ミステリの分類(14)/さまざまな分類法・その5――類型分類(3)


 ここまで、ミステリの類型分類について、日本の例と英米の例を見てきた。英米以外では、こうした分類例を見つけることはできなかった。(単にぼくが、その他の国のミステリ事情に疎いだけであろうが)


 さて、こうしてそれぞれの類型分類の中身を比較すると、すべての分類例で項目立てされているのは、「警察小説(Police Procedural)」と「サスペンス(心理サスペンス/ロマンティック・サスペンス)」の二つであり、多少名前が変わるものの、多くの分類例で見られるのが「ハードボイルド(私立探偵小説)」である。この三つの枠組は、分類例ごとに含められる作品が多少異なってはいるものの、どの類型分類でも例外なく設けられている。それだけ、類型として認識しやすいということなのだろう。

 これらの類型の区分視点は何だろうか。「ハードボイルド」はもともと、主人公の性格、または文体による枠組であった。ハードボイルド(感情に流されない/何事にも動じない冷酷非情)な性格の主人公が探偵役となるか、または、描かれる文体がハードボイルドな作品を指していた。しかし、登場人物の内面を描写せず、反道徳的な内容を批判を加えずに客観的に簡潔に描くという純粋なハードボイルド文体を用いた作品は、当初からきわめて少ない。また、1970年代以降、主人公の性格がハードボイルドであることはまれとなり、それに伴って一般的なジャンル名は「私立探偵小説」(PI Novel)とするようになった。「ハードボイルド」という枠組と、「私立探偵小説」という枠組は、同一ではないが、ミステリの一流派の流れとしては継続している。つまり、主人公の職業による枠組に変化したのだ。

 同じように、「警察小説」も1950年代に発生したときは、警察の捜査手順をリアルに描くことを中心とした作風に限定されていたが、現在の英米のこの分類項目には、警察官が主人公となる作品のほとんどが含められている。従って、ここでも、区分視点は主人公の職業である。

 とはいえ、P・D・ジェイムズの『黒い塔』、パトリシア・モイーズの『死人はスキーをしない』、ジョイス・ポーターの『切断』、ピーター・ディキンスンの『英雄の誇り』、ピーター・ラヴゼイの『猟犬クラブ』、ルース・レンデルの『指に傷のある女』などを、主役探偵が警察官であることだけで、87分署シリーズやヒラリー・ウォーの作品と同一ジャンルと捉え、警察小説として括ってしまうことに抵抗のある人も多いだろう。こうした分類を行なった各務三郎の『推理小説の整理学』をはじめて目にした時には、ぼくも違和感を感じた。これらの(とくに英国の)作品は、警察官が主人公とはいえ、黄金時代の作風を濃厚に受け継いでおり、一般的には「本格」と捉えられていたからだ。

 しかし、考えてみると、最も典型的な警察小説であろうエド・マクベインの87分署は、ミステリのさまざまな古典的パターンを踏襲して書かれたシリーズだった。ミッシンクリンク、衆人環視の中の殺人、密室、動機探し、怪人対名探偵など、ミステリの歴史が作ってきたプロットやパターンが、警察チームを主人公にして描かれていく。警察小説の名作とされるジョン・ボールの『夜の熱気の中で』(1965)では、黒人刑事ヴァージル・ティッブスが関係者を一同に集めて手掛りをひとつひとつ検討して真犯人を指摘するように、また、瀬戸川猛資が『夜明けの睡魔』でヒラリ・ウォーについて論じた時に、「アメリカ本格派の一支流だろう」としたように、警察小説の多くは謎解き小説の枠内で物語られる。そもそも、警察小説の嚆矢とされるローレンス・トリートの『被害者のV』(1945)が、名探偵型の謎解き小説だった。

 この作品ではミッチ・テイラー刑事とジャブ・フリーマン刑事が中心になって話が進む。事件の謎を解くのは鑑識課のフリーマン刑事で、テイラーは捜査をしつつ、証拠を集める役割、つまりワトソン役といってもいいだろう。証拠品の組成を解析する分光器を信奉するフリーマン刑事は、科学的知識を利用して謎を解くソーンダイク博士の末裔のような印象を与える。しかも、単純に科学知識があったから謎が解けた、というような科学の勝利を謳うのではない。鑑識調査の結果、それがこれまでの捜査と矛盾したり、あらたな関係性が見つかったりして、謎がさらに深まる、というような展開をするのだ。最後に明かされる凶器トリックも、古典的過ぎるくらい古典的なものである。

 つまり、トリートは新しいタイプの作品を書こうとしたわけではなく、昔からある科学者名探偵の現代版を目ざしたといえよう。フリーマンという名前も、意識してつけられたのかもしれない。結果として、警察の科学捜査をリアリスティックに(あるいは読者がリアルに思えるほどに)描いた。それが後から、「警察小説」のはしり、と言われるようになったのではないか。

 『被害者のV』[ハヤカワ・ミステリ/2003]の解説で、新保博久はこう述べている。

 戦前からのフレンチ警部メグレ警視の活躍譚は警察小説ではないのかと言われると、もちろん違う。彼らは警察官であっても、その捜査ぶりは一匹狼に近く、警察の組織的捜査が主眼的に描かれているわけではない。(中略)
 そういう意味では、ロンドン警視庁のギデオン警視もメグレに近いのだが、(中略)複数の事件を平行して捜査しなければならないのをリアルに描いて、モジュラー型と呼ばれる複合犯罪捜査小説を定着させた点で評価されている。
 だから、警察小説(ポリス・プロシューデラル)といっても、単に警察官を主人公とするミステリと、はっきり区別をつけられない場合も多い。

 警察小説とは、第一に、警察の組織的捜査が主眼的に描かれているもの、第二に、モジュラー型捜査もの、というのが新保博久の定義のようだ。しかし、それでも「単に警察官を主人公とするミステリと、はっきり区別をつけられない場合も多い」のである。

 新保は同じ解説でメグレ警視は通常、警察小説とは言わない、と述べているが、The Oxford Companion to Crime & Mystery Writing の Police Procedural の項目の「その他の国の警察小説」には、メグレが取り上げられている。そして英国警察小説の作例は、P・D・ジェイムズのアダム・ダルグリッシュ・シリーズであり、ルース・レンデルのウェクスフォード・シリーズであり、ピーター・ディキンスンのピブル・シリーズなのだ。確かに「警察小説」が1940年代から50年代にミステリの新しいジャンルとしてに認識された時は、集団型主人公やモジュラー型捜査から始まったのは間違いない。しかし、ある時期以降、警察の捜査をリアルに描くことは当り前であり、警察官を主人公にしたミステリを書けば、必然的に警察小説になってしまうようになったともいえよう。そして、そのルーツをたどれば、ガボリオーのルコック探偵であり、フリーマン・ウィルス・クロフツ(そう、ここにもフリーマンがいた!)のフレンチ警部だろう。

 このように考察していくと、CWAが選んだ警察小説のベストに、レジナルド・ヒルのダルジールものが挙がっていたり、MWAが選出した警察小説のベストにP・D・ジェイムズのダルグリッシュものが含まれていることにも、なんら不思議はない。警察官を主人公にした探偵小説が、すなわち、警察小説なのである。

 ここで、もう一度、探偵小説とはなにか、という考察を思い返してみよう。探偵小説とは、探偵が主人公となった小説だった。探偵小説が発展し、周辺分野を取り込んでミステリとなったのだとしたら、ミステリを分類する区分視点に、まず「探偵」をもってくることは、そのジャンルの本質を明確にすることになり、理にかなっているといえる。そして、さまざまな要素の複合体とならざるをえない探偵の性格や探偵方法ではなく、「探偵の職業」を区分肢として採用するのが、区分肢の排他性と網羅性を確保するためには、最も適しているのではないか。少なくとも、警察小説、私立探偵小説という分類項目が、ジャンルを形成しうる類型として認められているのならば、これを発展させて、区分視点を「探偵の職業」のみで行なうミステリの分類を検討してみる価値はあるだろう。

 私立探偵小説、警察小説という枠組は、どちらも職業探偵を主人公にしている。では、この枠組に入らないミステリ(探偵小説)はあるのか。もちろん、ある。職業として謎を解くのではなく、個人的興味から謎をとく探偵たちの物語。

 職業探偵でない者が主人公の、謎解き物語――そう、アマチュア探偵の物語である。