いまだ「本格ミステリ冬の時代」

昨日の屋根裏の散歩会でのこと。

 「本格ミステリ冬の時代」があったのかなかったのかが、ツイッターで話題になっていたそうだ。当方が以前書いた文章がとりあげられていたという。で、その情報をくれた方が聞いてきた。


「でもね、冬の時代がなかったという人って、いないんですよ」
「もちろん。だって、あったんだから」

 多くの方が誤解しているようだが、ぼくは「本格ミステリ冬の時代」がなかったとは思っていない。

 個人的な「本格ミステリ」への飢餓感ということであれば、まちがいなく、ぼくはそれを経験した。(ちなみにぼくは昭和31年/1956年生れ)中学から高校にかけて、主に海外の黄金時代の(いわゆる古き良き時代の)本格ミステリを一通り読み終わったあと、さて、現代日本のなかにそうしたテイストを求めようとした時に、まったくなにもない砂漠のような状況を感じて、「ああ、こういう謎解き小説は、もうどこにもないんだなぁ」と、絶望にかられた思い出は、はっきりとある。

 その当時の日本のミステリ(おもに推理小説と呼ばれていた)に書かれたサラリーマンの悲哀だとか、出世競争だとか、社会問題だとか、愛憎劇だとか、とにかくそういったドロドロした生活臭が表にでるような小説は願い下げだったのだ。現実的な諸問題はすべて、物語であっても、出てきて欲しくなかったのだ。リアルなものはやめてほしかった。中学から高校にかけての頃のぼくは、現実ばなれしたものにしか、「リアル」を感じ取れなかった。

 謎解きだけを求めていたわけではなかったと思う。謎解き以外の要素として、「現実」が顔を出すのが嫌だったのだ。ミステリに求めていたものは、謎解きと同時に、遊びの要素、洒落っ気であった。だから、都筑道夫作品にあるような薀蓄などは、楽しかった。結城昌治佐野洋も面白かった。(今では信じられないかもしれないが、当時のぼくは佐野洋に洒落っ気を感じていたのである)

 そうしたぼくが、少し読書の幅がひろがったのは、講談社から出た「現代推理小説大系」と早川書房から出た「世界ミステリ全集」によってである。戦前の日本の探偵小説は面白かったし、海外にはぼくの知らない面白い作家がいっぱいいるんだと気がついた。「本格ミステリ」が海外でどう発展しているのかも、おぼろげながらわかってきた。ぼくの飢餓感が少しおさまったのは、この時期である。雑誌「幻影城」の登場は、そのあとだった。

 いま思えば、当時の推理小説の主たる読者はサラリーマンだったし、時代風潮はリアリズム中心だった。マニアや学生向けの作品は、まだ市場が成熟していなかった。「本格ミステリ」がなかったのではなく、サラリーマン向けに書かれた「本格ミステリ」しかなかったのである。しかし、自分の求める作品が、自分で探し出せる範囲になかったのはたしかだ。だから飢餓感をもつ。中学生、高校生の探し出せる読書範囲なんて、ネットなどない頃には、じつに微々たるものだった。(実際には1960年代末からリバイバル・ブームが起っていたのだが、中学生の目につく範囲にはまだなかった)

 「「本格ミステリ冬の時代」はあったのか」という文章をぼくが書いたのは、その頃、ネットの若い人の文章を読むと、「冬の時代」があった、ということを、何の疑問ももたずに受け入れていたためである。個人的な飢餓感は別にして、日本のミステリの歴史を冷静に振り返ってみれば、それは、ちょっと違うんじゃないの、というのが正直な感想だった。だって、本格があったんだもん。だから、多分にアジテーションぽい書き方をしている。

 「本格ミステリ冬の時代」について語ろうとすると、多くが自分語り(読書歴語り)になってしまう。語り手によって、微妙に「冬の時代」の現実的な時期が違ったりする。それは、「冬の時代」はたぶん、それぞれの心のなかにあるから、って書くと、すごい上から目線だよなあ。妄言多謝。