児童文学と完訳主義

 小田光雄の『古本探究』(論創社2009)を読んでいたら、講談社版「世界名作全集」について言及している章があった。


 1950年からはじまったこの叢書はその後1961年まで続き、最終的に全180巻となる「戦後日本の児童出版文化史に不朽の名をとどめる大企画」*1であった。梁川剛一による函入りハードカバーの装丁は、同社が戦前に企画した『世界名作物語』を引き継いだもので、初期の翻訳者(再話者)には高垣眸、野村愛正、江戸川乱歩、水島あやめ、南洋一郎池田宣政)、佐々木邦などを配し、挿絵も前出の梁川剛一のほか、椛島勝一、松野一夫、林唯一、加藤まさを、山口将吉郎らを起用している。すなわち『少年倶楽部』を中心とした、いわゆる大衆的児童文学を担ったメンバーによる児童文学叢書である。「本全集はベストセラーとなり、(中略)広く愛読された」*2というから、昭和30年代に少年少女時代を送った人なら、たぶん一度はその装丁を眼にしているはずだ。ぼくも小学生の頃に、学校の図書館などで見た覚えがある。

 この叢書の装丁や挿絵が、多くの人に郷愁をともなって思い出されていることは、例えば『少年少女小説ベスト100』(文春文庫ビジュアル版)や、『古本探究』でも挙げられている池内紀の『少年探検隊』(平凡社)などを見てもわかる。そこで作品の例示に用いられている本や挿絵は、ほとんどがこの講談社版「世界名作全集」からのものなのだ。

 しかし、「講談社の自負とは逆に、所謂児童文学の世界での評価は芳しくなかったようだ」と、小田光雄は続ける。

これに対して高い評価を与えているのは、『世界名作全集』と同年に創刊された岩波書店の「岩波少年文庫」である。それは前者が再話、後者が「名作にふさわしい完訳」によっていたからだ。(『古本探究』p20)

 以前、ホームズの児童向け翻訳を調べていた時も、「一時期、児童文学界に「完訳至上主義」なるものが席巻した。つまり、原作から訳すに当たって短縮したり、面白く書き換えたりするのは宜しくない、と批判されるようになってしまった」*3という文章に出会った。児童文学界において、完訳(=全訳)以外はすべて悪、とする考えが主流となったのは、いつ頃からなのだろうか。再話の研究者として著名な佐藤宗子によれば、「一九六〇年代なかば頃から、児童文学の世界では完訳尊重の傾向がつよまり、ときに「完訳主義」と呼ぶべきほどに、再話への風あたりがきびしいものとなった」*4という。1969年の『学校図書館220』には、那須辰造の「翻案の価値 完訳にこだわると児童文学の宝を失う」と鳥越信の「完訳のすすめ 完訳以上の翻案・再話はぜったいにない」という論考が掲載され、やはり1969年の『週刊読書人』で「「完訳主義」是か非か」をめぐって福島正実いぬいとみこがコラムを執筆していることからも、それはうかがえる。

 佐藤宗子は、こうした「完訳」を支持したのは「熱心な児童文学の媒介者」すなわち「図書館の司書や家庭文庫などで読書運動に携わる人々」*5だという。福島正実が「完訳主義」を「PTAあたりの大受けを狙うスタンドプレイである」*6と断じたのも、そうした事実を踏まえてのことだろう。

 ここで思い出すのは、宮田昇の『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社)に書かれた次のようなくだりである。

 最近の本離れ現象を、子どもたちに読書習慣をつけさせなかった出版界の責任とする人がいるようだが、昭和四十年代、五十年代ほど、その運動が活発に行われたことはない。親子読書、十五分間読書運動、子どもたちのためのブックリスト作りが盛んであり、また、新聞の家庭欄では、多くの児童文学が紹介され、さらに読書感想文コンクールが巨大な力を発揮した時期であった。
 この読書運動の中で、もっとも急進的に論陣をはったある大学教授が、福沢諭吉の「門閥制度は親の仇でござる」式に、過度に目の仇にしたのは、リライト、ダイジェストであった。全訳以外認めないこの評論家のその過激さは、翻訳希望の女性にリライト、ダイジェストをやるぐらいなら、体を売れといってやったと、とくとくと書くほどのもので、その勢いもあって新聞各紙の児童紹介者のメンバーは、それに共鳴するメンバーで占められてしまった。
 それがいかに大きな影響を与えたかは、戦前から戦後にかけて世界名作全集などを出していた講談社その他が、リライト、ダイジェストを出さなくなったほどである。その結果、やはり駆逐された「ひろすけ童話」と同じく、リライトものは児童物出版からほとんど姿を消した。一方、当初から全訳主義を唱えていた岩波書店の児童図書、福音館の海外児童図書の翻訳は飛躍的に伸びた。

 教師やPTAによる「読書運動」が、そして「完訳至上主義」が、「本当の」読書好きを駆逐し、児童の本離れ現象を引き起こしたと言わんばかりである。親や教師が薦める「完訳主義の良書」よりも、血わき肉おどるリライト作品のほうが、子どもにとってどれほどおもしろいことか。「読書のおもしろさ」を殺したの真の犯人は誰なのか、という論調がうかがえる。また、一部には、リライトやダイジェストでも、子どもは想像力によって、原作のおもしろさを充分に味わえるとする意見もある。1951年生れの小田光雄も「小学生時代に図書館で「岩波少年文庫」も読んでいたはずなのに、記憶に残っているのは圧倒的に『世界名作全集』なのである」と述べている。大人の価値観で、安易に子どもの読書を判断するな、というわけだ。

 ここから浮かび上がってくるのは、以下ような図式であろうか。

  • 岩波少年文庫」派  完訳主義、芸術的児童文学、親が子どもに薦める本、説教くさい良書、よい子の児童書、おもしろさの否定
  • 「世界名作全集」派  再話派、大衆的児童文学、子どもが自ら求める本、いかがわしい悪書、悪い子の児童書、おもしろさの肯定

 さて、ここに次のような意見がある。

 低俗なおとぎ話が、げびたおもしろさにみちているというので、人びとは子どもの文学からおもしろさを追い出してしまいました。低俗なおとぎ話というものが、たいてい昔話を骨ぬきにしたものだったというので、昔話や伝説などのもっている民族への愛情や、楽しい語り口や、説得力のあるストーリー性や、心おどる空想性までも、人びとはすべて子どもの文学から追い出してしまいました。
 そのかわり、いたずらに子どもの心理を描写したり、感傷的な文字をつらねたりすることが、子どもの文学をより近代的に、芸術的にすることだと、人びとは思ってしまったのです。子どもの理解力を考えてみたり、子どもをおもしろがらせたりすることは、その人たちにとっては邪道でした。

童話という形式を借りて、死であるとか、孤独であるとか、もののあわれを語ることがどんなに不適当なものであるかは、欧米の児童文学の歴史がはっきりと証明してくれます。十八世紀末までさかんに書かれた、抹香くさい信心物語(中略)とか、病的な感傷主義の作品は、世紀がかわると同時にすっかり忘れ去られてしまいました。もともと子どもたちは、そんなものは読まなかったのです。また、悲惨な貧乏状態を克明に描写したものや、社会の不平等をなじったものなども、いつの時代にも書かれています。いずれの場合も、大人である作者は、真剣な態度でこれらと取り組み、テーマそのものはまじめなものです。そして、多くの批評家や、一般の大人は、非常な感銘を受けて、これらを子どもたちに買って与えました。しかし、そうした物語は、ストーリー性のない観念的な読み物となっていることが多く、どうしても子どもたちをひきつけることはできません。

 いくら「真剣な態度で」まじめなテーマと取り組んでも、面白くなければ「子どもたちをひきつけることはできません」と断じたこれらの意見は、面白さの肯定であり、説教くささの否定である。当然、「世界名作全集」派の意見だと思われるかもしれない。ところが、これは「岩波少年文庫」の創刊に携わった石井桃子いぬいとみこらが著した『子どもと文学』(中央公論社1960/福音館1967)からの引用なのだ。*7

 「おもしろくて、ためになる」というのが、戦前の大衆的児童文学の中心的存在であり、「世界名作全集」を発行した講談社大日本雄弁会講談社)の社是である。しかし、そのおもしろさが、「文学のもつべき芸術性を犠牲に」した、「国家的にも道徳的にもためになるという娯楽性、教訓性」*8という一面を持っていたことも確かなのである。

 例えば、「世界名作全集」に収録されている佐々木邦訳の『トム・ソウヤーの冒険』を見てみよう。原作ではトムが自分の抜けた歯を交換するのは、ハックの持っているダニであるが、佐々木訳ではかぶとむしに変更されている。ダニでは、あまりに「下品できたない」という判断だろうか。さらに、トムがガールフレンドのベッキーとキスしたり、無人島で煙草を吸うシーンは、きれいさっぱり削除されている。佐々木邦が『トム・ソウヤー』を最初に訳したのは1919年のことであり、時代的な制約を考えるとこうした改変はやむを得なかったのは事実であろうが、とはいえ、トムが原作よりも「健全でお上品」になってしまったのは間違いない。『トム・ソウヤーの冒険』と同じく戦前に翻訳され、戦後「世界名作全集」にも収録された佐々木邦訳の『ハックルベリーの冒険』について、石原剛は次のように言う。

このような当たり障りのない佐々木の『ハックルベリー・フィン』は、当時の日本の無垢な子どもにふさわしい物語といえたかもしれない。しかし、毒も含んだ危険な書でもあるトウェインの原作と比較したとき、もはや翻訳とは呼べない程の隔たりを生み出してしまったのである。(『マーク・トウェインと日本』彩流社2008(p87))

 対して、「岩波少年文庫」の石井桃子訳『トム・ソーヤーの冒険』では、原作通りトムはベッキーとキスし、タバコを吸ってふらふらする。さて、1950年代の子どもにとって「おもしろい」のは、どちらだっただろう。どちらが、「説教くさい良書」で、どちらが「いかがわしい悪書」だろう。

 やはり『子どもと文学』のメンバーである瀬田貞二は、「英米児童文学を日本はどうとりいれたか」*9の中で、『ぐりとぐら』で知られる中川李枝子がはじめて「岩波少年文庫」に接したの時のエピソードを紹介する。

古今東西のいわゆる名作物語は一応読破したつもりでいた私は、少年文庫の第一冊の、佐々木直次郎訳の『宝島』で天地がさかさまになるほどびっくりした。……私は手に汗をにぎり、冒険物語の醍醐味に心酔しきった。(中略/「少年文庫」のどの本も)おもしろくておもしろくて、読み出すと止められない。姉弟妹うばいあって読んだ。まるで飢えていた獣が、獲物にとびかかって骨のズイまでしゃぶりつくすようなものすごさである。(『図書』1968年10月――引用は「英米児童文学を日本はどうとりいれたか」から孫引き)

 この言葉に嘘はあるまい。ある種の人にとっては、「岩波少年文庫」こそが、寝食を忘れるほど「おもしろい」のである。しかし、すべての子どもが、そうした「おもしろさ」を感じとれるのであろうか。そうした「おもしろさ」を味わうには、ある種の感性、読書リテラシーが必要なのではないか。実際、「世界名作全集」はベストセラーになって、池内紀小田光雄をはじめとする多くの人びとの心に残ったのに比べ、「「岩波少年文庫」のひらこうとする道は小さかった」*10

 思えば、『子どもと文学』のメンバーたちは、「すぐれた作品に対する絶対的評価、子どもの読者の読みの絶対性を信じていた」*11のである。信じすぎていた、といえるかもしれない。小田光雄も言うように、「完訳と再話の功罪を問うことは本当に難しい」のだ。*12

*1:『古本探究』に引用された『講談社七十年史戦後編』の文章

*2:『児童文学事典』日本児童文学学会編(東京書籍 1988)

*3:北原尚彦『発掘!子どもの古本』(ちくま文庫)p38

*4:佐藤宗子「日本における『宝島』の発展」(千葉大学教育学部研究紀要 第49巻II:人文・社会科学編)

*5:「児童文学の再話」/亀井俊介編『近代日本の翻訳文化』(中央公論社 1994)所収

*6:「SFの奨め」/『日本児童文学』1969年5月号――ただし、『週刊読書人』のいぬいとみこのコラムからの孫引き

*7:前者はいぬいとみこの「小沢未明」論から、後者は渡辺茂男の「子どもの文学で重要な点は何か?」から

*8:前出のいぬいとみこの「小沢未明」論で、巌谷小波を論じた文章

*9:英米児童文学』(研究社1971)所収

*10:前出「英米児童文学を日本はどうとりいれたか」

*11:前出「児童文学の再話」

*12:ところで、小田光雄は「世界名作全集」全百八十巻の書名等の明細は資料としてもなく、「現在でも児童文学史研究の対象にもなっていない」と述べているが、そんなことはない。少なくともその全容は『児童文学全集・内容綜覧作品名綜覧』(日外アソシエーツ)で確認できる(ただし、発行年月の記載はかなりいいかげん)し、前出の「児童文学の再話」や「選ばれた「名作」――「岩波少年文庫」と「世界名作全集」の共通書目」など佐藤宗子のすぐれた研究が発表されている。