「定義」と「説明」

「反論というよりは、自分の考えを書いておきたいと思います」と前日のコメントで言ったばかりなのだが、まず、市川尚吾氏の質問に答えることから始めておく。


前日の文章で、ぼくは「定義」と「説明」の違いを云々する気はなかった。「定義」と「説明」の何が違うのか、実のところ、ぼくにはよくわかっていない。言葉の違いを取り上げはじめると、「評論」と「時評」はどう違う、といった、馬鹿馬鹿しい論議になってしまいがちだからだ。「定義」とはなにかを説明せよ、「説明」について定義せよ、という論議にはしたくない。

ただ、こうは言えるだろう。市川氏は、定義とは「そうであるものと、そうでないものを二分するためのもの」であると思っている。ぼくは、定義とは「そのものの本質がなにかを明確にするためのもの」だと思っている、と。

ぼくが違和感を覚えたのは、乱歩の「探偵小説の定義(説明)」に対して、市川氏が「乱歩は単に「こういうのが探偵小説の典型的なパターンですよ」と言っているに過ぎない」と書かれたことに対してだ。この文章からぼくはこう解釈した。市川氏は、乱歩の「探偵小説の定義」は探偵小説の本質を語った文章ではなく、探偵小説の表層を述べたに過ぎない、と言っているのだ、と。

「探偵小説の典型的なパターン」と言う言葉から想起されるのは、例えば「田舎のお屋敷に集まった人々が、次々と不思議な状況で殺され、名探偵が意外な犯人を見つけ出す物語」だとか、「かつての恋人から、夫殺しの犯人を見つけてくれと頼まれ、調べていくうちに旧友が犯人だとわかる物語」だとか、そうしたものである。市川氏の評論の中で言えば、「「コテコテの本格ミステリ」(因習に満ちた土地柄、呪われた一族の住む館、密室殺人、童謡に見立てた殺人、等々の反リアルな要素を含むミステリ)」*1が、それにあたる。これらは、本質を述べたものではなく、各人が思う「探偵小説の典型的なパターン」だろう。

こうしたさまざまなパターンを抽出して、探偵小説の本質を明確にした文章が、乱歩の「定義(説明)」だと、ぼくは思う。

市川氏はCRITICA掲載の評論「本格ミステリの軒下で」で、ジャンルの境界線についてはボーアの電子雲のようなイメージに例え、またジャンル全体については「本格度数」による「本格の丘」のイメージに例えている。電子雲については異論はなく、「本格の丘」についても、細部の説明は別として、全体的なイメージは、まあ納得できる。「問題は」、と市川氏も言うように、「「本格の丘」の中心はどこにあるかということ」であり、またその高さの指標、つまり「本格度数」とはなんなのか、ということなのだ。「コテコテの本格ミステリ」の「コテコテ」の中身について知りたいのである。それは、ぼくにとっては、少なくとも「因習に満ちた土地柄、呪われた一族の住む館、密室殺人、童謡に見立てた殺人、等々の反リアルな要素を含むミステリ」ではない。

乱歩は、それを「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さ」だとした。

それが定義でなく説明だというのなら、それでもかまわない。しかし、犯罪に関る謎と、その解決の面白さが、探偵小説の本質であり、もっとも中心的な興味であるということに、ぼくは疑問を抱いたことはない。「探偵小説」とはそういうものである。

文芸用語は、数学や物理学の用語のようには定義できない。市川氏が定義であると認めた、斎藤美奈子の「妊娠小説」の定義《「望まない妊娠」を標準装備した小説はとりあえずすべて「妊娠小説」である》という文章でも、例えば「望まない」とはどういうことか、とか、「妊娠」を隠喩としているものはどうなのか、とか、さまざまな曖昧さを提示できる。小説(をはじめとする文芸作品)はさまざまな要素の集合体であり、そのどこに焦点をあてて読むかは、読者に委ねられている。小説には「本格ミステリでしかない小説」とか「冒険小説以外のなにものでもない小説」とか「百パーセント恋愛小説」といった概念は成り立たない。だから、他のものと全く重ならないで線を引く「分類」は不可能である。

しかし、あるジャンルを成り立たせている主要素はなにかを示すことはできるのではないか。また、示せなければ、ジャンルという概念が成立しえないだろう。

市川氏も述べているように、綾辻行人以降、ジャンルのくくりが変容した、とぼくも思っている。それまでは、乱歩の「定義(説明)」で処理できたジャンル概念が、いまは出来ないのかもしれない。ぼくが、「新本格」はじつは「探偵小説(=推理小説本格ミステリ)」ではないのではないか、と感じる点もそこにある。そして、「本格ミステリ」とは、もしかしたらミステリの一ジャンルではないのではないか、と考えるようになったのも、その延長にある。

次は、その辺りのぼくの考えを述べてみたい。

*1:「コテコテ〜」からカッコ内の文章までが引用