戦後ジュヴナイル・ミステリの系譜(14)

■1950〜1954(昭和25年〜29年)その3/ふたつの翻訳児童文学叢書

 1950年に刊行を開始したふたつの翻訳児童文学叢書、岩波書店の《岩波少年文庫》と講談社《世界名作全集》は、どちらも「これまでに紹介されてきた古典的な名作の他にも、多くの作品を初めてわが国に紹介した」*1ものだった。これにより、「ほぼ鎖国状態」であった児童文学界に「風穴をあけるためのプログラム」*2にはずみがついたのである。だが、この二つの叢書には「決定的な違い」*3があった。それは《岩波少年文庫》が完訳を基本としていたのに対し、講談社版《世界名作全集》は大衆児童文学者による再話が中心だったことだ。そのため、前者は「出版界及び大人の読者に刺激や影響を与え」*4、後者はベストセラーになって「数多くの読者――子ども読者を獲得しえた」*5ものの、児童文学界での評価は比較的低い。


 《岩波少年文庫》が児童書関係者に与えた刺激とは、例えば次のようなものであった。

 岩波のシリーズによって次々と市場に出てくる作品群は、わが国の児童書関係者にとっては、一種のカルチャーショックとして受け止められた。これまでのわが国の児童書界は、(中略)「芸術的・思想的児童文学書」と「興味本位の低俗娯楽本」とに二極分解していた。有識者たちが薦める「いわゆる良書」は、子どもたちにとっては「面白くない」。そして、子どもたちが好んで手に取り、回し読みさえ厭わない人気本は、大人たちから「低俗」と蔑まれ、時に禁止されたりもする。こうした状況に対して、「読んで面白く、わくわくと魅力的で、かつ良書である本」の存在は、新鮮であり衝撃的でもあった。(本田和子『変貌する子ども世界』中公新書

 こうした叢書の性格は、児童書関係者だけでなく、対象たる子ども読者にも確実に伝わっている。『ぐりとぐら』などで著名な中川李枝子・山脇百合子姉妹は、《岩波少年文庫》に出会った日々を、対談でこう語っている。

私、「少年文庫」で『宝島』を読んだとき、なんておもしろいんだろうとびっくりした。「小学生文庫」で読んでいたのと全然ちがうので、すごく驚いた。恐ろしさがちがう、ド迫力がある。それから出てくる人間の一人ひとりが生き生きしていて、映画を見ているような気がした。(『なつかしい本の記憶―岩波少年文庫の50年』)

 とはいえ、実際によく売れたのは講談社《世界名作全集》のほうだったようだ。それは、ひとつには装幀の影響のあるのではないだろうか。《岩波少年文庫》は新書サイズの廉価本、表紙はシンプルな図案のみというスタイルで、よく言えば上品で瀟洒だが、あきらかに地味にだったのに対し、講談社版《世界名作全集》は大衆挿絵画家によるカラー絵のついた豪華函入り本だった。また、子どもたちに名の通った大衆児童作家たちにリライトをさせ、その名前を外国の作者名よりも大きく背表紙に表示していた。このスタイルは、講談社大日本雄弁会講談社)が戦前に確立し、戦後は偕成社によっても受け継がれてきた。しかし、1940年代にはまだ紙質も印刷も悪かった。それが《世界名作全集》ではカラー函入りのハードカバー本となる。本などめったに買ってもらえなかった当時の子どもたちにとって、どちらがあこがれの対象となるかは明らかだろう。ちなみに創刊当時の価格は《岩波少年文庫》が120円、《世界名作全集》は180円だ。岩波書店は「普及を願って軽装・低廉の文庫形式」*6にしたが、この価格差以上の価値を《世界名作全集》は持っていたのである。

 ここで、講談社《世界名作全集》の成り立ちをもう一度確認しておこう。講談社大日本雄弁会講談社)が大衆児童作家たちに世界名作をリライトさせる叢書を企画したのは、戦前の《世界名作物語》が最初で、函入りのハードカバー本として1937年から1942年にかけて20冊が刊行された。戦後、これを再刊したのが《少国民名作文庫》であり、1946年8月から1947年まで、全部で16冊、刊行されている。本文も挿絵も、基本的には《世界名作物語》を踏襲しているものの、戦後まもなくだったせいもあり、ペラペラのソフトカバー、仙花紙に劣悪な印刷の本だった。新たに編入された作品に佐々木邦訳の『ハックル・ベリィの冒険』があるが、これとてもすでに戦前に出版された訳書の再刊だった。

 このあと、1948年から《世界名作物語》と叢書名を変えて、次の23冊が刊行されている。

 この戦後版《世界名作物語》も、《少国民名作文庫》よりは多少、紙質・印刷がよくなっているものの、まだソフトカバー本である。しかし、『名探偵ルコック』『オリバー・ツイストの冒険』『銀のスケート靴』など11冊は、この叢書で新しく訳された作品であった。(上記の◎印)また叢書には入らなかったが、戦前版《世界名作物語》の『山と水』が『魔境千里』と題名をかえ、単独書として1949年1月に再刊されている。

 これらを母胎として《世界名作全集》は刊行された。カラー絵のついた函入りハードカバーという造本は戦前の《世界名作物語》をほぼ踏襲しており、ここでやっと児童書における出版社および読者の経済力が、戦前のレベルまで追いついたといえよう。

 《世界名作全集》は当初、第一期10巻として企画され、1950年6月に最初の4冊を発行し、以後7月・8月と3冊づつ刊行された。その書目はすべて、戦前版《世界名作物語》で刊行されていたものだった。好評につき第二期以降、10冊づつ刊行数を増やしていき、第四期に「全40巻」と表示されたが、その後は「全○○巻」といった総数表示がなくなる。1956年に150巻で一旦終了し、さらに1961年までに30巻が追加されて、最終的には180巻の一大叢書となった。

 ところで、戦前版《世界名作物語》で刊行されながら、以下の作品は《世界名作全集》に編入されなかった。

 このうち、『三銃士』は久米元一、『海底旅行』は村上啓夫と、《世界名作全集》では訳者を変えて刊行されている。しかし、当時の出版状況が、ことさらに山中峯太郎海野十三という名前や、あるいは『太平記物語』という書名を嫌ったわけではないだろう。『三銃士』は山中峯太郎訳がポプラ社版《世界名作物語》に編入されたための措置だろうし、鷲尾雨工の『太平記物語』はのちに妙義出版社から刊行されている。

 一方、《岩波少年文庫》は1950年12月25日にシリーズ最初の五冊が刊行された。「岩波書店は戦前に豊島与志雄中野好夫らの指導の下に少年文学の叢書を計画したことがあったが、この時は用紙配給の関係で中止せざるをえなかった。戦後、石井桃子が参加してその計画を再興し、このシリーズ刊行が実現することになったものである。」*7石井桃子は、当時をこう回顧している。

 岩波書店の首脳部の人たちと編集会議をしたという記憶はない。とにかく、私にはそのみんなと離れた机で、『宝島』『ふたりのロッテ』『あしながおじさん』……と、私が読んで楽しめる本、私にとって「喜びの訪れ」が感じられる本のリスト作りに熱中していったということだけが確かなのである。(『図書』1990年7月――引用は斎藤惇夫の「岩波少年文庫とわたし」から孫引き/『なつかしい本の記憶―岩波少年文庫の50年』所収)

 岩波書店の社史『岩波書店七十年』によれば、このシリーズのねらいは次の三つにあった。*8

  • 世界児童文学の古典を正しく移植すること
  • 現代各国の児童文学の新鮮な傑作を紹介すること
  • 在来の日本の翻訳児童図書の杜撰さを改め、正確で美しい日本語の定訳を作ること

 ここでいう「在来の日本の翻訳児童図書の杜撰さ」が、《世界名作全集》を始めとする当時の殆んどの翻訳児童書がおこなっていた再話・翻案を指していることは、いうまでもない。かたや「子どものために」原典をより面白く・わかりやすく書き直し、かたや「子どものために」原典の面白さ・迫力をそこなわずに紹介する。どちらも「子どものため」を思っての企画であるが、その方向は異なっていた。

 このようにある意味、対照的に扱われるふたつの翻訳児童文学叢書であるが、佐藤宗子の論文「選ばれた「名作」――「岩波少年文庫」と「世界名作全集」の共通書目」*9によれば、その刊行書目を比較した場合、「その対比的構図よりもはるかに親和的に、両者は広がりをもち、重なりあう」という。

(両叢書の)書目を対照させつつ気がついた点として、何かのジャンルをはじめから忌避する、といった傾向は殆んど見られないことがあげられる。収録作の多少や具体的な選定作品の差はあれ、推理小説も、名犬や黒馬の活躍する動物ものがたりも、シートンやファーブルなどの作物も、近代西欧文学の児童文学化も、どちらにも存在する。(中着)
 意外なまでのその親和性は、どこから生じたのか。それは、両者とも普及を強く願って刊行されたことで、どちらも「大衆文学」たろうとしたとき、必然的に出てきたのではないか。(佐藤宗子「選ばれた「名作」」)

 佐藤によれば、「「世界名作全集」は全180冊中の40冊、「岩波少年文庫」が全193冊中の52冊、作品数にして33が、両者共通作」となる。佐藤はこの33作を、次の三つに分類している。

  1. もともとは大人を読者対象とする文学作品
  2. はじめから子どもを読者として念頭においた作品
  3. 神話・伝説・民話そのほか伝承文学と考えられる作品

 1群の作品には『レ・ミゼラブル』『アンクル・トムズ・ケビン』『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』『西遊記』『三銃士』『シェイクスピア作品集』『ドン・キホーテ』『シャーロック・ホームズ』『水滸伝』『クリスマス・キャロル』の11作がある。佐藤はこのカテゴリーを「冒険的色彩の濃い大衆文学を基盤としている」とした。実をいえば、このカテゴリーの作品は《岩波少年文庫》ではこの11作がすべてなのである。つまり、《岩波少年文庫》に含まれる「一般文学の児童向けリライト」は、すべて《世界名作全集》でも刊行されていることになる。《世界名作全集》には、このカテゴリーの作品が総数で80冊ほどあり、全体の半数近くを占めている。その中心はディケンズ(5点)、スコット(2点)、スティーブンスン(2点)、クーパー(2点)、デュマ(3点)、ユーゴー(3点)、ドイル(4点)、ルブラン(5点)、バローズ(3点)など19世紀から20世紀初頭の英米仏の大衆小説(大衆的人気のあった小説)であった。佐藤の「冒険的色彩の濃い大衆文学」という指摘は、そのまま通用する。

 佐藤はさらに、《世界名作全集》にディケンズ作品が『二都物語』『オリバー・ツイスト』『孤児デヴィッド』(デヴィッド・コパフィールド)『さすらいの少女』(骨董店)と多く収録されている点に注目し、「ディケンズ作品にになわされた日常世界における事件の展開という役割を、「岩波少年文庫」が新しい外国児童文学作品に託した」のではないかと考察している。そして、「長く、広く読みつがれる「名作」は、その中核に、教育性、教養の基盤、そして冒険性をそれぞれかねそなえた作品群の謂なのであった」と結論した。

 ディケンズ作品に見られる「日常世界における事件の展開」には犯罪にかかわることも多く、それは19世紀大衆小説の特徴でもあった。その延長に、《世界名作全集》に収録された作品でいえば、ドイルの『名探偵ホームズ』(計3冊)、ルブランの『怪盗ルパン』(計5冊)、ポーの『黄金虫』、ガボリオの『名探偵ルコック』などの大人向け探偵小説の翻案があったと考えられる。そして、それが《岩波少年文庫》では「新しい外国児童文学作品に託」され、ケストナーの『エミールと探偵たち』、C・D・ルイスの『オタバリの少年探偵たち』、リンドグレーンの『名探偵カッレくん』『カッレくんの冒険』『名探偵カッレとスパイ団』などの作品となって現われたと見ることができよう。さらにいえば、ケストナーの『ふたりのロッテ』に見られる双子の入替わりトリック、ガーナットの『ふくろ小路一番地』のちびっこギャング団の登場などを指摘することも出来ようし、『あらしの前』『あらしのあと』の作者ドラ・ド・ヨングはのちに児童ミステリー作家として知られ、MWAジュヴナイル賞の候補*10にもなったことを挙げてもいい。それほど、「日常世界における事件の展開」を描く物語、すなわちリアリズム系児童文学と探偵小説は親和性が高いのである。

 これは、児童文学のもうひとつの柱、ファンタジー系の作品を見てみるともっと明確になる。《世界名作全集》はファンタジー系の作品は少ないが、《岩波少年文庫》には多く含まれる。デ・ラ・メア『サル王子の冒険』、カレル・チャペック『長い長いお医者さんの話』、レアンダー『ふしぎなオルガン』、サン=テグジュペリ星の王子さま』、ヒルダ・ルイスの『とぶ船』、トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』、メアリー・ノートン床下の小人たち』、マルセル・エーメ『おにごっこ物語』など、名作として今も読みつがれる作品が目白押しである。しかし、これらの中に冒険的要素は見ることができても、探偵小説的な要素を探すことは困難だろう。

 「名作」はその中核に冒険性をもっている。この冒険は、未開の地を探検することであったり、自然の驚異にさらされることであったり、歴史的事件に遭遇することでだけではない。日常世界にも冒険はある。日常世界のすぐ側にあり、ふだんは隠れているが、ふとしたきっかけで現われる「冒険」。犯罪に巻き込まれ、犯罪者を追い、犯罪を解明する探偵行為は、リアリズム系児童文学における日常の冒険の延長として現われている。

*1:安藤美紀夫「翻訳児童文学の歴史」/岩崎書店『子どもの本と読書の事典』所収

*2:同前

*3:同前

*4:佐藤宗子「選ばれた「名作」――「岩波少年文庫」と「世界名作全集」の共通書目」千葉大学教育学部研究紀要第46巻II:人文・社会科学編 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004713266

*5:同前

*6:奥山恵『児童文学事典』東京書籍

*7:上田信道『別冊太陽/子どもの昭和史 昭和20年―35年』p120

*8:前出の上田信道の文からの孫引き

*9:前出

*10:作者紹介で『時のコマ』でエドガー・アラン・ポー賞を受賞とあるが、MWA側の資料にはこの作品は挙げられていない。候補には一度なっている。