怪盗の宝(補遺その4)/真珠の数の謎


 『四つの署名』の児童向けリライトを、引き続き、見てみよう。


 小学館版《名探偵ホームズ全集》の久米みのる訳『古城の怪宝』は、「第一部 一本足の怪人」「第二部 古城の怪宝」の二部構成になっている。ただし、第二部は原作の「ジョナサン・スモールの奇怪な物語」をほぼそのまま当てている。この分量は原作とほぼ同じだから、第一部に比べて極端に量が少ない。これは、久米元一訳の『恐怖の4』(講談社版《名作選名探偵ホームズ》)*1でも、ほぼおなじ構成になっている。というよりも、このふたつのリライトは、書き手が親子のためもあって、よく似ている。

 一人称がワトスンの「ぼく」であることや、物語の最初にホームズとの馴れ初めがあることだけでなく、原作にない文章の追加がかなり共通しているのである。例えば、探偵犬トビイと共に犯人たちの臭跡を追って、明け方のロンドンをめぐりながら、ホームズがワトソンに事件の推理を語るシーン。犯人の一人が未開人のために起きた悲劇であると説明する部分を見てみよう。

「相棒が野性を発揮して、はいってみたら、もう毒の矢をつかってしまったあとだったからね。」(延原謙訳)


「助手のほうは、スモールとちがって、野蛮人だ。人を殺すことなんか、なんとも思ってない。やねうらの穴から、下のへやに、バーソロニューがいすに腰かけているのを見ると、ついむらむらと、いつものくせがでて、バーソロニューの首すじに、あのおそろしい毒の矢をうちこんでしまったのだ。」(久米元一訳『恐怖の4』)


「相棒のほうは、スモールとちがって未開人だ。人を殺すことなんか、鳥を殺すほどにしか思っちゃいない。屋根裏の穴から、下にバーソロミューがこしかけているのを見ると、つい、むらむらっといつものくせが出て、バーソロミューの首すじに、あの恐怖の毒とげ矢を打ちこんでしまったんだ。」(久米みのる訳『古城の怪宝』)

「人を殺すことなんか、なんとも思ってない」「ついむらむらと、いつものくせが出て」など、原作にない文章なのに、非常に似ている。次は、事件の翌日、ジョーンズ警部の関係者逮捕記事。原作では、ジョーンズがかたっぱしから関係者を逮捕するため、ワソスンが冗談で「われわれもいまに逮捕されそうな危険を感じるよ」というのだが、久米版では記事の中でも「ほかの有力な容疑者」について触れられているのだ。

「たいへんなことになったもんだね」ホームズはコーヒーをかきまぜながらいった。「君はどう思う?」
「われわれもいまに逮捕されそうな危険を感じるよ」
「僕もそう思う。精力的なジョーンズの活躍が一転すれば、われわれといえどもけっして安全とはいえないね」(延原謙訳)


「どうだ、ワトスン。えらいことになっただろう。」ホームズが、コーヒーをかきまぜなからいった。
「まったくだ。この新聞記事で見ると、ジョーンズ警部は、犯人はショルトー家の内部のようすをよく知っているものだ――といっているね。そうすると、ぼくたちまでが疑われるわけだな。」
「そうだ、他にも有力な容疑者がある、というのは、ぼくたちのことをさしているのかもしれない。ことによると、ここへ逮捕にやってくるかもしれないぞ。」
「おいおい、ホームズ、じょうだんじゃないぞ。」(久米元一訳『恐怖の4』)


「ワトスン、たいへんなことになったろう。」
 ホームズが、コーヒーをすすりながらいった。
「うん、まったくだ。この記事で見ると、ほかにも容疑者がいると書いてあるが、いったい、何者だろう。」
「ワトスン、記事をよく読みたまえ。複数って書いてあるだろう。ぼくたちのことだよ。」
「ええっ!」(久米みのる訳『古城の怪宝』)

 そして、ワトソンがモースタン嬢を心配して、様子を見に行こうとする場面。ホームズの女性不信が現われるシーンだ。

「僕ならあの人たちにはあんまり喋らないね。女はとかく安心ができない。よほど立派な女でもねえ」
 私はこんな皮肉屋の相手になって、議論なぞしている気はなかった。(延原謙訳)


「あんまり、あの人たちに、ぼくたちのいまやっていることを話さないでくれたまえ。女というものは、どんなにりっぱな人でも、おしゃべりだからね。」
 ぼくは、それをきいて、むっとした。よっぽど(モースタン嬢たちは、そんなはしたない人たちではない。)といってやろうかと思ったが、ホームズのようすが、あんまりしょんぼりしていたので、なにもいわず、ぼうしをとって外に出た。(久米元一訳『恐怖の4』)


「ひと言注意をしておくが、あのふたりに、いまのぼくたちの作戦をしゃべらないでくれたまえ。女の人は、どんなにりっぱな人でも、おしゃべりだからね。信用してはいけない。
 ぼくは、むかむかっとした。よっぽど、
『モースタン嬢は、そんなはしたない人じゃない。ホームズ、きみは推理の名人だが、女の人のことを見ぬく目はないんだな。そんなことだと一生独身だぞ。(このワトスンの予感は的中してしまった)』
といってやろうかと思ったが、ホームズも、捜査が難航しているので、いらいらしているのだと思って、かんべんしてやった。(久米みのる訳『古城の怪宝』)

 ここでは、「どんなにりっぱな人でも、おしゃべり」「むっとした」「はしたない人じゃない」「ホームズがいらだっている(消沈している)」などが共通している。

 もうひとつ、ジョナサン・スモールがアグラの財宝について語る部分。

「アグラの宝物を持つものはかならず不幸になる――といういいつたえがありますが、それはほんとうでした。」(p160)
「アグラの宝は、だれの手にもとどかぬところに沈んでしまいました。アグラの宝には、のろいがかかっていて、それに関係するものはかならず不幸になる――といわれていますが、もうこれで、二どと悲惨なことはおこらないでしょう。」(p220)(久米元一訳『恐怖の4』)

「アグラの宝を所有する者は、かならず悲運な最期をとげるという、むかしからのいいつたえがありますが、それはほんとうでした。」(p162)
「アグラの宝には、のろいがかかっていて、関係するものは不幸になるといういいつたえは、ほんとうでした。でも、そののろいの宝も、だれも手のとどかぬところに、しずんでしまいました。これでのろいも消えることでしょう。」(p205)(久米みのる訳『古城の怪宝』)

 この「アグラの宝物の呪い」については、原作では、「あれを持っているものにろくなこたアねえ。」(延原謙訳)「あの宝の持ち主には、のろいがかかるね。いいことはありゃしない。」(亀山龍樹訳)という、スモールの一種のグチである。「呪いの伝説」というのは、久米元一によって持ち込まれた説で、久米みのるはそれを踏襲したのだろう。

 こうして見比べると、おそらく、久米みのる版は、父親の久米元一版をもとに、もう一度リライトをしたものと思われる。上の例で見てもわかるように、久米元一版が追加した部分を、さらに発展させた文章にしているからだ。こうした例は、全編にわたって見出すことができる。もっとも、以下のような原作にない追加は、久米みのる版『古城の怪宝』のオリジナルである。

夢のなか、ぼくは、美しい白鳥が、すーっとぼくのほうに近づいてくるのを見た。
奇妙なことに、その白鳥は、あの美しいモースタン嬢そっくりだった。(p127)

 「白鳥となって現われるモースタン嬢」は、ホームズのヴァイオリンの音色でやすらかな眠りにつくワトスンが見た夢である。原作でもモースタン嬢の夢はみるものの、白鳥のイメージは出てこない。また、久米元一版では、「深いねむりにおちて」いくだけで、愛しい人の夢は見ていない。

 さらに、久米みのる版が原作と(そして久米元一版とも)違うのは、物語の最初にモースタン嬢が持ち込む真珠の数である。

ビロードのしとねの上には、まばゆく光るな七つの真珠が、七つ子のように並んでいた。

 原作では、そして、ほかのリライトでも、真珠の数は六つだ。カラスでもあるまいに、なぜ、七つ子の真珠にかわってしまったのか。シャーロッキアンなら、たぶん、その理由に思いあたるだろう。モースタン嬢がホームズとワトスンに語った真珠の来歴は、1882年5月に最初の一個が届き、それ以来、毎年一個づつ、同じ日に送られてきたというものだ。そして、ほかの多くの手掛りから、事件がはじまったのはおそらく1888年9月。つまり、真珠は7個のはずなのである。久米みのるは、ドイルの間違い(と思われるもの)を修正しようとしたのだろう。その証拠に、原作では推測されるにすぎない事件発生の年を、「今年は1888年」とホームズにはっきりと言わせている。

 さらに、モースタン嬢に届いた呼び出しの手紙の日付も、原作の7月7日から9月18日に改変されている。これも、事件が起こったのが九月であるとするワトソンの記述が原作にあり、手紙の日付は9月17日(S 17)と書いたワトソンの原稿を、印刷屋が7月7日(Jl 7)と読み間違えたとする説があるためではないだろうか。*2

 以前、確認したように、偕成社版『四つの暗号』をリライトした武田武彦は、ワトソンの結婚を「1887年10月1日」としているから、事件発生は1887年9月説だと思われる。つまり、真珠の個数を重視したわけだ。モースタン嬢が過去を語るところでは、父親が行方不明になった1878年は「十年ばかり前」とし、真珠が最初に送られてきた1882年は「(父親が行方不明になってから)かれこれ四年たって」と逃げている(原作では「いまから六年ほど前」という表現)。9年前なら、「十年ばかり前」という言い方でかまわないが、5年前を「六年ほど前」ではまずい、という判断なのだろう。

 『四つの署名』の発生年は、ワトソンの結婚問題としても重要であり、シャーロッキアンの中でも諸説入り乱れている。児童向けリライトにおいても、いくつかの説があることがうかがえる。

 さて、最後に、柴田錬三郎版『四つの署名』を見てみよう。ぼくが読んだのは、偕成社の《少年少女世界の名作》の1冊。

 すでに紹介しているが、この柴田錬三郎版には、ワトソンが出てこない。かわってホームズの助手をつとめるのは、ベーカー街少年探偵団のウイギンズ少年だ。『四つの署名」だけでなく、《少年少女世界の名作》の『名探偵ホームズ』に収められた「悪魔の足」「宝石を盗んだ鳥」「赤髪者同盟」でも、ホームズの助手として活躍する。ワトソンが少年となる朝島靖之助のリライト(偕成社/名作冒険全集)と双璧をなす改変といえよう。

 ところで、ウイギンズ少年が団長となっているベーカー街少年探偵団だが、たいへんな大組織なのである。ホームズの要請で探偵団の面々がベーカー街に集まるシーンで、ウイギンズ少年は誇らしげにこう宣言する。

「先生、とりあえず十八名です。けれど、この十八名は小隊長ばかりですから、先生の命令をきけばすぐ帰って、また、子分たちに命令をつたえます。すると百人ぐらいの少年探偵団が、ただちに活動を開始します。」

 これでは、ホームズの懐具合を心配せざるをえない。

 それはさておき、ホームズ探偵の助手として活躍するウイギンズ少年だが、ベーカー街のアパートのおばさん(ハドソン夫人の役回りだが、名前は出てこない)には、あまり好かれていないようだ。「やあ、おばさん、こんにちわ」と愛想良く挨拶しても、「おばさんはジロリとウイギンズを睨みつけ」るだけである。浮浪者のような探偵団たちが、どやどやと傍若無人に出入りするためかもしれない。

 もちろん、少年であるから、モースタン嬢との間に恋がめばえることはない。それでも少年なりに、彼女をなぐさめようとして、事件現場に向かう車の中でも、陽気にふるまう。

ウイギンズ少年が、どうだ先生はえらいだろうといわぬばかりに、鼻をうごめかした。あんまり鼻の穴をふくらましたので、きゅにムズムズしだしたのか、
「先生、ちょっと、ハンカチか紙を下さい。鼻をかみたくなりました」
という。みんなドッと笑った。おかげでモースタン嬢の、暗い不安な気持が、いくぶん明るくなった。

 アグラの宝箱をあけるもの彼だが、それが空っぽなのを知った時は、さすがに「神さま、ありがとうございます!」とは言わず、少年らしく、「た、たいへんだア!」とあわてるだけであった。

 ところで、柴田錬三郎は前書きの「この物語について」で、ホームズ物語の特色について「非常に科学的であります。ちょうど、むずかしい数学の問題を解くように、ひとつひとつの疑問を解いてゆきます。ですから、読者にとっては、頭のはたらきを練るうえで、とても勉強になります。」と述べている。ところが、この『四つの署名』には、ホームズの推理らしい推理はないのである。クレオソートの臭いを追って、犬のトビイと共に明け方のロンドンをめぐる途中で、ホームズが犯人の外観や素性についての推理をワトソンに語るシーンが、原作のひとつの読みどころなのだが、柴田ホームズはウイギンズ少年の疑問に対して、次のように言う。

「先生、犯人が、どうしてジョナサン・スモールという義足の男なのか、その理由をせつめいしてくれませんか」
 とウイギンズ少年が、このさい、かんじんのことをきいておこうと思って口をひらいた。が、ホームズ探偵は、
「そんなことは、いっさい、スモールをつかまえさえすればわかることさ。スモールは、きっと長いながい物語をしてくれるよ。インドの秘宝をめぐって、じつにふしぎな、複雑な物語があるにちがいないのだ。そのときを、たのしみにしておきたまえ」
 と笑っただけであった。

 さらに、ベーカー街でアンダマン諸島の小人など、事件の背景について調べるシーンも、柴田版では、こうなる。

「先生、もう何もかもすっかり、奴らのことをしらべていらっしゃるのですね。すこし、教えて下さいませんか」
「まあ、さっきもいったように、いましゃべってしまったら、これからのたのしみがなくなるよ。もうすぐ奴らはつかまる。そうしたら、ジョナサン・スモールごいう一本足の男は、ふしぎな奇怪な物語を、かれ自身の口からきかせてくれると思うよ。」(p94)

 「ひとつひとつの疑問を解いて」いくのではないのか、ホームズ! 犯人の口から複雑な物語や奇怪な物語を聞くだけでは、「頭のはたらきを練るうえで、とても勉強に」ならないではないか。

 と、まあ、文句もいいたくなるのだが、ホームズに心酔するウイギンズ少年は、納得して、スモールの告白を待つのである。いや、心酔したくなる気持ちもわからないではない。柴田ホームズは、ウイギンズ少年を大人扱いしてくれるからだ。テームズ河の危険な追跡の前に、ホームズが彼にピストルをわたすのは、以前、紹介した通りだが、それだけでなない。ジョーンズ警部と一緒にホームズの手料理を食べる時も、

かくして食卓がかたづくころ、ホームズ探偵は時計をだして、三つのコップにブドウ酒をなみなみとつぎわたし、
「さあ、乾盃だ。今夜の成功を祝して乾盃!」

 未成年の飲酒がうるさく言われなかった時代だったからか。『トム・ソーヤーの冒険』でも、トムたちが煙草を吸ってふらふらになるシーンがある。しかし、戦後の「教育的翻訳」では、そしてアメリカの映画などでも、このトムの喫煙シーンはカットされるのが通例だったようだ。柴田ホームズは、そういう意味では、ずいぶんとススンでいる。

*1:講談社《世界名作全集》『名探偵ホームズ(2)』に収録の『四つの署名』も同じ内容。

*2:とはいえ、「9月18日」では、さらに疑問が増すのだが。なお、大人向け翻訳では、日暮雅通光文社文庫版が、「9月7日」としている。