のろわれた沼の秘密

 永井するみの『カカオ80%の夏』が面白かったので、今年は、ジュヴナイル・ミステリを少し読んでみよう、と思った。正月以来始めかけている山中ホームズも、まあジュヴナイルなので、しばらくはこの傾向の本を中心の読書計画となりそうだ。


 で、舶来信仰をもつ者ゆえ、まずエドガー賞のジュヴナイル部門からはじめることにした。

 エドガー賞のジュヴナイル部門は1961年に創設されている。児童文学の賞としては、1920年代からあるアメリカのニューベリー賞や、1930年代からあるイギリスのカーネギー賞にはかなわないが、ガーディアン賞(英1967〜)やボストングローブ・ホーンブック賞(米1967〜)、全米図書賞の児童書部門(1969〜)よりも早くから始まっている。1960年代に児童文学は大きな転換期を迎えたようだから、そうした動きをいち早くつかみ、児童書にも関心を示したMWAの目配りは、なかなかのものであったといえるだろう。

 さて、栄えある第一回の受賞作は、フィリス・A・ホイットニーの『のろわれた沼の秘密』Mystery of the Haunted Pool(1960)で、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集」の第11巻として、1964年に白木茂によって翻訳されている。

 「少年少女世界推理文学全集」は全20巻のシリーズで、ほかはすべて古典作品のリライトなのだが、この『のろわれた沼の秘密』だけがジュヴィナイル作品の翻訳だった。本の後ろの広告ページにも「エドガー・アラン・ポオ賞受賞」と謳われているから、エドガー賞受賞が全集入りの要因だったことは間違いないだろう。

 このあかね書房のシリーズは、他の子供向けミステリ本の毒々しい装丁を避けたのが功をそうしたのか、学校図書館にもよくそろえられていた。そのため、この本から海外ミステリに入った人も多く、1950年代後半から60年代生れのミステリ・ファンには懐かしく思い出される叢書だろう。「本棚の中の骸骨」に収録作品が挙げられ、詳しい説明がある。 http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/column-akane.html *1

 フィリス・A・ホイットニーは日本の横浜生れ。ミドル・ネームのAは Ayame で、これは日本語のアヤメからきている。1940年代から児童向けや大人向けのミステリを発表し、MWAのジュヴナイル賞には、第一回の受賞作『のろわれた沼の秘密』以降も、次のように4回ノミネートされ、1964年に再び受賞しているから、1960年代にはこの分野の第一人者だったのだろう。

  • The Secret of the Tigers Eye (1960) ★MWA賞/最優秀ジュヴナイル賞 候補
  • Mystery of the Hidden Hand (1963) ★MWA賞/最優秀ジュヴナイル賞 受賞
  • The Secret of the Missing Footprint (1969/70) ★MWA賞/最優秀ジュヴナイル賞 候補
  • Mystery of the Scowling Boy (1973) ★MWA賞/最優秀ジュヴナイル賞 候補

 1988年にはMWAグランド・マスターになり、1990年にはアガサ賞の生涯功労賞を受賞している。つい先日(2008年2月8日)、なんと104歳でお亡くなりになった。大人向け作品の作風はロマンティックなサスペンスものが多かったようで、『失われた島』 Lost Island (1970)[小尾芙佐訳/角川文庫 1972]と『レインソング』 Rainsong (1984)[仙波有理訳/サンリオ・モダンロマンス 1986-05-15]が邦訳されている。

 『のろわれた沼の秘密』は父親の療養のため都会から田舎にやってきた少女の視点で語られる。一足早く父親の生れ故郷の田舎にやってきた彼女は、やがて住むことになる屋敷にまつわる幽霊話や、ちかくの沼の底に見えた人の顔の幻などに遭遇する。とはいっても、「のろわれた沼」という題名から創造されるようなおどろおどろしさはなく、骨董店を営む叔母さんや、屋敷に住んでいる少年と、消防団長をしているその祖父、それに町の人々との交流が中心となって物語はすすむ。やがて、屋敷の持ち主だった先祖にまつわる宝さがしへと発展し、最後は登場人物がみんな幸せになって終わる。児童文学としての目新しいテーマはないが、きわめて後味のよい作品で、娯楽小説としてはこれで充分だろう。

 エドガー賞ジュヴナイル部門の、この年の他の候補作はわからない。最優秀長篇賞はジュリアン・シモンズの『犯罪の進行』、最優秀処女長篇賞はジョン・ホルブリック・ヴァンス(ジャック・ヴァンスの別名)の『檻の中の人間』が受賞、グランドマスターにエラリイ・クイーンがなった年である。

*1:のちに「推理・探偵傑作シリーズ」全25巻に、この「少年少女世界推理文学全集」の一部の訳文がが組み込まれている。こちらは、それぞれ長篇一作を収録した叢書で、デザイン的にも品のよい「少年少女世界推理文学全集」とはうってかわって、横山まさみちによる挿絵マンガが付いている。「やる気まんまん」の先生のペンによるフェル博士像なんぞ、楽しめはするものの、さすがにこれでは、学校図書館には難しい。