評論家の分類

 いやあ、二階堂黎人のサイト「二階堂黎人の黒犬黒猫館」内の「恒星日誌」の本日の内容【本格評論の終焉(6)】はすごい。

http://homepage1.nifty.com/NIKAIDOU/

 評論家の分類なのだが、これがただ一つの基準で分類されているのだ。なるほど、二階堂黎人にとって「ミステリの世界観」は明確である。問題なのは、その世界観を誰も共有できないことだろう。もはや、チェスタトンのいう「狂人」の世界に入ってしまったようであるが、「本格ミステリの閉鎖空間」に入って出てこれなくなることは、本人の希望なのかもしれない。



 二階堂黎人は、評論家諸氏が「ポーから現代に至る本格(ミステリー全般も)の歴史に関する勉強不足」と咎めているが、現代の英米のミステリの現状を理解しているのだろうか? このひとの頭の中は、戦前でとまっているように思えるのだが。


 あと、気になったのが、横山秀夫の『臨場』に触れた部分である。

 「八編の短編が収められていたが、形式的に本格と呼べるのはせいぜい最初の三本だけだろう。内面的にはどれも、松本清張の流れにある浪花節小説である。」と書いている。

 あれ? この人は本格ではない『臨場』は読まないんじゃなかったの?

 それに「形式的に本格と呼べる」作品が三篇あれば、それは本格ミステリの短篇集としたっていいんじゃないの?

 狂人なら狂人らしく、「論理以外のすべてをなくして」、論理に殉じて欲しいものである。