 次作の『透明怪人』(1951-12-20)は「少年探偵全集」ではない。「少年探偵江戸川乱歩全集」という新たな叢書の出発である。しかも『透明怪人』は7巻として組み込まれた。ここではじめて「痛快文庫」収録の五冊に『虎の牙』を加えた六冊に連番が付き、装幀を替えて編入された。ただし、前にも述べたように、初版扱いではなく、版数の変更で編入されている。つまり、『怪人二十面相』は初版は叢書扱いではなく、(おそらく)再版から「痛快文庫」となり、さらに(何版からか定かではないが)「少年探偵江戸川乱歩全集」に組み込まれたということになる。そのつど、表紙(またはカバー)装幀は変更されているようだ。挿絵も、当初は『怪人二十面相』は小林秀恒、『少年探偵団』は梁川剛一だった*12が、『透明怪人』の広告欄では、伊勢田邦彦になっている。以後、少年探偵団シリーズの新作は、1960年まで(つまり乱歩が新作を書かなくなるまで)この叢書で刊行されていく。

*1:「大衆児童文学の戦後史」三一書房『少年小説大系』月報連載/二上洋一編『少年小説の世界』(沖積舎)所収

*2:名張市立図書館『江戸川乱歩著書目録』(2003)による。

*3:以下、発行日は『江戸川乱歩著書目録』(前出)を参考にしている。

*4:前出

*5:全集の名の通り、野村胡堂の児童向け長篇現代小説がすべて収録されている。戦後作品の『大宝窟』は、これが初刊。

*6:参考資料:根本正義「〈書誌〉光文社の痛快文庫・少年文庫」(2001/[学芸国語教育研究 Vol.19])

*7:ハゲタカではなく、「はげたこ」。誤植かもしれない。

*8:『山と水』は黒岩涙香の翻案題名。同題で野村愛正のリライトが、戦前の講談社版世界名作文庫にも収録されている。

*9:山中恒、山本明編『勝ち抜く僕ら少国民―少年軍事愛国小説の世界』世界思想社(1985)

*10:「大衆児童文学の戦後史」(前出)

*11:『少年小説大系/少女小説名作選』解説

*12:名張市立図書館『江戸川乱歩著作目録』による。