深夜の謎/補遺その1

 ところで、山中ホームズ以外の児童向けリライトはどうなっているのか。最初の『緋色の研究』(山中版では『深夜の謎』)について、手元にあるいくつかの訳を見てみよう。


 山中峯太郎訳にかわって、ポプラ社で1969年から刊行された阿部知二訳は、すでにホームズ作品の完訳をしている訳者の手によるものだけあって、手堅い訳に仕上がっている。大人向けのホームズ翻訳文の、難しい熟語をかんたんにしたり、情景描写を適時省いたりして、児童向けに書き直すという、非常に良心的な作りといえる。『赤い文字の謎』という題名で、全十二巻の巻頭にあるのも、1巻から順に読みすすもうという子どもにとっては、親切な配列である。(ただし、短篇の「入院患者」と「まがった男」が併録されている)

 阿部訳は大人向けのホームズ訳も定評があり、新潮文庫延原謙訳とならんでファンも多い。とくにこの『緋色の研究』は、ホームズとワトソンが出会ったばかりということで、二人が丁寧な言葉使いをするところに特徴がある。それが子ども向けの翻訳でも生かされている。というより、会話文は概ね、大人向けの翻訳がそのまま用いられているのだ。

 ただ、やはり第二部が過去に遡るのは分かりにくいという配慮からか、第一部の終わりで「ここでしばらく話をかえて、このふしぎな事件の原因となった昔のできことをのべることにする。」と注記が入り、また、第二部の題名は「その昔のできごと」となっている。それを除けば、章立ても原作通りである。モルモン教については、本文中に「モルモン教というのは、アメリカ人ジョウゼフ=スミスがはじめたキリスト教の一派で、男がたくさんの妻をもつことをみとめている。」と簡単な説明がされている。

 ところで、作品の題名となっている『赤い文字の謎』だが、これはドレッパー殺害現場の壁にかかれた血文字をさしている。原題の『緋色の研究』では子どもにはいささか分かりにくいという判断だろうと思われるが、壁の血文字を緋色にかけた邦題は、なかなかうまいものだと思う。例の「緋色の研究」をホームズが語る部分も、「そう、これは赤色文字の研究と呼ぶことにしようか。」となっているし、事件解決の手柄を警察にとられたホームズが、最後に自嘲する台詞も「ぼくが血文字の謎をといた結果が、こうなんだ。」である。

 「緋色」を「赤い文字」とする題名は、児童向けでは、この後かなりな数になる。確認できたかぎりではその最初はこの阿部知二訳であり、その手柄は彼に帰されなければならない。

 次はポプラ社山中版に続いて、戦後二番目の「全作品収録」の偕成社版《名探偵ホームズ》。『緋色の研究』を原作とする『深夜の恐怖』は、やはり第一巻になっている。訳者は久米元一。以下は、その書き出しである。

 三月のはじめの、うすらさむい朝のことだった。
 名探偵のシャーロック=ホームズが、助手のワトスンといっしょに、紅茶をのんでいるところへ、使い屋が、一通の手紙を持ってきた。
 ホームズは、パイプをくわえながら、だまって手紙をよんでいたが、きゅうにそのするどいひとみが、キラキラと光りだした。
「どうしたんだ、ホームズ。なにか事件がおこったのか。」
 ワトスンがたずねた。

 ホームズとワトスンの出会いはどうした。ワトスンはいつからホームズの助手になった。いや、それより何より、三人称はどういうわけだ。

 とツッコミたくもなるのだが、実を言うと、ぼくが子供の頃、最初に読んだホームズものは、この偕成社版だったのだ。偕成社版ホームズは、多くの作品が三人称で書かれている。だから、大人向けホームズを読んだとき、ワトスンの一人称というのが、妙に違和感があった。たしかにホームズとワトスンのやりとりは、山中版ほど品が悪くないが、原作を改変していることでは、偕成社版ホームズはひけをとらない。偕成社版ホームズは1970年代まで生きていたから、1969年にはじまったポプラ社阿部知二版が「完訳主義におされて」登場した、というのがどうにも信じられないのである。

 ともあれ、二人の出会いシーンやワトソンによるホームズ研究のエピソードはないものの、ストーリイは概ね、原作どおりにすすむ。ただ、細かいところが違っている。例えば、事件を発見したランス巡査から聞き込みをするシーンで、ホームズがあまりに現場の状況を知っているので、巡査はホームズを犯人扱いする。すると、ホームズが、ぼくはこういうものです、と名刺を渡すのだ。すると彼は、「あなたがゆうめいなシャーロック=ホームズさんでしたか。これはどうも、とんだ失礼をしました」と恐れ入ってしまうのだ。*1また、山中版ではランスは美青年巡査だったが、久米元一版では「からだの大きな、りっぱなひげをはやした男」になっている。原作では、ランスの風貌についての描写はない。さらにグレグスン刑事も「背が高くて色白の金髪男」とされている。原作では、長身色白はそうだが、髪は亜麻色だ。こうした風貌描写の付加や改変は、訳者の趣味によるものなのか?

 ところで、ランス巡査が恐れ入ったように、ここでのホームズは有名人である。指輪を用いてのおとり作戦でも、ホームズの名前で新聞広告を出さなかったのは、ホームズがすっかり名探偵としての名が知れ渡っているため、ということになっている。しかし、これでは、最後の「ホームズ氏は現在、グレグスン刑事とレストレード刑事の、ねっしんな指導をうけているそうだから、まもなく一人前の探偵になることができるだろう」という原作通りの新聞記事と、矛盾するのではないだろうか。これほど有名な探偵の名を、新聞記者が知らなかったということになるのだから。

 もうひとつ、原作との大きな違いは、第一部と第二部のつなぎであろう。ホームズが犯人を捕まえた後、原作はすぐに第二部になるが、久米元一版では、ワトソンの診察があって、犯人の死期が近いことが分かり、そこで犯人が過去の因縁を物語る、という、原作の最終章の部分が、第一部に組み込まれている。これは、第二部を回想譚として語るということでは、たしかに分かりやすい的確な改変である。

*1:じつは原作でも、ホームズはランス巡査に名刺をわたしている。ただし、ホームズの名前で恐れ入ったりはしないが。