日本における児童向けミステリ(ジュヴナイル・ミステリ)の系譜を、少し詳しく追ってみようというのが、この文章の目的である。時代ごとにどんな作品が書かれ、また紹介されたのかを調べた結果報告が中心となるが、できるなら、それが当時の子どもたち(や大人たち)にどう受容されていたのかということまで、考察したい思っている。児童文学全体の流れを追いながら、その中でミステリがはたした役割、その時代ごとの児童ミステリの位置づけをさぐることが出来ればよいのだが、はたしてそれがわたしの力で可能なのか、極めて心もとない。
ところで、児童向けミステリ(ジュヴナイル・ミステリ)の「ミステリ」とは、いわゆる推理小説・探偵小説のことである。基本的には犯罪の解明を中心的な興味とした物語、ということになるが、しかし、ここでは児童向けということから、もう少し広くこの概念をとって、謎めいた事件を扱ったものや、単に悪人をやっつけるだけの物語も、随意、ふくめることにしたい。スリラーや冒険物語、怪異譚、探検物語、宝探し物語なども視野にいれつつ、考察していくことにする。
■1945〜1949(昭和20年〜24年)その1/世界名作文学からの出発
敗戦を境に占領下におかれた日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の指導の下、あらゆるものが「民主化」されていった。もちろん、児童文学も例外ではない。むしろ、未来を託す子どもたちへ平和と民主主義を先導するという意味で、児童文学はその「使命」が最も顕著に現われた分野であったといえよう。日本児童文学史をひもとけば必ず出てくる、敗戦の翌年から1947年にかけての児童文学雑誌の林立も、「子どもたちを豊かな情操と暖かい心と正しい判断力を持った人間に育てたいという作家や編集者の熱き願い*1」があってのことだろう。敗戦の翌年から、以下のような雑誌が創刊された。
- 『赤とんぼ』(実業之日本社) 1946年 4月創刊 →改題『こども世界』
- 『子供の広場』(新世界社) 1946年 4月創刊 →改題『少年少女の広場』
- 『銀河』(新潮社) 1946年10月創刊
- 『子どもの村』(新世界社) 1947年 6月創刊
- 『こどもペン』(こどものまど社)1947年11月創刊
- 『少年少女』(中央公論社) 1948年 2月創刊
- 『世界の子供』(世界文学社) 1948年 3月創刊
このほかにも『コドモノハタ』『少国民世界』『少年文庫』『フレンド』『金と銀』などがこの時期に創刊されている。こうした雑誌は「営利を目的とせず、科学や社会に目をひらかせ民主的な世界観を養おうとした点で「良心的」児童雑誌と呼ばれ*2」た。
「良心的」児童誌が登場した1946年4月は、ちょうど戦後はじめての探偵雑誌『ロック』(1946年3月創刊)『宝石』(1946年4月創刊)が創刊された時期と同じである。敗戦から半年というのは、混迷から立ちなおり、新たな企画が実を結ぶ最短の期間なのかもしれない。これを皮切りに、次々と新たな雑誌が林立したのも、児童文学雑誌と探偵雑誌は似ている。この時期の探偵雑誌の活況について、中島河太郎は次のように述べている。
戦後の民衆は読物に飢えていた。戦意昂揚の官製小説だけ読まされていた反動として、おもしろい、刺激的な作品が待望されたのは当然であろう。
進駐軍の意向によって、こんどは時代小説が禁止される一方、陽の目を見なかった探偵小説が俄然脚光を浴びることになった。旧作がザラついた仙花紙に刷られたが、需要に追いつかない時代が来たのである。(『現代推理小説大系別巻2/推理小説通史』)
「おもしろい、刺激的な作品が待望された」のは、子どもたちの世界でも同じであろう。それなのに、戦後、まず最初に登場した児童向け雑誌は、娯楽中心のものではなく、「良心的」児童誌であったのはなぜなのだろうか。一方の娯楽系児童雑誌は、戦前から続く『少年倶楽部』が生き残っていたほかは、光文社の『少年』が1946年11月に創刊されているに過ぎない。1946年という時点でみると、数だけでいえば、圧倒的に「良心的」児童誌の方が多いのである*3。「作家や編集者の熱き願い」も、もちろん、あったことは間違いないだろうが、それだけではこの「林立」とアンバランスは説明できない。
本田和子の『変貌する子ども世界』(中公新書)にある次のような指摘が、この疑問のひとつの回答になるかもしれない。
戦後直ちに刊行された『銀河』『赤とんぼ』などの「児童文学誌」は、アメリカ情報部の意向もあって印刷紙の特配を受け、やや特権的状況下でスタートする幸運に巡り会えている。(p143)
「良心的」児童雑誌は、娯楽雑誌よりも「特権的状況下」にあったというのだ。俗悪な娯楽雑誌よりも、民主主義を教え広める役割を担った児童雑誌の方が、発行しやすかった。そして、娯楽に飢えていた子どもたちにとっては、とにかく読物さえあれば何でもよかったのだ、という推測もできる。「センカ紙時代、児童文学は極端にいえば内容のよしあしとは関係なく、売れに売れていた*4」という証言もある。「良心的」児童雑誌が一見、活況を呈していたのも、こうした背景があってのことだろう。
もうひとつ考えられるのは、出版社側の自己規制である。GHQによって時代劇は禁止された。『少年倶楽部』の発行元である大日本雄弁会講談社は戦犯出版社として糾弾を受け、解体の危機に瀕していた。戦前からの唯一の連載小説である大佛次郎の「楠木正成」は、1946年1月号で中断している*5。『少年倶楽部』が『少年クラブ』と名を変えたのは、『赤とんぼ』が創刊されたのと同じ1946年4月である。新たな出発の中で、何が問題があり、何が「よい」とされるのか、その判別に迷いがなかったとは言えないだろう。そうした模索の中で大日本雄弁会講談社がとったのが、世界名作文学という選択だった。
根本正義は「大衆児童文学の戦後史」*6の中で、戦中から戦後へと続く児童文学の流れを見て、こう述べる。
敗戦から昭和二十三年までの三年間は重要な意味を持つ。戦中を引きずりながらの価値観の大転換のなかで、新しい時代を模索する歴史の連続と断絶の複眼をもって歩むか、解放という断絶した歩みをもつかの両極に分かれた。大衆児童文学の対極にある芸術的児童文学は、政治と児童文学論争不毛のまま、解放史観による歴史の断絶をもたらした。一方、冒険とロマンの復権を求めた娯楽雑誌=大衆児童文学は、敗戦史観と解放史観つまり歴史の連続と断絶という複眼をもって、昭和二十三年を起点に戦後の大衆児童文学史をつくりはじめたのである。
根本が昭和二十三年(1948)を戦後大衆児童文学の起点としたのは、この年から翌年にかけて、『漫画少年』、『少年世界』、『冒険活劇文庫』(のちの『少年画報』)、『少女世界』、『東光少年』、『冒険王』、『少女』、『少年少女譚海』、『おもしろブック』と、多くの大衆児童雑誌が創刊されたからだ。「良心的」児童雑誌とは二年間のズレがある。そして、この二年の間に、「講談社文化」とまで言われた大衆児童文学のメッカ、大日本雄弁会講談社が企画したのが、「少国民名作文庫」という大衆小説作家による世界名作文学の再話シリーズであった。
世界名作をあえてかつての『少年倶楽部』全盛時代の大衆小説作家たちに、その翻案を執筆させたのはやはり講談社流のふるさとへの回帰と出発だ。
講談社にとっては世界名作の翻案から出発したことは歴史の断絶であり、大衆作家を動員したことは歴史の連続であった。必死の再出発への姿勢がうかがえる。(「大衆児童文学の戦後史」)
根本の文章だけだと、この「少国民名作文庫」が戦後新たに書かれたようにも受け取れるが、実際はこの叢書は同社が戦前に二十巻出した「世界名作物語」の焼き直しであった。参考までに、二つの児童文学叢書の内容を挙げておく。翻案家だけでなく挿絵も『少年倶楽部』で人気を博した画家の手になるものである。
【世界名作物語】
- 『宝島』スチブンスン 高垣眸・訳/嶺田弘・絵 1937-12-25
- 『あゝ無情』ヴィクトル・ユーゴー 池田宣政・訳/吉邨二郎・絵 1937-12-25
- 『巌窟王』アレクサンドル・デュマ 野村愛正・訳/梁川剛一・絵 1937-12-25
- 『家なき児』エクトル・マロー 久米元一・訳/田代光・絵 1938-08-15
- 『鉄仮面』ボアゴベー 江戸川乱歩・訳/梁川剛一・絵 1938-08-15
- 『ロビンソン漂流記』ダニエル・デフォー 南洋一郎・訳/椛島勝一・絵 1938-09-02
- 『乞食王子』マーク・トウェーン 太田黒克彦・訳/黒崎義介・絵 1939-04-30
- 『三銃士』アレキサンドル・デューマ 山中峯太郎・訳/梁川剛一・絵 1939-05-15
- 『トム・ソウヤーの冒険』マーク・トウェーン 佐々木邦・訳/吉邨二郎・絵 1939-05-22
- 『少公女』フランシス・バーネット 水島あやめ・訳/椛島勝一・絵 1939-07-30
- 『おばけ屋敷』ワシントン・アービング 野尻抱影・訳/松野一夫・絵 1939-10-31
- 『クオレ物語』デ・アミーチース 池田宣政・訳/黒崎義介・絵 1940-02-01
- 『アンクル・トム物語』ハリエット・ビーチャー・ストウ 北川千代・訳/梁川剛一・絵 1940-02-04
- 『ソロモンの洞窟 』ハガード 高垣眸・訳/鈴木御水・絵 1940-02-26
- 『三国志物語』 野村愛正・訳/羽石弘志・絵 1940-05-20
- 『小公子』バアネット 千葉省三・訳/北宏二・絵 1940-12-26
- 『紅はこべの冒険』オルツイ夫人 小山勝清・訳/北宏二・絵 1941-03-03
- 『山と水』フランク・パレット 野村愛正・訳/林唯一・絵 1941-06-03
- 『太平記物語』 鷲尾雨工・訳/尾形月山・絵 1941-07-28
- 『海底旅行』ジュール・ベルン 海野十三・訳/椛島勝一・絵 1942-04-06
【少国民名作文庫】
- 『ロビンソン漂流記』ダニエル・デフォー 南洋一郎・訳/椛島勝一・絵 1946-08-05
- 『トム・ソウヤーの冒険』マーク・トウェーン 佐々木邦・訳 1946-08-30
- 『小公子』バアネット 千葉省三・訳/北宏二・絵 1946-08-20
- 『巖窟王』アレクサンドル・デュマ 野村愛正・訳/梁川剛一・絵 1946-09-10
- 『宝島』スチブンソン 高垣眸・訳/嶺田弘・絵 1946-09-15
- 『鉄仮面』フオルチュヌ・デュ・ボアゴベー 江戸川亂歩・訳/梁川剛一・絵 1946-09-20
- 『乞食王子』マーク・トウェーン 太田黒克彦・訳/黒崎義介・絵 1946-10-10
- 『三銃士』アレキサンドル・デューマ 山中峯太郎・訳/梁川剛一・絵 1946-10-10
- 『アンクル・トム物語』ハリエツト・ビーチャー・ストウ 北川千代・訳/梁川剛一・絵 1946-10-20
- 『ソロモンの洞窟』ヘンリー・ライダー・ハガード 高垣眸・訳/鈴木御水・絵 1946-11-01
- 『小公女』フランシス・バーネット 水島あやめ・訳/加藤まさを・絵 1946-11-15
- 『三国志物語』 野村愛正・訳/羽石弘志・絵 1946-11-25
- 『あゝ無情』ヴィクトル・ユーゴー 池田宣政・訳/吉邨二郎・絵 1946-12-01
- 『ハックル・ベリィの冒険』マーク・トウェーン 佐々木邦・訳/松田文雄・絵 1946-12-20
- 『クオレ物語』アミーチス 池田宣政・訳/黒崎義介・絵 1947-01-15
- 『家なき児』エクトル・マロ 久米元一・訳/田代光・絵 1947
戦前の「世界名作物語」は函入り本体ハードカバーの豪華な装幀である。対して「少国民名作文庫」はペラペラのソフトカバー本。挿絵も戦前と同じものを使用しているが、紙も印刷も悪いため、見るからにひどい仕上がりになっている。それでも娯楽読物に飢えていた当時の子どもたちは、競って読んだに違いない。
戦後、新たな価値観を模索する過程で、まず、どこからも後ろ指のさされようのない海外名作を最初に企画したのは、講談社だけではない。やはり戦前から児童出版を手がけていた偕成社も同様だった。根本正義の「〈書誌〉偕成社の大衆児童文学」(東京学芸大学紀要第2部門/人文科学 Vol.54)には、「『偕成社五十年の歩み』によると、昭和二十年に刊行されたのは室生犀星著『乙女抄』と森下雨村著『謎の暗号』の二冊」とあるが、この二冊の刊行は国際子ども図書館の「児童書綜合目録」では確認できなかった。確認できた限りでは、戦後の偕成社の出版は次のような世界名作から始まっている。
- 『小公子』バーネット 池田宣政・訳/田中良・絵 1946-05-15
- 『白い牙』ロンドン 野村愛正・訳/山川惣・絵治 1946-05-25
- 『母を尋ねて』アミーチス 池田宣政・訳/田中良・絵 1946-06-20
- 『スザンヌ物語』ジュール・ルメートル 深尾須磨子・訳 1946-07-30
- 『フランダースの犬』ウィーダ 池田宣政・訳/田中良・絵 1946-08-05
- 『ゼンダ城の虜』ホープ 高垣眸・訳/土村正寿・絵 1946-08-15
- 『紅はこべ』オルツイ 高垣眸・訳/土村正寿・絵 1946-09-10
- 『宝島』スティーブンスン 久米元一・訳/土村正寿・絵 1946-09-20
- 『まだらの紐』ドイル 海野十三・訳/村上松次郎・絵 1946-10-27
- 『家なき少女』マロー 水島あやめ・訳 1946-12
- 『家なき児』マロー 池田宣政・訳/田中良・絵 1946-12
- 『恐龍の足音』ドイル 高垣眸・訳/土村正寿・絵 1947-01-25
- 『孤島の十五少年』ベルヌ 南洋一郎・訳/椛島勝一・絵 1947-02-20
作品の選定も再話者の人選も、概ね「少国民名作文庫」と変わらない。この期間に偕成社から出版された創作小説は次のようなものがある。
- 『乙女の径』芹澤光治良 1946-07
- 『若草日記』大谷藤子 1946-08-10
- 『慰めの曲』加藤武雄 1946-09-20
- 『月夜の笛』加藤武雄 1946-11-25
- 『密林の王者』南洋一郎 1946-12-15
- 『兄弟行進曲』佐々木邦 1947-01-20
- 『ほゆる密林』南洋一郎 1947-02-28
この中では、加藤武雄の『月夜の笛』が最初の戦後創作作品と思われる。多くは戦前の作品の再刊である。ここで目を引くのは、南洋一郎=池田宣政の名前であろう。南洋一郎名義の秘境冒険小説よりも池田宣政名義の世界名作再話のほうが、先行して、新たに、そして幅広く書かれているのだ。
戦後の講談社文化は、大衆作家による大衆的児童小説ではなく、世界名作文学の翻案から始まった。その中でミステリの占める割合と役割にはどんなものがあったのだろうか。