ポーにいたる道(1)


 ミステリー=探偵小説の歴史・発展史を、自分なりにもう一度敷衍してみようと考えたのだが、とてもじゃないが、数日じゃできない。今の僕の能力では数ヶ月でも無理だ。数年がかりで、ゆっくりと勉強しながら、まとめてみようと思う。


 もちろん新しい見解やら定見を示そうというわけではない。これまでの主要なミステリの歴史やら関連書に書かれた内容を、あちこちツギハギし、まとめなおしてみるだけである。ただ、まとめる上で、以下の点に留意してみようと思っている。

  • 同時代になにが起こったかが分かるようにする
  • 系統樹的な大きな流れが分かるようにする

 自分へのメモ書きとしてこのブログを使用し、ある程度流れがつかめたら「屋根裏通信」にアップしようかと考えている。

 ということで、まず最初は、


■■ポーにいたる道(1)


 探偵小説(ディテクティヴ・ストーリイ)の起源をどこにもとめるか、というのは、論者によっておおきく二つにわかれる。ジュリアン・シモンズの『ブラッディ・マーダー』(1972) はこれを以下のように的確にまとめている。

探偵小説の成立は警察機構が組織として整備され、捜査能力を発揮できるようになってからだとみる一派に対し、いや、それよりはるかに古く、すでに聖書やヴォルテールの著作などに謎とその合理的解明の具体例が見出せると主張する一派だ。前者の考えだと、エドガー・アラン・ポーが探偵小説を創始したことになり、後者の場合は、そのルーツが遠く古代の史書までさかのぼる。

 ヘイクラフトは『娯楽としての殺人』(1941) の中で、探偵小説をヘロドトスや聖書などのなかに「発見」してしまうのは、部分と全体を間違えた結果だと戒め、「あきらかに探偵(ディテクティヴ=警察官の意味も含む/引用者注)というものがうまれるまでは探偵小説というものもありえなかったろう(し、事実なかった)」とした。*1

 もちろん、探偵小説はポーが作り出したものであることに間違いはない、と僕は思っている。しかし、あらゆる独創的なものがそうであるように、探偵小説も何もないところから突然に生み出されたわけでないのも確かである。独創的なものが生れる背景には、生れるまでの流れがあったはずである。いわば、胎児の時代、いや、受精前の時代だろうか。ポーが創始した探偵小説にいたる道を確認しておくことは、探偵小説の発展史をたどる上で有意義に違いない。

 あるいはこうも言える。ポーにいたる道を確認する作業は、ポー以降の探偵小説の発展史を逆にたどる行為であって、ポーから現代までの流れの線をポー以前に補助線としてのばす作業となり、ボー以降の流れをどうとらえるか、ということと不可分である。

 ドロシー・L・セイヤーズは Great Short Stories of Detection, Mystery and Horror (1928) の序文のなかで、イソップ物語グリム童話や『トリスタンとイゾルデ』にあるエピソードをあげ、「探偵小説の濫觴」として、以下の四編のエピソードを収録した。

 「スザナの物語」と「ベルとドラゴン」それに「ヘラクレスとカーカスの物語」は、ハヤカワ・ミステリの『名探偵登場1』(1956) にも収録されているので読んでみた。最初の二編は若き賢者ダニエルが知恵を用いて、長老や祭司の邪なたくらみを見抜くというもの。三編目では、半人半獣の怪物カークスがヘラクレスからのがれるため、偽の足跡を利用する。

 E・M・ロングはアンソロジー Crime and Detection (1926) の序文で上記の『経典外聖書』とヘロトドスに触れ、S・S・ヴァン・ダインが本名のウィラード・ハンティントン・ライト名で編纂した The Great Detective Stories: A Chronological Anthology (1927) の序文には、セイヤーズがあげた例のほか、千夜一夜物語やチョーサーの『カンタベリー物語』などがあげられている。

 一方、中国には裁判判例読物である『棠陰(とういん)比事』(1207) があり、これが十七世紀に日本に翻訳されて好評を博し、類似の裁判物語がいくつか書かれながら、大岡政談へとまとまっていく。これらにも、探偵小説的な要素がないわけではない。

 博文館の《世界探偵小説全集》(1929-30) は日本で最初に編纂された系統的探偵小説全集だが、その第1巻は田内長太郎・田中早苗編の『古典探偵小説集』(1930) で、すでに触れた『経典外聖書』からヘロドトス、イソップなどに加えて、『棠陰比事』『本朝桜陰比事』『今昔物語』などの挿話が収録されている。1冊すべてがポー以前の作品で編まれているというのは、あとにもさきにもこの本だけだろう。

 知恵で謎を解く、あるいは知恵で危機を脱するというこのような物語は、多くの神話や民話に見出せる。それに犯罪がからむ場合も、けっして少なくはない。フレイドン・ホヴェイダは『推理小説の歴史はアルキメデスに始まる』(1965) で(日本で独自につけられた題名にあるように)、アルキメデスが金と銀の王冠の違いを物理法則によって見出す過程にも探偵小説的な要素がある、と一種おどけて書いている。これらの物語の中に探偵小説の起源を求める、という見解は、1920年代にはある程度、一般化していたといえよう。

 これらポー以前の「探偵小説」のなかで、多くの本が重要なものとしてあげるのは、ヴォルテールの『ザディグ』Zadig (1747) の中の「犬と馬」のエピソードである。このエピソードだけなら、『ミニ・ミステリ傑作選』(創元推理文庫)や『クイーンの定員 I 』(光文社)にも収録されているため、気楽に読むことが出来る。

 ザディグという知恵のある青年が、見もしなかった犬と馬の特徴を状況証拠から言いあてるという一挿話は、たしかに、賢者ダニエルの機知と比べて、はるかにデュパンやホームズの推理に近いものといえるだろう。実はこれはヴォルテールの創作ではなく、それ以前の書物からの引用、さらには千夜一夜物語にもその原型があるらしい。ジュリアン・シモンズによれば、「ヴォルテールの真の狙いは理知の威力を示すことではなくて、世の非理知的な人士を相手にするうえで、理知はむしろ不適格な能力であることを明らかにしたかった」(『ブラッディ・マーダー』p38/新潮社版/以下同)ということだ。しかし、ヘイクラフト−クイーン篇のミステリ里程標リスト The Haycraft-Queen Definitive Library of Detective-Crime-Mystery Fiction はこの『ザディグ』を第1番とし*2、また英米で発表されたミステリ関連小説を網羅したアレン・J・ヒュービンの Crime Fiction IV: A Comprehensive Bibliography, 1749-2000 が『ザディグ』の英訳版出版年からはじめていることなど、探偵小説の起源のひとつをここにもとめることは、ある程度認知された見方となっている。

 これは後年になって「発見」された見方ではないようだ。小倉孝誠の『推理小説の源流』(2002) にはフランスにおけるポーの受容を述べた章に、ゴンクール兄弟の日記(1856年7月)の一節を引いている。「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」などが含まれる短篇集を読んで、「ザディーグが予審判事に、シラノ・ド・ベルジュラクがアラゴの弟子になったようなものだ」と感想を述べている。つまり、同時代から、ポーの手法の一部がザディーグを彷彿とさせることは指摘されてきたのである。

 ジュリアン・シモンズはこういう傾向を「そこにパズルの存在を見つけようとしているにすぎないのである。言うまでもなく、パズルは探偵小説にとって不可欠の要素であるが、しかし、それが探偵小説そのものではないし、この分野全般におけるパズルの重みは比較的小さい」(『ブラッディ・マーダー』p37)としている。

 では、探偵小説を特徴づける他の要素とはなにか。それはセンセーショナリズム(扇情主義)である。ポーにおいて合致した理知と扇情のうち、扇情的な要素の直接的な祖先は、18世紀に発生したゴシック・ロマンであろう。そのゴシック・ロマンの流れにある作品のうち、犯罪と探偵行為をあつかったウィリアム・ゴドウィン『ケレイブ・ウィリアムズ』(1794) は、探偵小説の源流のひとつとして多くのミステリ史であげられている。

 というわけで、この『ケレイブ・ウィリアムズ』を読んでみようと、国書刊行会《ゴシック叢書》を図書館で借りてきたのだが、はたして読めるのだろうか?


■作品

*1:エリック・アンブラーは『あるスパイへの墓碑銘』(1938) の1951年版のあとがきでヘイクラフトのこの言葉にふれて、スパイは紀元前からいたが、スパイ小説は近代にならないと出てこない、と嘆いて(?)いる。

*2:『クイーンの定員 I 』の解説には、ヘイクラフト−クイーン篇の里程標リストで「探偵小説の曽祖父と呼ばれている」とあるが、正確には「曽曽祖父 Great-Great-Grandfather」。「探偵小説の曽祖父」は『ケレイブ・ウィリアムズ』に捧げられている。