ミステリの分類(3)/探偵小説とは何か・その3――謎解きの物語


 探偵が主人公となった小説が、すなわち、探偵小説である。これは、一見、乱暴な意見に思えるが、案外、使い勝手のいい定義であり、初期の多くの探偵小説に当てはまるし、明確に他の小説と区分することもできる。十九世紀末にガボリオーやドイルの作品のような小説群が「探偵小説」と呼ばれだしたのも、それが「探偵の物語」だったからなのは、間違いないだろう。


 しかし、ものごとの本質を見極めるには、もうひとつのやり方がある。それはジャンルの原型にまでさかのぼり、原型の中のそれまでの小説になかった要素は何かを考察する、という方法だ。探偵小説という言葉が発生したとき、人々がその言葉からイメージしたものは、ホームズ譚やガボリオーの作品であった。その原型をたどれば、ポーのデュパンものに行き着く。そこで、ポーの諸作を探偵小説の原型ととらえ、そこから探偵小説の本質を抽出していく試みである。

 探偵小説の始祖とされる「モルグ街の殺人」には、この作品を特徴づけるさまざまな要素が含まれていた――怪奇や恐怖などのゴシック要素、無惨に殺された女性や不可解な証言などの扇情要素、新聞記事を引用した実話的要素、奇矯な持論を展開する登場人物の性格、そして読者の意表をつく意外な結末。しかし、こうした要素は、それまでの犯罪文学の中にも見出すことができる。この小説が新しかったのは、「作中に提示された謎が論理的に解かれて行く過程」を中心に作品を構成した点である。作品の一部に分析や推論がある物語はあったが、作品の中心主題を「謎解き」とした小説はなかった。そこで、探偵小説をそれ以外の小説(犯罪文学)から分けるものを、「論理による謎解き」としてみよう。探偵小説とは、論理による謎解きを中心主題とした文学である、と。

 こうした探偵小説観は、例えば我国最初期の探偵小説啓蒙者のひとり、馬場孤蝶の文章にも見られる。

全くの探偵小説と名づけ得べきものは、犯罪をば様々なクリュウ即ち手掛りを辿って偵察し、遂に犯人を突き止めるに到るまでの分解、綜合の過程を描いて行くものである。(「アラン・ポオの研究」(1922)/中島河太郎推理小説展望』から引用)

 手掛りを基にした犯人推定を、探偵小説の本質としている。また、レジ・メサックも『探偵小説と科学思想の研究』(1929)の中で、探偵小説を以下のように定義したという。(引用は九鬼紫郎『探偵小説百科』による)

 探偵小説はなによりもまず、不可思議な事件の正確な状況を、合理的な方法で理路整然と一歩一歩、発見してゆく過程を描いた物語である。(寺門泰彦訳)

 江戸川乱歩が「探偵小説の定義と類別」で示した探偵小説の定義――

探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。(『幻影城』(1951))

 も、この延長線上にあるといってもいいだろう。いずれも「謎(=秘密/不可思議な状況)を解いていく過程」こそが、探偵小説を他の文学から分別する基本的な要素であり、探偵小説の本質である、とした説だ。そして、謎は合理的な(=論理的な/手掛りをたどる)方法によって解かれなくてはならない。

 しかし、「謎」もしくは「秘密」という言葉は、その言葉が意味するもののように、実のところ、非常にとらえがたい概念である。作品中に広い意味での「謎」や「秘密」を含まない小説や物語は、まずないといっていいだろう。愛とは何か、生きるとはどういうことか、わたしは何者なのか、という謎から、恋する二人はこの先どうなるのだろう、という謎まで、文芸作品で扱われる「謎」は千差万別である。なぜそうなったのか、誰がそうしたのか、どこで間違えたのか、実体のよくわからないもの、正体がつかめないもの、すべて謎である。また、作者自身気がついていない「謎」もある。例えば、登場人物の行動原理が理解できないときは、それも読者にとっては「謎」となる。

 謎があれば、通常はそれを解きたくなるものだ。その意味ではほとんどの文芸作品は、いく分かは謎解きの要素を含んでいるといえるだろう。読者は小説の筋をたどりながら、登場人物の行動原理を理解しようとする。そして、その作家なりの、あるいはその作品なりの「答」が提出される。近代小説では、解答は「作者の言葉」のような明確な文章として提示されることは稀で、ほとんどは物語の形で示されるから、読者はそこから解答を読みとることになる。読みとられた解答は、読者ごとに違うかもしれない。また、読者自身が感じた謎は、読者自身で解答を見つけるしかない。読書とは、文芸作品(テクスト)の中に示された手掛りをもとにして、「解答」を読みとる行為だともいる。要するに、読書という行為そのものが、「論理的な謎解き」なのだ。

 つまり、あらゆる小説に探偵小説の要素(=謎解き)はある、ということになる。「謎を解く物語」をもっと抽象的に「因果律をさぐる旅」とでもしたなら、多くの小説に当てはまることが理解できるだろう。あらゆる小説は、探偵小説として読もうと思えば、読める。これは、なにも探偵小説に限ったことではない。恋愛小説、青春小説、風俗小説、風刺小説、ユーモア小説、冒険小説、恐怖小説、SFと、どんな小説ジャンルを想定したとしても、さまざまな要素の集合体とならざるを得ない文芸作品には、そうしたジャンル要素がいく分かは含まれる。

 例えば、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』(1913)。ミステリ・ファンなら御存知のように、この作品は「大衆小説、冒険小説的色彩の強かった旧来型のミステリから脱却した理知的な長篇ミステリの第一号であるとも、黄金時代の先駆け的な作品であるとも評価され」*1ている。奇矯な言動をとる神のごとき名探偵ではなく、どこにでもいそうな好青年を探偵役とした点や、煽情性を廃した文体を採用した点も、作者のベントリーが「現代探偵小説の父」と呼ばれる所以だろう。しかし、この小説の骨格は、名探偵が容疑者に恋をしたことで推理を間違えてしまう、というものだった。作中、かなりの分量を占めている探偵とヒロインの恋愛に注目して読めば、この作品は探偵小説ではなく(中心的主題が謎解きではなく)、恋愛小説である、としても差し支えない。

 読者がある要素を興味の中心として小説を読めば、その中心的興味のジャンルの作品として読むことができる。同じひとつの作品が、登場人物たちの恋愛に焦点を当てれば恋愛小説に、物語の背景の風俗習慣に焦点を当てれば風俗小説になるだろう。したがって、ある文芸作品のジャンルを一意的に決定することは、原理的に不可能なのだ。しかし、文芸作品のある要素に着目して、その要素が時代によって、あるいは作家によって、どのように語られてきたかを考察することは可能である。斎藤美奈子の『妊娠小説』は、そんな好例だといえよう。これは文芸作品のなかで、「妊娠」という要素に着目し、それが時代とともににどう扱われてきたかを考察した文芸評論である。「妊娠」に着目すれば、「妊娠小説」というジャンルは浮かび上がってくる。では、探偵小説は何に着目して生まれた小説ジャンルなのか。

 ある文芸ジャンルについて語ろうとする場合、その前提として重要なのは、この小説はこのジャンルに含まれ、これは含まれない、などと決めることではなく、その文芸ジャンルはどんな要素を中心に成り立っているかを明確にすることだろう。

 主人公に着目すれば、探偵小説は「探偵が登場する物語」である。物語構成に着目すれば、「探偵が謎を解く物語」である。ここでいう「探偵」とは、解決を求められる謎を探り、それに答えを出す人物、とすれば、どちらも結局は同じ内容を言っていることになる。

 一旦、その本質的要素が抽出されたなら、他の文芸作品のなかにも、いく分かはその要素(謎解き)を見出すことも可能である。ただし、どれくらいその要素があれば、探偵小説となるのだろうか、などと悩むのは無意味だ。文芸作品に、「どれくらい」という定量性を求めることはできないのだから。読者が、その作品の中心的主題を、謎が解かれる過程の面白さだと感じれば、あるいはその物語の主人公が「探偵」であると感じれば、それが探偵小説なのである。

*1:『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』p640